第31話 糸の先
術式の糸を辿る作業は、思いのほか骨が折れた。
ノアの感知する糸は、肉眼では見えない。結月は自分の感覚を頼りに、ノアの案内に従いながら、街の路地裏を進んでいった。
「この先、地下に続いている」
辿り着いたのは、南門近くにある古い倉庫だった。表向きは廃業した商会の建物らしいが、扉には真新しい鍵がかけられている。
「教会の管理下、ですか」
「おそらくな」
レインが鍵の構造を確認し、結月がその境目に意識を伸ばす。ガレスのときと同様、慎重に施錠の境界をずらし、音もなく扉を開けた。
中に入ると、薄暗い空間に、複雑な魔法陣が床一面に描かれているのが見えた。中心には、脈打つように光る小さな水晶が据えられている。
「これが、仕掛けの本体か」
レインが、警戒するように水晶を見つめた。
「触れると危険かもしれません。ノア、これは何ですか」
結月が尋ねると、ノアは水晶に顔を近づけ、慎重に観察した。
「要石と共鳴するように調整された、人工の仕掛け石だ。起動すれば、要石の安定を強制的に崩す。おそらく、遠隔で発動させる仕組みになっている」
「解除できますか」
「僕の力だけでは難しい。でも、君の力なら」
「わかりました。慎重にやります」
結月は深く息を吸い、意識を落ち着けた。この水晶を無理に破壊すれば、要石そのものにも影響が及ぶかもしれない。あくまで、共鳴の繋がりだけを、丁寧に断ち切る必要がある。
結月は魔法陣に近づき、水晶に手をかざした。仕掛け石と要石を結ぶ「共鳴の境界」を探る。だが、意識を集中させた瞬間、背後で扉の開く音がした。
「――思った通り、嗅ぎつけたか」
振り返ると、白い外套を纏った数人の男たちが、倉庫の入り口を塞ぐように立っていた。先頭に立つ男は、ガレスの地下施設で見た衛士とは違う、明らかに上位の術士の風格を纏っていた。
「お前は」
「教会付きの術式技師だ。この仕掛けの管理を任されている」
男は冷たく笑い、懐から短杖を取り出した。
「予定より少し早いが、仕方あるまい。ここでお前たちごと片付けて、『異物による破壊工作』の証拠にでもしてやろう」
結月は息を呑んだ。ここで自分たちを始末すれば、あべこべに濡れ衣を着せるつもりだ。
「そんなこと、させません」
「言葉だけは威勢がいいな」
男が短杖を振ると、床の魔法陣が不気味に脈打ち始めた。
「見ての通り、この仕掛けは、外部から強制的に起動させることもできる。お前たちごと、今この場で発動させてやろう」
「くそ、結月、離れろ!」
レインが叫びながら、男に向かって斬りかかった。だが、術士は短杖から放った衝撃波でそれを弾き返す。
「無駄なことを」
男が短杖を魔法陣に向けた瞬間、結月は迷わず飛び出した。仕掛け石の水晶に両手をかざし、境界を強引にねじ伏せる。
――要石と、この偽りの仕掛け石との共鳴を、断ち切る。
結月の手のひらから、これまでにない強さの光が放たれた。水晶が甲高い音を立てて震え、床の魔法陣が急速に色を失っていく。
「な、なんだと……!」
術士が驚愕の声を上げた。魔法陣が完全に沈黙し、水晶の輝きが消える。同時に、結月の視界が大きく揺らいだ。
「まだ……終わってない」
結月はふらつきながらも、両足を踏ん張った。仕掛け石を無力化しただけでは足りない。この証拠を、確実に持ち帰る必要がある。
「レインさん、この人を」
「わかってる」
レインは体勢を立て直し、術士に肉薄した。数合の斬り合いの末、術士は剣の柄で打ち倒される。結月はその場に崩れ落ちそうになるのを、辛うじて堪えた。
「大丈夫か」
「はい……なんとか」
結月は震える手で、無力化された水晶を布に包んだ。動かぬ証拠が、また一つ、手の中にある。だが、安堵する間もなく、倉庫の外から、複数の足音と、鎧の擦れる音が近づいてくるのが聞こえた。
「増援か……」
レインが険しい顔で、倉庫の入り口に向き直った。この場を切り抜けるための、次なる戦いが、すぐそこまで迫っていた。
第31話 了




