第29話 古い礼拝堂
王都の外れにある古い礼拝堂は、今は使われていない廃墟同然の建物だった。
崩れかけた屋根の隙間から、月明かりが差し込んでいる。結月とレインが足を踏み入れると、祭壇の前で、フードを目深に被った人影がこちらを振り返った。
「来てくれたのね」
フィオナが、フードを外しながら小さく微笑んだ。だが、その顔には隠しきれない疲労と焦りが滲んでいる。
「何があったんですか」
結月が尋ねると、フィオナは深く息を吐いた。
「評議会に証拠を持ち込もうとしたの。でも――」
「でも?」
「評議会の議長、ダレル侯爵が、審議そのものを差し止めた。教会からの多額の寄進を受けている人物よ。証拠は握り潰されたわ」
結月の奥歯が、ぎりっと鳴った。命がけで持ち帰った証拠が、たった一人の権力者の判断で無に帰された。その理不尽さに、怒りが込み上げる。
「それだけじゃないの」
フィオナは声を落とし、周囲を警戒するように見渡した。
「教会が、次の一手を打とうとしている。カルダンという大都市で、大規模な『境界異常』が起きるという情報が、内部から漏れてきているの」
「境界異常……」
「詳しい内容はまだわからない。でも、時期的に、あなたたちがガレスで見た儀式の続きと考えるのが自然だと思う」
結月はレインと視線を交わした。カルダンといえば、王国有数の商業都市だと聞いたことがある。そこで何かが起きれば、被害の規模は計り知れない。
「教会は、その異常を利用するつもりなの」
フィオナは続けた。
「もし大都市で境界異常が起きれば、民衆は不安に駆られる。そこで教会が『異物の仕業だ』と喧伝すれば――」
「わたしのせいにされる、ってことですね」
結月の声に、フィオナは頷いた。
「あなたへの悪感情を煽って、懸賞金以上の圧力をかけるつもりでしょう。同時に、境界異常への対処という名目で、都市への教会の統制を、これまで以上に強めることもできる」
結月は唇を噛んだ。子供たちを助け出したことで生まれた民衆の支持を、教会は逆手に取ろうとしている。
「境界異常って、本当に自然に起きるものなんですか」
結月の問いに、ノアが口を挟んだ。
「都市規模の要石が、自然に不安定化することは滅多にない。おそらく、人為的に引き起こすつもりだろう」
「サレイユ村の柱と、同じ手口ですか」
「似たようなものだと思う。ただ、規模が桁違いだ」
「もし本当に人の手で引き起こすなら、街にどれだけの被害が出るか、想像もつかないな」
レインが、地図に描かれたカルダンの街並みを、険しい表情で見つめた。フィオナも、静かに頷く。
「カルダンの人口は、王都に次ぐ規模よ。もし要石が本当に崩壊すれば、被害は、ガレスとは比較にならないでしょうね」
「だからこそ、絶対に止めないと」
結月の声には、迷いのない強さがあった。フィオナは、その横顔を、しばらく見つめていた。
結月は覚悟を決めた。フィオナに向き直り、まっすぐに見つめる。
「カルダンに行きます。異常が本当に人為的なものなら、それを暴いて、止めます」
「危険よ。教会が仕組んだ罠かもしれない」
「わかってます。それでも、放っておけません」
フィオナはしばらく結月を見つめていたが、やがて小さく微笑んだ。
「あなたなら、そう言うと思っていたわ」
フィオナは懐から、新たな書類の束を取り出した。
「これは、カルダンの要石の設計図と、街の地理を記した資料よ。少しでも助けになるはずだわ」
「ありがとうございます」
「わたしも、王都でできる限りのことをする。評議会の中にも、まだ話の通じる人はいるはずだから」
フィオナは結月の手を、しっかりと握った。
「気をつけて。あなたが今度こそ、教会の悪事を明らかに証明できれば、きっと流れが変わる」
結月は頷き、書類を受け取った。礼拝堂の割れた天井から差し込む月明かりが、三人の影を静かに照らしている。次なる舞台――カルダンでの戦いが、確実に近づいていた。
第29話 了




