第28話 新しい名
「賞金稼ぎ相手なら、逃げ隠れするより、こちらから動いた方がいいかもしれない」
小さな町の宿で、レインがそう切り出したのは、懸賞金稼ぎとの一件から数日後のことだった。結月は食事の手を止め、レインを見た。
「動く、というのは?」
「冒険者ギルドに登録して、正式な依頼をこなしながら名を上げる。二重の意味で都合がいい」
レインは机の上に、簡単な図を描いた。
「一つは、資金だ。今後の活動には、どうしても金がかかる。もう一つは――」
「情報、ですね」
結月が先を続けると、レインは頷いた。
「ギルドには、各地の噂や依頼が集まる。教会の不審な動きを探るにも、正規の身分がある方が動きやすい」
「でも、わたしたちには懸賞金がかかってます。正体がばれたら」
「だからこそ、新しい名前を使う」
レインはそう言うと、結月の顔をまっすぐに見た。
「お前は今日から、ユヅキではなく――そうだな、『ミヅキ』とでも名乗るといい。似た響きなら、咄嗟に呼ばれても違和感がない」
「ミヅキ……」
結月はその名を、口の中で小さく転がした。自分の名前をわずかに変えるだけのことなのに、不思議な感慨があった。
「レインさんは?」
「俺は元々、偽名みたいなものだ。このままでいい」
二人はその足で、町の冒険者ギルドへと向かった。木造の建物の中には、様々な依頼書が壁一面に貼られ、荒くれ者から旅の商人まで、幅広い人々が出入りしている。
「登録は初めてかい」
受付の女性が、二人を見て気さくに尋ねた。結月は緊張しながらも頷く。
「はい。名前は――ミヅキと、レインです」
「二人組の傭兵ってことね。得意分野は?」
「基礎的な補助魔法と、剣術だ」
レインが、あえて曖昧にぼかして答えると、受付の女性は感心したように眉を上げた。
「珍しい組み合わせね。じゃあ、まずは適性を見るための初級依頼から」
こうして、結月とレイン――いや、ミヅキとレインは、新たな身分を手に入れた。それから数日、二人は近隣の依頼をいくつかこなした。畑を荒らす小動物の駆除、旅商人の護衛、簡単な薬草採取。派手さはないが、着実に信頼と実績を積み重ねていった。
依頼の合間、結月は、これまでの旅では味わえなかった、奇妙な解放感を覚えることがあった。境界の乙女として名乗る必要がない間は、ただの旅の傭兵として、気楽に人と接することができる。市場で値切り交渉をしたり、依頼主の他愛のない世間話に相槌を打ったり。そうした何でもない時間が、思いのほか、心を軽くしてくれた。
「ミヅキさん、腕がいいって、もっぱらの評判よ」
ギルドの受付係が、そう声をかけてくれることも増えた。結月は、その呼び名に、少しずつ馴染んでいく自分を感じていた。
「順調ですね」
依頼を終えた帰り道、結月は少し誇らしげに言った。レインも珍しく、口元を緩めている。
「思ったより、板についてきたな」
「境界の乙女、じゃなくて、傭兵のミヅキ、って感じがしてきました」
「二つとも、お前だけどな」
レインの何気ない一言に、結月は少し驚いた。だが、その言葉は、不思議と胸にすとんと落ちてきた。境界の乙女としての自分と、ただの旅人としての自分。どちらも、確かに自分自身だ。
宿に戻ると、ノアが窓辺で待っていた。
「フィオナから、連絡が入ってる」
結月は懐の通信具を握りしめた。淡い光が、これまでより強く点滅している。緊急の合図だった。
「何かあったんですね」
「詳しくは会って話したいそうだ。三日後、王都の外れにある古い礼拝堂で落ち合いたい、と」
結月はレインと視線を交わした。平穏な日々が、静かに終わりを告げようとしている予感があった。
「行きましょう」
結月は静かに、しかし確かな決意を込めて頷いた。窓の外、二つの月が並んで夜空にかかっている。新しい名前を得たこの数日は、束の間の穏やかな時間だった。だが、真相へと続く道は、まだその先に長く伸びていた。
第28話 了




