第23話 白の剣
「レイン、下がっていろ」
ゼルギウスの声には、旧知の部下に向けるような、奇妙な穏やかさがあった。レインは剣を構えたまま、動かなかった。
「それはできない相談だ」
「五年前の裏切り者が、まだそんな青臭いことを言うのか」
ゼルギウスは静かに剣を抜いた。刃が、地下施設の淡い灯りを反射して、白く輝く。
「境界の乙女。お前の力は、確かに稀有なものだ。だが、大司教猊下の計画を邪魔するなら、容赦はしない」
「大司教……カイエン様、ですか」
結月が問い返すと、ゼルギウスの目に、わずかな翳りがよぎった。だが、それも一瞬のことで、すぐに元の冷徹な表情に戻る。
「名を知っているところを見ると、随分と調べが進んでいるようだな」
「あの子供たちを、こんな目に遭わせてまで、何をしようとしてるんですか」
「知る必要はない」
ゼルギウスが地を蹴った。速い。結月が反応するより先に、剣先が眼前に迫っていた。
「――っ!」
結月は咄嗟に防御の膜を張った。だが、これまでの敵とは、明らかに力の質が違う。膜は一瞬で押し破られ、結月は横に吹き飛ばされた。
「結月!」
レインが割って入り、ゼルギウスの剣を受け止める。金属が激しくぶつかり合う音が、地下施設に反響した。
「お前の剣筋、まだ甘いな」
「うるさい」
レインは歯を食いしばりながら、鍔迫り合いを続けた。だが、力の差は歴然だった。ゼルギウスの一撃で、レインは大きく体勢を崩される。
「なぜ、俺たちを庇う。教会を裏切ってまで」
ゼルギウスが、剣を振るいながら、静かに問いを投げた。レインは、その一撃を受け流しながら、短く答えた。
「五年前、俺が救えなかったものを、今度こそ守る。他に理由がいるか」
「感傷だな」
「感傷で、悪いか」
レインの声には、揺るぎない芯があった。ゼルギウスは、その返答に、わずかに目を細めたが、それ以上言葉を継ぐことはなく、再び剣を打ち込んだ。
「レインさん!」
結月は倒れた体を起こしながら、必死に意識を集中させた。子供たちは、少しずつ檻から抜け出し、施設の隅に身を寄せている。まだ、逃げる道は開けていない。
――何か、方法があるはずだ。
結月は焦る心を抑え、周囲を見渡した。施設全体に張り巡らされた魔石――要石に繋がる術式の流れが、微かに視界に映る。ノアが以前教えてくれた、境界の「大きな流れ」を読む感覚だった。
「ノア、あの魔石の流れ、扉に使えない?」
「距離が遠すぎる、けど……不可能じゃない」
ノアの声に、結月は覚悟を決めた。ゼルギウスがレインを追い詰める間、結月は最後の力を振り絞り、施設の出口――遥か外へと繋がる、大きな扉を編み始めた。
これまでの扉とは比較にならない規模だった。全身の力が、急速に吸い取られていく感覚がある。指先が、わずかに透けて見えた気がした。
「これは……」
結月は自分の手を見つめ、喉の奥がひやりとするのを感じた。だが、今は立ち止まっている場合ではない。
施設の壁際に、淡く光る大きな輪が形作られていく。その先には、街の外――夜の草原が見えていた。
「子供たち、こっちへ!」
結月の叫びに、子供たちが我先にと輪をくぐり抜けていく。年下の子を抱えて運ぶ年長の子、足のもつれた子に手を貸す子。誰一人として、自分だけ先に行こうとする者はいなかった。その光景に、結月は、涙が滲むのを堪えながら、必死に扉を保ち続けた。
ゼルギウスがその光景に目を細めた。
「そこまでの規模の扉を、この短時間で……」
「レインさん、早く!」
結月が叫ぶと、レインはゼルギウスの剣を弾き返し、大きく後ろに跳んだ。
「行くぞ!」
二人が輪に飛び込む寸前、ゼルギウスが低く呟いた声が、結月の耳に届いた。
「――逃がしてやる。今日のところは、な」
その言葉の意味を、深く考える余裕はなかった。輪をくぐった瞬間、結月たちは夜の草原に転がり出ていた。振り返ると、輪はすでに閉じ、施設の様子はもう見えない。
「みんな、無事ですか」
結月は荒い息を吐きながら、周囲の子供たちを見渡した。怯えながらも、全員が無事にこちら側に辿り着いていた。安堵の息が漏れる。
だが、立ち上がろうとした瞬間、結月の膝が崩れ落ちた。視界が急速に暗くなっていく。
「結月!」
レインの声が遠くなる。最後に見えたのは、心配そうにこちらを覗き込む、レインとノアの顔だった。
第23話 了




