第20話 都市ガレス
ガレスは、王都とは違う種類の緊張を纏った都市だった。
城壁の内側に整然と並ぶ石畳の通りは清潔で、行き交う人々の表情も穏やかに見える。市場には色とりどりの布地や陶器が並び、パン屋の店先からは焼きたての匂いが漂ってくる。子供たちが数人、通りの端で縄跳びに似た遊びに興じている姿もあった。表面だけを見れば、これほど平和な街もないだろう。
だが結月は、街に足を踏み入れた瞬間から、肌を刺すような違和感を拭えずにいた。行き交う人々の視線が、時折、決まった方向――街角に立つ制服姿の男たちの方を、意識的に避けているように見えるのだ。誰も彼らと目を合わせようとしない。まるで、そこにいないもののように振る舞っている。
「静かすぎますね」
「統制が取れている、と言うべきかもしれないな」
レインが低く答えた。街角には、白い制服を着た教会の衛士が、思った以上の頻度で立っている。一見穏やかな街並みの奥に、監視の網が張り巡らされているのが、結月には見て取れた。
「都市の中央に、大きな塔があるだろう」
レインが指す先、街の中心部に、ひときわ高い尖塔がそびえていた。頂上には、淡い光を放つ巨大な魔石が据えられている。
「あれが、ガレスの結界を支える『要石』だ。都市規模の境界柱、と言えばわかりやすいか」
「サレイユ村の柱の、大きい版ってことですね」
「ああ。そして、フィオナ様の言う『境界儀式』は、あの要石を中心に行われる」
結月は塔を見上げながら、拳を握った。あの中に、あるいはその周辺に、失踪した子供たちが繋がれているかもしれない。
塔の周囲だけ、明らかに人通りが少ない。広場を囲む商店の看板も、その一角だけは色褪せ、営業しているのかどうかも怪しい店構えが並んでいた。
「あの辺りの店、随分と寂れてますね」
「塔に近い区画は、地代が安いはずなんだがな。誰も好んで店を構えたがらないんだろう」
レインの言葉に、結月は、塔から漂う重い気配を、改めて意識した。目には見えない圧力のようなものが、あの一角全体を、静かに支配しているように感じられる。
「宿を取って、しばらく街の様子を探る。焦って動くな」
「わかっています」
二人は目立たぬよう、街の外れにある安宿に部屋を借りた。窓から差し込む西日が、狭い部屋の壁に、格子状の影を落としている。結月は荷物を下ろしながら、窓越しに、遠くの尖塔を見つめ続けた。
「あの塔、ここからでも、はっきり見えますね」
「ガレスのどこからでも見える。街の象徴、ということなんだろう」
レインは剣の手入れをしながら、素っ気なく答えた。だが、その手つきには、これまでの街とは違う緊張が滲んでいるのを、結月は見逃さなかった。
夕食を軽く済ませた後、ノアが夜になるのを待って、姿を消す。
「僕は先に、街の裏側を見てくる。人間の目には見えない道を使えるからね」
ノアが窓の隙間からするりと抜け出していくのを見送り、結月はベッドに腰掛けた。手のひらに、フィオナから預かった懐中時計のような通信具の重みを感じる。
「レインさん、ここに来てから、何か思うことは」
「……昔、一度だけ配属されたことがある。もう七年近く前の話だ」
レインは窓辺に立ち、街の灯りを見下ろしながら答えた。
「その頃は、ここまで監視が厳しくなかった。何かが変わったんだろう」
「儀式の規模が大きくなってるって、フィオナ様も言ってましたね」
「ああ。嫌な予感がする」
その夜遅く、ノアが戻ってきた。表情――狐の顔にどこまで表情が読み取れるかは怪しいが、その声には明らかな緊張があった。
「見つけた。塔の地下に、大きな施設がある。表向きは魔石の保管庫らしいが、警備の厚さが尋常じゃない」
「子供たちが、そこに?」
「断定はできない。でも、地下から漏れる魔力の質が、普通の保管庫とは違う。生きた気配が、微かに感じ取れた」
結月の胸が、締め付けられるように痛んだ。子供たち、という言葉が、頭の中でずっと繰り返される。
「儀式まで、あと何日ある」
レインが尋ねると、ノアはしばらく考え込んでから答えた。
「街で聞いた噂だと、七日後だ。ちょうど、二つの月が同時に最も欠ける夜だと言っていた」
結月は、はっと目を見開いた。故郷を発つあの夜――皆既月食の晩に、境目が薄くなると祖母が言っていたことを思い出す。この世界にも、似た現象があるのかもしれない。
「その夜に、何かが起きる」
「ああ。おそらく、境界がもっとも脆くなる夜を狙って、儀式を行うつもりなんだろう」
レインの言葉に、結月は唇を引き結んだ。七日間。準備には十分とは言えない時間だが、動かないという選択肢はなかった。
「地下施設に、忍び込む方法を探しましょう」
「危険だぞ」
「わかってます。でも、七日後にあの子たちが何に使われるか、想像がついてしまう以上、待ってはいられません」
結月の声に、レインはしばらく黙り込んでいた。窓辺に置かれた蝋燭の炎が、小さく揺れる。
「お前は、こうと決めたら、譲らないんだな」
「境目に関わることだけは、どうしても、譲れないんです」
結月は、膝の上で手を握りしめながら答えた。レインは小さく息を吐き、剣を鞘に納めた。
「わかった。だが、動くからには、下調べを徹底する。感情だけで飛び込むのは、一番危険だ」
「はい」
結月は頷き、懐から、フィオナに借りた通信具を取り出した。淡い光が、部屋の暗がりに、静かに滲む。この街で何を見つけ、何を為すべきか――その答えを探る旅が、今、本格的に始まろうとしていた。
窓の外、ガレスの夜空に、二つの月がゆっくりと満ち始めている。塔の頂上に灯る要石の光だけが、街の喧騒が寝静まった後も、変わらず、静かに輝き続けていた。刻限は、確実に近づいていた。
第20話 了




