第18話 赤毛の王女
「その結び方でしたら、見たことがあります」
結月は気づけば、そう口にしていた。レインが驚いた顔でこちらを見たが、もう遅い。声を上げた本人である結月自身も、内心で慌てていた。
赤毛の少女――フィオナが、勢いよく振り返った。緑がかった瞳が、興味深そうに結月を見つめる。
「本当に? これ、王国中の学者に聞いても誰もわからなかったのよ」
フィオナは古文書を抱えたまま、大股で結月に近づいてきた。司書の男性が、ぎょっとした顔で二人のやり取りを見守っている。
「どこで見たの?」
「その……故郷の、神社という場所で。神様に捧げるものを結ぶときに、似たような結び方を使います」
「神社?」
「あ、その、遠い異国の……小さな島国の風習で」
結月は慌てて言葉を濁した。フィオナは首を傾げたが、それ以上追及することなく、古文書を結月の目の前に広げた。
「見てもらえる? これ、境界を扱う古い術式書なんだけど、結び目の部分だけが特殊な暗号になっているみたいで、内容が読み解けないの」
結月の心臓が、小さく跳ねた。境界を扱う術式書――思いがけない形で、探し求めていた情報に近づいている。
「拝見しても、いいですか」
「もちろん」
結月は古文書の結び目部分を、慎重に観察した。糸の交差、結び目の向き、そのすべてに、確かに見覚えのある規則性がある。祖母から教わった、神社の結び方そのものだった。
「これは……境目を示す印です。ここが『内』、ここが『外』。結び目の順番が、術式の手順を表しているんだと思います」
結月は指先で、結び目をひとつひとつなぞりながら説明した。フィオナの目が、みるみる輝いていく。
「すごい……! 誰も気づかなかったのに!」
「わたしの故郷では、当たり前の知識だったので」
「あなた、名前は?」
「ユヅキ、と言います」
結月は用心深く、姓は名乗らずに答えた。フィオナは気にする様子もなく、興奮した様子で結月の手を取った。
「ユヅキ、少し時間ある? もっと詳しく教えてほしいの」
突然の申し出に、結月は戸惑いながらレインを見た。レインは少し離れた場所で、周囲を警戒しながらも、小さく頷いてみせた。
「はい……大丈夫です」
フィオナは結月を、図書館の奥にある研究室へと案内した。壁一面に古文書や巻物が並び、机の上には様々な道具が広げられている。学者というより、探究者の部屋、という印象だった。
「ここなら、誰にも聞かれないわ」
フィオナはそう言うと、扉をしっかりと閉めた。結月は室内を見渡しながら、慎重に言葉を選んだ。
「フィオナ様、と、お呼びすればいいですか」
その呼び方に、フィオナは一瞬驚いた顔をした。
「あら、気づいてたのね」
「馬車の紋章と、周りの方々の態度で」
「隠すつもりはなかったけど、律儀に黙っていてくれてありがとう」
フィオナは椅子に腰掛け、結月にも座るよう促した。
「単刀直入に聞くわ。あなた、ただの巫女さんじゃないでしょう」
結月は思わず身を強張らせた。フィオナの目には、好奇心と同時に、値踏みするような鋭さがあった。
「その結び目の知識、境界に関する術式への理解の深さ……普通の旅人が持っているものじゃない」
結月は迷った。だが、この王女が教会の閉鎖的な体質に疑問を抱いているという噂を信じるなら、ここで正直に話す価値がある。
「フィオナ様は、白門教会について、どう思っていますか」
唐突な問いに、フィオナは目を瞬かせた。だが、すぐに真剣な表情に変わる。
「単刀直入に聞かれるなら、単刀直入に答えるわ。あの組織は、隠し事が多すぎる。境界に関する研究は、ほとんど教会が独占していて、王家ですら詳細を知らされていない部分が多い」
フィオナは古文書の山を、ちらりと見やった。
「わたしがこうして独自に研究しているのも、正規の情報公開に頼っていたら、いつまで経っても真実にたどり着けないと思ったから」
その言葉に、結月は決意を固めた。両手を膝の上で握りしめ、まっすぐにフィオナを見つめる。
「わたしは、境界を操る力を持っています。三百年前に大崩壊戦争を終わらせた『継ぎ手の乙女』と同じ種類の力だと言われました」
フィオナの目が、大きく見開かれた。
「そして、教会に追われています。子供たちを『荷』として運んでいるという、密輸の現場も目撃しました」
部屋の中に、重い沈黙が落ちた。フィオナはしばらく言葉を失ったように、ただ結月の顔を見つめていた。
「……本当なの、それ」
「本当です」
結月の声に、迷いはなかった。フィオナは深く息を吐き、それから、これまでとは違う真剣な表情で立ち上がった。
「ユヅキ。あなたと、あなたが見たものについて、もっと詳しく聞かせてちょうだい。わたしにも、力になれることがあるかもしれない」
窓の外、王都の空に日が傾き始めていた。結月は静かに頷いた。ようやく、探し求めていた道の入り口に立てた気がした。
第18話 了




