第17話 大聖堂の影
王都ヴェルダリアは、結月がこれまで見たどの街よりも巨大だった。
城壁に囲まれた市街地の中心には、王城がそびえ、その隣に並ぶようにして、白亜の大聖堂が空を突いている。街を歩く人々の数も、リエンダとは比較にならない。
「圧倒されますね」
「油断するな。人が多い分、教会の目も多い」
レインの忠告に、結月は頷いた。旅の巫女、という設定通り、結月は簡素な白い装束に身を包み、頭には薄い布を被っている。異国風の顔立ちは隠しきれないが、巡礼者を装う旅人はこの街には珍しくないらしく、思ったよりも目立たずに済んでいた。
「王立図書館は、大聖堂の裏手にある」
レインが小声で告げ、二人は人混みに紛れながら、大聖堂の方角へと歩を進めた。近づくにつれ、白亜の建物の威容が、結月の胸に重くのしかかってくる。
「あそこが、教会の中枢……」
「表向きの中枢だ。本当の中枢は、もっと奥深くにある」
レインの声に、苦いものが滲んでいた。結月はその横顔を見て、彼がかつて所属していた場所を、今こうして敵として見上げているという事実の重さを想像した。
大聖堂の前を通り過ぎようとしたとき、結月はふと足を止めた。正門の前に、白い甲冑を纏った騎士たちが整列し、豪奢な馬車を出迎えている様子が見えたからだ。
「何かの式典でしょうか」
「……いや」
レインの声が、急に低くなった。結月がその視線を追うと、馬車から降り立った人物の姿が目に入った。
長身の男だった。純白の外套に、他の騎士とは一線を画す意匠の鎧。腰には、両手剣と見紛うほどの大きさの長剣を佩いている。銀色の髪が、日の光を受けて輝いていた。
「あれが……」
「ゼルギウス・オルクレイン。聖堂騎士団長だ」
レインの声には、隠しきれない緊張があった。結月は思わず身を強張らせた。噂に聞いた「白の剣」――教会最強と謳われる男が、目の前にいる。
結月はノアの教えを思い出し、意識をわずかに集中させた。遠目からでも、その男の纏う空気には、確かな異質さがあった。ただの武人の威圧感とは違う、もっと静かで、それでいて底知れない何か。
ゼルギウスが、ふと足を止めた。
視線が、群衆の中――結月の方角に向けられる。結月は息を呑み、咄嗟に俯いた。心臓が早鐘を打つ。
数秒の間、痛いほどの緊張が続いた。だが、ゼルギウスはやがて視線を逸らし、大聖堂の中へと歩き去っていった。護衛の騎士たちが、その後に続く。
「……気づかれた、でしょうか」
結月が小声で尋ねると、レインは首を振った。
「わからん。だが、少なくとも今すぐに動く気配はなかった」
二人は人混みに紛れるようにして、その場を離れた。裏通りに入り、ようやく息をつく。
「あの人も、レインさんの元同僚、だったんですか」
「同僚というより、上官の一人だった。俺が逃げるとき、追手の指揮を執ったのも、確かあの人だ」
レインの声に、複雑な色が滲んでいた。結月はそれ以上踏み込まず、話題を変えた。
「図書館、行きましょう」
「ああ」
王立図書館は、大聖堂の威容とは対照的に、落ち着いた石造りの建物だった。入り口には最低限の警備しかなく、市民らしき人々が自由に出入りしている。
「思ったより、警備が緩いですね」
「学術機関は、教会の直接管理からは外れている。王家の管轄だからな」
結月とレインは、周囲を警戒しながら図書館の中へと足を踏み入れた。天井まで届く高い書架が、幾重にも連なっている。紙とインクの匂いが、静かに満ちていた。
「フィオナ王女は、この中のどこかにいるんですか」
「わからん。だが、噂通りなら、いずれ姿を見せるはずだ」
結月は書架の合間を歩きながら、辺りを見回した。学者らしき人々が、静かに書物をめくっている。誰がどこにいるのか、見当もつかない。
そのとき、書架の奥から、明るい声が響いた。
「ねえ、この古文書の綴じ方、変じゃない? こんな結び方、見たことないわ」
声のする方に目をやると、鮮やかな赤毛を無造作にまとめた少女が、書物を片手に、司書らしき年配の男性に詰め寄っているのが見えた。装いは質素だが、その所作の端々に、育ちの良さが滲んでいる。
「あの……もしかして」
結月が小声で呟くと、レインもまた、その少女に視線を向けた。
「フィオナ王女、だと思う」
結月は思わず足を止めた。予想よりもずっと早く、目的の人物が目の前に現れていた。
第17話 了




