第14話 逃走
「継ぎ手の乙女、か」
レインが剣を構えながら、隊長格の男との間合いを測った。結月は震える子供たちを背に庇いながら、必死に呼吸を整えていた。
「その呼び名、どこで知った」
結月の問いに、男は喉の奥で笑うような音を立てた。
「三百年前の記録は、教会の奥深くに眠っている。境界に干渉する力を持つ者――その特徴は、随分と昔から知られているのでな」
男が一歩踏み出すと同時に、レインが前に出た。剣がぶつかり合う金属音が、夜の桟橋に響き渡る。二合、三合と斬り結ぶうちに、レインの表情に焦りが浮かび始めた。
「くっ……」
「五年前の裏切り者が、随分と腕を上げたようだな。だが、それも所詮は隊長格止まりの実力だ」
男の剣がレインの肩をかすめ、外套が裂ける。結月は思わず声を上げた。
「レインさん!」
「下がってろ、結月! 子供たちを頼む!」
叫び返すレインの声には、余裕が感じられない。結月は唇を噛んだ。このままでは、レインが押し切られる。だが、子供たちを放り出すわけにもいかない。
――どうすればいい。
結月は必死に考えを巡らせた。境界を操る力。今の自分にできることは何か。防御の膜、修繕、そして、まだ不安定な扉の力。
視線を巡らせると、桟橋の先、係留されたままの小型船が目に入った。あの船を使えば、子供たちを一気に安全な場所へ逃がせるかもしれない。
「ノア、あの船まで、扉を繋げる?」
「距離があるけど、やってみる価値はある」
結月は子供たちの手を取り、船の方向を見据えた。両手を構え、意識を研ぎ澄ませる。前回のように、咄嗟の危機感に任せるのではなく、今度は自分の意志で、境界を繋ぐ。
――ここと、あそこ。二つの場所の境目を、繋ぐ。
目の前の空間が、ゆらりと歪んだ。淡い光を帯びた輪が、結月と子供たちの目の前に浮かび上がる。
「みんな、この中に入って!」
子供たちは戸惑いながらも、結月の必死な形相に押されるように、次々と光の輪の中へ飛び込んでいった。輪の向こうには、小型船の甲板が見えている。
「よし……!」
最後の子供が輪をくぐり抜けたのを確認し、結月は安堵の息を吐いた。だが、その隙を、隊長格の男は見逃さなかった。
「小賢しい真似を」
男がレインを弾き飛ばし、結月に向かって一直線に踏み込んでくる。結月は咄嗟に、目の前の空間に防御の膜を張ろうとしたが、扉を維持したままでは、力が足りない。
膜が、男の剣先を完全には防ぎきれなかった。
「――っ!」
結月の頬を、剣先が浅くかすめた。熱い痛みが走り、頬から血が滲む。だが、それでも結月は扉を消さなかった。子供たちを完全に逃がすまでは。
「結月から離れろ!」
レインが体勢を立て直し、男の背後から斬りかかる。男は舌打ちしながら、その一撃を受け止めた。攻防が拮抗する中、結月は最後の力を振り絞り、扉を完全に閉じた。
子供たちは、無事に船へと逃れた。あとは、自分たちがこの場を切り抜けるだけだ。
「レインさん、退きましょう!」
「言われなくても……!」
レインは男の剣を弾き返し、大きく後ろに跳び退いた。結月はその隙に、レインの手を掴む。頭の中に残った、わずかな力を振り絞った。
「わたしたちも、行きます!」
二人の足元に、再び光の輪が浮かび上がった。狙いは正確ではない。ただ、少しでもこの場から離れられる場所へ――そんな漠然とした意志だけを込めて。
男が追いすがろうとした瞬間、二人の姿は光の中に消えた。
*
気づけば、結月とレインは、港から少し離れた崖の上に転がり出ていた。眼下には、遠く小さくなった桟橋の明かりが見える。
「……成功、しました」
結月は荒い息を吐きながら、地面に手をついた。全身から力が抜け、指先すら震えている。頬の傷がずきずきと痛んだが、それ以上に、安堵の方が勝っていた。
「無茶をしすぎだ」
レインは肩の傷を押さえながら、結月の隣に座り込んだ。声には怒りよりも、深い疲労と、それを上回る安堵が滲んでいる。
「子供たちは、無事でしょうか」
「船は港の反対側に流れる潮に乗ったはずだ。ノアの言った通りなら、漁村の方に流れ着く。すぐに保護されるだろう」
結月はその言葉に、ようやく肩の力を抜いた。だが、遠く桟橋の方角から、複数の松明の明かりが動き出すのが見えた。捜索が始まっている。
「これで、はっきりしましたね」
「何がだ」
「わたしたちは、もう完全に、教会の敵になったってこと」
結月の声に、レインは何も答えなかった。ただ、崖下に広がる港の光を、二人でしばらく見つめ続けていた。夜風が、結月の頬の傷に染みる。それでも、後悔はなかった。
第14話 了




