第11話 港町リエンダ
追手を退けてから四日後、結月たちは港町リエンダに辿り着いた。
サレイユ村とは比べ物にならないほどの喧騒だった。石畳の通りには露店が立ち並び、様々な言語――結月にはまだ聞き分けられないものも多い――が飛び交っている。潮の匂いと、香辛料の匂いが入り混じった空気に、結月は思わず立ち止まった。
「大きな街ですね」
「王国有数の交易港だ。人が多い分、身を隠すには都合がいい」
レインは外套のフードを深く被り直しながら言った。結月も倣って、村を出るときに譲り受けた古い外套のフードを被る。
「人混みに紛れれば、追跡術式も効きにくくなる。しばらくはここで様子を見る」
「お金は大丈夫なんですか」
「多少の蓄えはある。それに――」
レインは言葉を切り、路地の奥にある小さな酒場を指した。
「腕の立つ傭兵を探している依頼が、この手の店にはよく貼り出されている。しばらくの資金くらいは稼げる」
二人が酒場に足を踏み入れると、むっとした熱気と喧騒が押し寄せてきた。カウンターの奥、掲示板には様々な依頼書が貼られている。レインがその中から一枚を選び取った。
「『倉庫街に出没する謎の獣を退治してほしい。報酬は銀貨二十枚』か。悪くない」
「謎の獣、って」
「見ればわかるだろう。今の俺たちなら」
結月はその言葉の意味を察して、小さく頷いた。境獣かもしれない。ならば、自分の力が役に立つ場面だ。
*
倉庫街は、港の外れにある薄暗い一角だった。積み上げられた木箱の隙間から、時折、獣の唸り声のようなものが聞こえてくる。
「気配がする。あの倉庫の裏だ」
ノアが低く囁いた。結月とレインは足音を殺しながら近づいていく。倉庫の裏手に回ると、そこには結月たちがこれまで見たどの境獣とも違う、奇妙な姿の生き物がいた。
体長は小型犬ほどだが、輪郭が異様に薄い。まるで、半分だけこちらの世界に存在しているかのように、体の一部が透けて見える。
「これは……境獣、じゃないですね」
「半端に境界を越えかけている個体だ。完全にこちら側に定着できずにいる」
ノアの声に、わずかな哀れみが滲んでいた。結月はその生き物をじっと観察した。攻撃的な様子はない。むしろ、怯えたように体を縮こまらせ、木箱の陰に隠れようとしている。
「これ、退治しなきゃいけないんですか」
「依頼はそうなっている。倉庫の荷を漁って、住民に被害が出ているらしい」
レインが剣の柄に手をかけようとしたとき、結月はその手を制した。
「待ってください。この子、境目が定まらなくて苦しんでるだけかもしれません」
「結月……」
「わたしにやらせてください」
結月はゆっくりと生き物に近づいた。生き物は身を強張らせたが、逃げようとはしない。結月は両手を差し出し、その輪郭――こちら側とあちら側の境目に、そっと意識を伸ばした。
「大丈夫。ちゃんと、こっちに定めてあげる」
結月の声に、生き物がわずかに反応した。結月は境目をなぞるように、生き物の輪郭を丁寧に固定していく。半分透けていた体が、徐々にはっきりとした輪郭を取り戻していった。
やがて、生き物は普通の小型の獣――狼に似た姿になり、警戒を解いたように結月の手のひらに鼻先を寄せた。
「……成功、しました」
結月は安堵の息を吐いた。レインが驚いた表情でその様子を見つめている。
「殺さずに解決するとはな」
「殺す以外の方法があるなら、そっちを選びたいです」
結月の言葉に、レインは何も言わなかった。ただ、その口元に、これまで見たことのないような、微かな笑みが浮かんでいた。
*
依頼の完了報告を終え、銀貨の詰まった小袋を受け取った帰り道、結月は港の広場で足を止めた。夕暮れの光が海面を橙色に染め、無数の船影が浮かんでいる。
「綺麗ですね」
「そうだな」
レインが珍しく素直に同意した。結月は手すりに寄りかかり、遠くの水平線を見つめた。ふと、故郷の海――修学旅行で見た海の記憶が蘇る。同じ「海」なのに、こちらの海はどこか違う色をしている気がした。
「わたし、この世界に来てからまだ三週間も経ってないんですよね」
「そうなるな」
「なのに、いろんなことがありすぎて、もう何ヶ月も経った気がします」
結月は苦笑した。レインは何も言わず、ただ隣に立っていた。その沈黙が、不思議と心地よかった。
「ノア、あの生き物、これからどうなるんですか」
「無事に境目が定まったから、もう苦しむことはないよ。あの子なりに、この世界で生きていくだろう」
結月は頷き、遠くの海に視線を戻した。自分もまた、この世界とあちらの世界――どちらの境目にも、まだ完全には定まっていない存在なのかもしれない。そんな思いが、ふと胸をよぎった。
だが今は、それでいい。少しずつ、自分の輪郭を、この世界の中で確かめていけばいい。結月はそう思いながら、沈みゆく夕日を、いつまでも見つめ続けていた。
第11話 了




