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「Grave to Rock ーInspired by “Little Wing/Jimi Hendrix”ー」

[Chunk1.:空白の墓所]


 風が、土を撫でていた。


 乾いた土、崩れかけた石、苔むした墓標。

 名前の消えた石板たちが、まるで互いの存在を忘れてしまったように、ばらばらと沈黙を守っている。


 それはとある、地図にも残らない廃村の外れ。

 風が通り抜けるたび、草が揺れ、鳥が鳴き、そして……何も起こらなかった。


 誰も来ない。誰も来てはいけない。

 けれど、ひとりだけ、“捨てられた者”がそこにいた。


 その娘は、墓標のすぐ傍に腰を下ろし、うつむいたまま、微動だにしなかった。

 痩せた両膝を胸に引き寄せ、色褪せたワンピースの裾を風に揺らしている。


 髪は乾いて、乱れて、枝に絡まりそうだった。

 素足は土の上に投げ出され、ところどころに血のような染みが滲んでいる。


 彼女の右肩から下——

 そこだけが、まるで別の死体のように色が違っていた。

 紫にくすんだ皮膚、露出した骨の断面、金具のような縫合痕が、まるで“誰かが手で貼り合わせた”かのような構造を露わにしている。


 けれど彼女は、それを隠そうともしない。

 ただ、じっと、目を伏せていた。


 ——空の色は、いつから変わっていないだろう。


 ——風は、いつも冷たいままだ。


 彼女には、自分が何者か、わからなかった。

 なぜここにいるのかも。

 なぜ、動けるのかも。

 なぜ、死んでいないのかも。


 腹は減らず、眠る必要もない。

 喉が渇くことも、まぶたが重くなることもない。


 だから彼女は、ただ……ここに居た。

 夜も、昼も、曖昧に溶けていく時間の中で。


 まるで、何かを待つように。

 あるいは、何かを終えた後のように。


 鳥が鳴いた。

 風が、葉を揺らした。


 彼女は、その音に……少しだけ、顔を上げた。


(……また、生きてる音……)


 ぼんやりとしたその意識は、音にだけ反応するようだった。


 心臓の鼓動はない。

 けれど、耳だけが、まだ“生きていた”。



——————


[Chunk2.:詩人の旋律]


 その日は、少しだけ空の音が違っていた。


 風は同じように吹いていた。

 墓標は同じように黙っていた。

 けれど、どこか遠くから……かすかに、聞こえてきた。


 それは——弦の音。


 びり、と乾いた空気に乗って、木の枝が共鳴する。

 草のざわめきの中に、ぽつりぽつりと、小さな旋律が混じっていた。


 ロメラは、顔を上げた。


 耳だけが生きている彼女の世界に、その音は、まるで呼吸のように染み込んできた。


 ぎぃ、と誰かが靴で木を踏む音がして、

 少し離れた斜面の上から、誰かがこちらを見下ろしていた。


「……Well, well. Looks like I got myself an audience.(おっと、観客ひとりってとこか)」


 声は軽く、けれど異国の響きが混ざっていた。

 肌は黒褐色、瞳は深く、肩にギターを担いだ旅の男。


 その風貌は、あまりにもこの寂れた墓所に似つかわしくなかった。

 革のジャケットに、擦れたデニム。鋲のついたブーツに、黒いサングラスが額にかけられている。

 その姿は、村の楽士でも、吟遊詩人でもない。

 ロメラの知るどんな“旅人”の服装とも違っていた。


 (……変なカッコ……)


 彼が肩に下げていた楽器にも、ロメラの目が止まる。

 リュートに似ているようで、形はもっと平たく、光沢が強く、弦も少ない。

 けれど、響く音は柔らかで、どこか懐かしくて……何よりも不思議だった。


 詩人は、その視線に気づいたように、口角を上げた。


「Hmm? This look botherin’ ya?(この格好、気になるか?)」


 ロメラは答えず、じっと見ているだけだった。

 それでも、詩人は気にせず続ける。


「Don’t blame ya. It ain’t normal ’round here, I guess.(まあ、この辺じゃ普通じゃねぇわな)

 けどな、これはオレのRockさ。魂に着せてるようなもんだ。

 脱げっつったって、着替える気にはなれねぇ」


 そして、肩をすくめて笑った。


「……オレの故郷じゃ、こんな格好も珍しかねぇんだ。

……いや、ちょっとウソだな……そこまで一般的ってわけじゃねぇか……。けど、オレにゃ、しっくりくるんだ」


 ロメラは、相変わらず口を開かなかった。

 だがその視線に、わずかな“困惑”がにじんでいた。


「Hey now, don’t go hidin’ on me, sugar. I ain’t bitin’.(なあ、隠れなさんな。オレは噛まねぇよ、嬢ちゃん)」


 ロメラの顔が、ほんの僅かにしかめられた。


「……なにそれ……喋り方、へん……」


 詩人はくすっと笑った。


「Oh, this old drawl?(この喋り方か?)

オレの故郷のクセさ。こっちの土地のもんじゃねぇんでな」


 ロメラは、眉をひそめたままギターをちらと見た。

 まるで「話すより、弾け」とでも言いたげに。


 詩人は苦笑し、素直に爪弾き始めた。


 カラリと乾いた音。

 次いで、甘く、切なく、遠くまで届きそうな旋律。


 まるで——誰かの記憶をなぞるような、古い、古い音楽。


「This place got more soul than a city full o’ screens.(こんな寂れた墓場のほうが、都会のど真ん中より、よっぽど魂がある)」


 くすりと笑うと、詩人は続けた。


「オレのいた場所じゃな、音楽は耳じゃなくてデータで聞くもんだった。

 雑音まみれの街、せわしねぇ足音、人の声も全部ノイズで……

 “聞く耳”ってもんが死んじまってた」


 それは、回想のようでいて、どこか語りかけるような口ぶりだった。


「けど、こっちはちげぇな。

 あんたは……ちゃんと聞いてる。

 That’s more than I got in years.(そんな風に聴いてくれるヤツ、何年ぶりかってくらいだ)」


 ロメラの視線が、初めて動いた。


 ギターを見ていた。

 その音を、見つめるようにしていた。


[Chunk3.:焚き火と名の交換]


 木々の影が伸びる頃、ふたりは沈黙のまま、墓所の片隅で火を囲んでいた。


 詩人が落ち枝を集め、火打石で起こした小さな焚き火。

 赤い火は、まだ青かった夕空にぽつりと咲く灯で、

 ロメラはその反射を、ただ黙って見つめていた。


 ぽつ、ぽつと火がはぜる。

 その音と同じリズムで、詩人の指がギターの弦を撫でている。


 ロメラは、どこか奇妙なものを見るように、その手元を見つめていた。

 音が、彼の手から生まれていることに、不思議そうな顔をして。


「……こっちの世界の楽器じゃねぇからな。構造も音も、少しだけ違う。

 でも、まあ……奏でたい想いがありゃ、道具なんてなんでもいい」


 そう言って、詩人は弦を一つ、軽く弾いた。


 ロメラは焚き火の向こうで、ぼそりとつぶやく。


「……その“音”……あんたが、出してんの……?」


 詩人は笑わなかった。

 ただ、真面目な目をして、うなずいた。


「そうだ。

 けど音ってのは、出した瞬間から、“誰のものでもなくなる”んだぜ。

 それを、誰かが受け取ってくれたら……そいつの中に、ちゃんと残る」


 ロメラは何も言わないまま、ほんの少しだけ、膝を抱き直す。


 沈黙が、また数拍流れた。


 火が、ぱち、とはじける。


 そして。


「……名乗っとくか。オレはジミ。ジミ・ヘンドリックス」


 一拍の沈黙のあと、彼——ジミは、どこか遠い目で言葉を継いだ。


「まぁ……勝手に名乗ってんだけどな。

 オレの、“こっちに来てからの名前”ってことにしてる」


 ロメラの眉がぴくりと動いた。


「……偽名?」


「Stage name.(芸名みたいなもんさ)」


 ジミは、火の向こうで笑った。

 それはどこか寂しく、けれど誇らしげでもある笑みだった。


「こっちの世界に来た時さ。

 全部捨てたんだよ、名前も、肩書きも、生きてた街も……

 だからさ。せめて、“今のオレ”が気に入る名前で、もう一度始めたかった」


「……じゃあ、“ジミ・ヘンドリックス”ってのは……」


「世界一、ロックな奴の名前さ。

 その名前に見合う人間になりてぇと思ってな──’cause names ain’t just letters. They’re promises.(名前ってのは文字じゃねぇ、約束なんだよ)」


 ロメラは、しばらく黙っていた。


 焚き火が揺れ、彼女の右肩の縫合痕に光が踊る。


 その光を見つめながら、彼女はぽつりと呟いた。


「……名前、ね……」


[Chunk4.:街への誘い]


⸻


 翌朝の空気は、ひんやりとして澄んでいた。

 霧が墓標の間を這い、まだ眠る世界を包み込んでいる。


 ロメラは、火の消えかけた焚き火のそばで、じっとギターを見ていた。

皮も肉もない肩から伸びた、ツギハギだらけの右腕を伸ばしかけては、そっと引っ込める。

 指先が、まだその音を「触れるもの」として信じられていないように。


 そこへ、後ろから声がかかる。


「よぉ、嬢ちゃん。朝メシはいらねぇみたいだし、ひとつ付き合ってくんねぇか」


 振り返ると、ジミが立っていた。

 肩にギター、手にはシワだらけの地図。足元は昨日より少しだけ汚れている。


「この辺りの街に、ちょいとだけ顔出す予定があってな。

 物資の買い出しと、気になる楽器屋があんのよ。よかったら、ついてくりゃいい」


 ロメラは無言のまま、ジミを見つめた。


 ジミは、どこか探るように視線を返す。


「心配すんな。オレが街で誰かに見つかっても、笑ってギターぶん回すだけだ。

 けど……あんたの右肩は、ちょいと目立つかもな」


 そう言って、ジミは自分が着ていた黒いレザージャケットを脱いだ。

 やや重みのある布地が、かさりと音を立てて空気に揺れる。


「Here. This one’s got a couple miles on it.(こいつは長く付き合ってんだ)

ちょいくたびれてるが、あったかくて、義理堅いヤツさ」


 差し出されたそのジャケットには、

 昨日焚き火の匂いが染みついていた。

 ロメラが“死体になってから”感じた中で、一番“生きてるにおい”だった。


 ロメラは、それを一度だけ見て、黙って受け取った。

 袖を通すと、右肩の縫合痕がすっぽりと隠れる。


 そして、何より驚いたのは——その生地の内側が、ほんのりとあたたかかったことだった。


「おお……似合ってるじゃねぇか。Bad girl got a new skin, huh?(イカした死体娘に、新しい皮膚ってわけだ)」


 ロメラは、肩を縮めて軽く睨んだ。


「……喋り方、ほんとヘン」


 ジミは口笛を吹くように笑った。


「Get used to it, sugar. I ain’t changin’ just ‘cause the world’s watchin’.(慣れな、ベイビー。世界が見てようが、オレは変わんねぇ)」


[Chunk5.:街の雑踏と、ふたりきりの時間]


 その街は、小さな川沿いに広がる、木造家屋の集まりだった。

 壁には風雨の痕が刻まれ、軒先には洗濯物が揺れ、石畳の上を人々が行き交っていた。


 市場では野菜と薬草の香りが混じり、

 道端には子どもたちが座り込んで、石を積んで遊んでいた。


 ロメラは、ジャケットの袖をぎゅっと握ったまま、ジミの後ろを歩いていた。


 初めて見る“人間の群れ”だった。

 声。足音。視線。

 どれもが、生きているというだけで、彼女の身体をこわばらせた。


 ジャケットの内側に隠された右肩が、火照ったように感じる。

 見えていないはずなのに、“見られている”気がしてならなかった。


 ジミは振り返り、肩越しに声をかける。


「Keep breathin’, sugar.

呼吸を忘れんな、嬢ちゃん。世界は騒がしいが、牙はねぇ」


 ロメラは、小さくうなずいた。

 けれど歩く速度は、ほんの少し遅くなっていた。


 道の端にある屋台で、ジミが花のついた小さな飴をひとつ買う。

 金を払うのに、店主と何やら笑い合っていた。


 そしてそれを、ひょいとロメラの前に差し出した。


「ほら。Candy for a dead lady.(死人にキャンディーだ)」


「……バカじゃないの……」


 ロメラは、そう言いながらも、それを受け取った。

 甘くて、花の香りがして、舌の上でとろける。


 ——自分が“味”を感じていることに、驚いた。



 ふたりは、裏通りにある古い楽器屋に立ち寄った。

 埃をかぶった弦楽器たちが壁に並ぶなか、ジミは何本か試し弾きしてみせる。

 ロメラはその様子を見ながら、そっと楽器たちに触れていった。


 木の手触り。

 弦の張り。

 そして、それぞれの“沈黙の音”。


「こいつら、ぜんぶ“歌いたがってる”って顔してんだよな」

 ジミがぼそりとつぶやく。


 ロメラは、何かを噛みしめるように、指先を止めた。


「……あたし、楽器なんて……触ったこと、ないのに……

 なんで……“わかる”気が、するんだろ……」


「Because your soul’s hummin’.

ー魂が、もう歌い始めてんのさ」


 


 日が傾き始めた頃、ふたりは川沿いの道に座り込んでいた。

 屋台で買ったパンをかじりながら、静かな風を感じている。


 ロメラは、ジャケットの袖口をつまみながら、ぽつりと呟いた。


「……なんか、変な一日だった……

 でも、嫌じゃなかった……」


 ジミはパンを口にくわえたまま、指で軽くリズムをとる。


「First gig’s always awkward.(最初のステージはぎこちないもんだ)

 でもな……その一歩がなきゃ、次の音も出ねぇんだ」


 ロメラは、思わず口元をゆるめた。


「……あんた、ほんっとに変」


 ジミは笑った。


「Damn right I am.(そりゃそうだろ)」


[Chunk6.:数日の暮らし]


 


 それから、ふたりは数日間、街に滞在した。


 根城にしたのは、街はずれの古びた納骨堂。

 雨風はしのげるし、誰も近づいてこない。

 ジミは「音の響きがいい」と言って、そこをすぐに気に入った。


 


 昼は、ジミが街の広場で弾き語りをする。

 黒いギターを抱え、奇抜な格好で堂々とストリートに立つその姿は、

 初日は明らかに警戒されていた。けれど——


 


「Hey there, sunshine!

——そこの、素敵な笑顔のお嬢さん!」


「You look like someone who needs a damn good song.

——ちょっと退屈そうじゃねぇ? オレの音で気分あげなよ!」


 そう笑って言った彼の声に、

 人々はあっけに取られたように立ち止まり、やがて、少しずつ笑顔になっていった。


 言葉の魔法と、音の魔法。

 ジミはそれを、まるで呼吸するように使いこなした。


 


 ロメラは最初、その様子を離れて見ていた。

 人目が怖かったし、自分が“その場にいていい存在”なのかも、わからなかった。


 ——でも。


 


 広場の隅で遊んでいた子どもたちが、

 いつの間にかロメラのそばにやってきていた。


 服を引っ張られたり、髪の房を面白がられたり。

 最初は戸惑ったが、不思議と嫌じゃなかった。


 むしろ、自分の中にぽっかりと残っていた“誰かの記憶”が、

 そっと背中を押した気がした。


(……あの子なら、たぶん……こうやって笑ってた)


 気づけば、ロメラも笑っていた。

 ギターの音が聞こえる。

 その音に合わせて、子どもたちが手を叩いている。


 広場の空気が、少しだけ軽くなっていた。


 


 夜になると、ふたりは納骨堂へと戻る。

 街で得た小銭と、誰かにもらった食料、そして……音。


 それだけで、じゅうぶんだった。




[Chunk7.:納骨堂の夜]


 


 その夜、ふたりは街のはずれにある古びた納骨堂へと戻っていた。


 祭礼の時にしか使われないその建物は、今では誰にも気に留められていない。

 石の床、ひび割れた天井、燭台の跡だけが残る祭壇。

 それでも、屋根と壁があるというだけで、外よりはずっと静かだった。


 


 ジミは、床に寝具を広げていた。

 といっても、それは布のようなものを重ねただけの簡素な寝床だ。

 だが、そこに彼の手が加わるだけで、どこか“ステージの袖”のような落ち着きを持っていた。


ジミは、肩のギターを外して横に置くと、

 自分のジャケットを脱いでロメラに掛けた。


 


「……ねぇ、あんた……なんでこんなに、優しいの?」


 それは、唐突な問いだった。

 火を見つめたまま、ロメラはぽつりと呟いた。


 ジミは、しばらく何も言わなかった。

 ただ、焚き火の火を少しだけ見つめてから、

 低く、静かに口を開く。


 


「’Cause you looked like a broken chord, baby.

 And I just wanted to hear how you’d play.

………お前さん、途切れたコードみてぇだった。だからさ、聴きたくなったんだよ——お前が、どう響くか」


 


 その言葉は、まるで音のようにロメラの胸に染み込んだ。


 火が、ぱちりと鳴る。


 ロメラは、何かを迷うようにしながらも、

 そっと彼の隣に座った。


 指先が触れる。

 肌の温度は、どちらもおそろしく低かった。


 けれどその触れ合いには、たしかに“生きている者の感触”があった。


 


 ふたりは、言葉を交わさないまま、同じ毛布に身を寄せた。

 痛みも、温もりも、呼吸のリズムも、互いに確認するように。


 ただ、隣にいるというだけで、

 この世界の重さが、ほんの少し軽くなる気がした。


ロメラは、毛布の中で横になったまま、じっとジミを見つめる……

ジミはその眼差しに応える様に、そっと、彼女に唇を重ねた。


 


 夜は更けていく。


 静寂の中、ギターの弦がわずかに震え、誰もいない空間に、二人の間に奏でられる音が漂っていた。


 挿絵(By みてみん)


————


 


 ロメラは、薄く納骨堂に差し込む月明かりの下で、

 そっと下着を履き直しながら、横に目をやった。


 ジミは、すでに寝息を立て初めていた。

 ギターを腕に抱えたまま、どこか安心した顔をしていた。


 ロメラは、彼のジャケットの袖を引き寄せ、顔を埋める。


 ほんのわずかに香る、火の匂いと……知らない誰かの“記憶のような匂い”。


 それは、死者の身体にも……たしかな“生”を残す香りだった。


[Chunk8.:別れの朝、そして最初の音]


  朝は、あっけなく来た。


 眠ることのないロメラは、毛布の中で、ずっと隣で寝息を立てるジミの横顔を、静かに見つめていた。


 夜が終わるのを知ったのは、扉の隙間から差し込んだ風が、

 ほんの少しだけ、ぬるくなったからだ。


ロメラは、横たわったまま、静かに目を閉じた。

それはまるで人間の……記憶の中に残る"あの子"と、横に眠る"彼"の真似事をする様だった。

 


————



 気づけば、彼の腕のぬくもりは、いつの間にか遠ざかっていた。


 ただ、祭壇の上に、見慣れた黒いギターが置かれていた。


 艶を失いかけたボディ。

 少し歪んだネック。

 皮のストラップに巻かれた、赤い布切れ。


 それは、確かにジミがずっと抱えていた相棒だった。


 


 ロメラが、戸口まで出ると、朝もやの中に立つジミの背中が見えた。


 彼は振り返らず、ひとつだけ声を投げた。


 


「オレはこの世界で、**Bussin’ Soul(新しい音楽)**を探したい。

 ……だから、そいつはBabyが持っててくれ」


 


 ロメラは、息を呑んだ。

 足が、すぐには動かなかった。


 ギターが、手の中でずっしりと重い。

 体重よりも、記憶よりも、ずっと重く感じるその重み。


「……なんで、あたしに……?」


 


 その問いに、ジミはゆっくりと振り向き、

 にやりと口角を上げて言った。


 


「’Cause you’re still breathin’. And you got somethin’ to say.

 You just ain’t played it yet.(お前はまだ、生きてる。言いたいことがある。けど、まだ弾いてねぇだけだ)」


 


 ロメラは、ギターを見下ろした。

 自分の腕の中にあるそれは、まるで脈を打つように感じられた。


 名もない死人の体に、名前が宿るように。


 声を失った少女の胸に、旋律が息を吹き込むように。


 


 ジミは手を振った。

 それきり、振り返らなかった。


 朝もやに、彼の背中が溶けていく。


 ロメラは、祭壇の縁に腰を下ろし、ギターをそっと抱えた。

 右肩が、ジャケットの内側で軋んだ音を立てる。


 


 弦に、指が触れる。

 その瞬間、風が止んだ。


 


 ——ぽん。


 


 たった一音が、空気を震わせた。


 それは、決して上手くはなかった。

 メロディにもなっていない。

 でも確かに、それは“彼女の音”だった。


 


 死人が、生きる理由を得た。


 それはギターの音だった。

 ロックの音だった。

 ロメラの、新しい“名”だった。



[Epilogue –My First Bandmate]


 


 それから、どれくらい経っただろう。


 オレは今も、あのギターを抱えて生きてる。

 “アイツ”の真似をして、ふらっと街に行って、コイツで小銭を稼ぐこともある。


 ステージじゃなくて、通りの片隅。

 でも、それでじゅうぶんだ。

 音を鳴らして、少しでも風が変われば、それでいい。


 


 あの日もそうだった。

 


「……チッ、また弦切れたじゃん。

 Oh hell no, seriously…?(マジでクソかよ……)」


 声が出たのは、ただの癖だ。

 けど、それがどうやら届いたらしい。


 足音。ためらいがちな気配。

 墓碑の影から覗く、小さな背中と……翼。


 チビ助が、こっちを見てた。

 翼をすぼめて、びくびくしながら、オレを見てた。


(……不気味な見た目だろ? でも、それでも近づいてくるなんて、勇気あるじゃんか)


 オレはギターを弄る手を止めて、そっちを見た。


 「……はぁ? なに、見物かよ、チビ助」


 あの子はびくりと肩を震わせたけど、ちゃんと答えたんだ。震える声で。


 「……あ、あたし、飛鳥って言います……。……九重に、連れてこられて……」


 九重は、いつもの調子でにやけてた。

 扇子を広げて、「可愛らしい子やろ?」なんて言いやがる。


 ふん。

 たしかに、可愛かったけどな。


 だから、オレは笑ってギターを立てた。

 こいつで言葉を語るのが、オレのやり方。


 「Well well… Ain’t you the cutest lil’ chick I’ve seen in a while(ずいぶん可愛い、小鳥ちゃんじゃねぇか)。

 どこで拾ってきたんだよ、Busybody Fox(お節介ギツネ)」


 その日の夜、オレのギターにSoulを重ねた最初のヤツが……あのチビ助だった。


 ──あいつのためなら、また一から弾いてやってもいいかって、今でも思うんだ。


 ’Cause dead girls got heart too.(死体にも、心くらいあんのさ)


————


「……名乗っとくか。オレはロメラ。ロメラ・グレイヴ」


こうして名前を口にすると、やっぱ少し思い出すな。

——"あの子"と"ジミ"のこと。


「まぁ……勝手に名乗ってんだけどな。シャレみてーなもんさ。オレの、“生き返ってからの名前”ってことにしてる」




——完

〜勝手にテーマソング


Jimi Hendrix /Little Wing


-She’s walking through the clouds, with a circus mind that’s running wild.

 (彼女は雲の中を歩く、心には自由奔放なサーカスを抱いて)


-When I’m sad, she comes to me, with a thousand smiles she gives to me free…

 (悲しいときには、何の見返りもなく、千の笑顔をくれるんだ)

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