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君は、風に還る。  作者: 矢崎 那央
第二部
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第二部 最終章 前編 ―籠の終わり、風のはじまり1―

小柄な少女の足が、静かに床を踏んだ。

鳥のような脚は、まだ少しぎこちなく、けれど、迷いはなかった。


後ろで束ねた長い黒髪が、そよぐ風にふわりと揺れる。

肩から肘まで人間の肌を保ち、肘から先は、あの蒼く煌めく羽根に変わる。

自分が一度は嫌ったこの翼を、今はそっと体に寄り添わせていた。


ラボの最奥へと進む廊下は、ひんやりとした沈黙に包まれていた。

壁は崩れ、装置のほとんどは風化し、かつての科学の名残だけが空間に残されている。

それでも——飛鳥の足は、止まらなかった。


目的は、ただ一つ。

あの男に、会いに行くこと。


その答えを、決着を、自分自身の意志で見届けるために。


そして——

扉の向こう、かすかに気配が変わる。


重い扉が、機械のうなりとともに自動で開いた。


そこは、研究施設の中枢部。

中央には、かつて無数の実験と観測が行われた装置の残骸。

床には幾何学模様が走り、未だ微かに青白く発光している。


その中心に、男がいた。


白衣をまとい、無表情の仮面のような顔。

飛鳥を“檻”の中に閉じ込めた男。

かつて、夢の中で姿を見たその視線が、

いま、彼女を真っすぐにとらえていた。


「……LC-10、か。九重の仕掛けで、よくここまで来たものだな」


男の声は、どこまでも淡々としていた。

だが、その目の奥には、見え隠れする苛立ちがあった。


「本来なら、侵入の兆候など——とっくに感知していたはずだ。

だが……あの巫女が、“余計な術”を残していたらしい。観測系が、遮断されていたよ」


肩をすくめる仕草は軽いが、その言葉には棘が混じる。


「まったく……あいつはいつもそうだ。

忠実なふりをして、勝手に“イレギュラー”を仕込む」


飛鳥は一歩、男に近づく。

翼を、ゆっくりと広げる。傷ついた片翼は、まだかすかに痛んだ。

けれどその痛みが、いまの彼女を支えていた。


「……一番最初には、わたしの名前を呼んでくれる人は、ひとりもいなかった」


そう呟いた声は、かすかに震えていた。

けれど、それは怖れではなかった。

その震えは、もう二度と檻の中に戻らないという、静かな怒りだった。


「あなたは、わたしを“LC-10”と呼ぶ。

……でも、わたしはもう、“あたし”になったよ。自分の名前も、声も、持ってる」


男は、その言葉に表情ひとつ動かさない。


ただ、手を伸ばす。

背後に浮かぶ制御端末が、自動で起動しはじめる。


「ならば——回収の正当性は、充分だ。

試験体が過剰な自我を獲得し、“逸脱”した時点で、それは修正対象だ」


床に再び、幾何学模様が広がる。

光が収束し、飛鳥の足元を狙うように、制御陣が輝いた。


「……計画の進行を阻む因子は、除去する。

おまえに、選択肢はない。LC-10」


そのとき——

空気が微かに、震えた。


飛鳥の肩の後ろ。

空気を裂いて、何かが——舞い降りた。


風のように、無音で浮かぶそれは、剣だった。


鈍色に光の浮遊する両刃の剣が、飛鳥のすぐそばに浮かんでいた。

柄のあたりには、淡く光る文様。エナの意識の一部——“飛翔する剣”が、彼女に寄り添っていた。


飛鳥は、その気配に気づいて、かすかに微笑む。


「……エナ……!!」


男の眉が、ぴくりと動く。


「……ほう、まだ“残滓”が機能していたのか」


男の表情に、わずかに焦りが走る。


だが、飛鳥はもう、彼に視線を向けていなかった。

かすかに震えるその刃に、そっと羽先を添える。


「わたしは……あたしは、もう檻の中には戻らないよ」



***



ラボの中心部。浮かぶ記録映像の光を背に、白衣の男がひとり、呟くように語り出す。


「……私には、ひとりだけ、守りたかった人間がいた」


誰に語りかけるでもなく、ただ、己の中の呪詛を吐くように。


「名を、ヨルダ。姉だった。私にとってのすべてだった」


遠い記憶をなぞるように、男の瞳がわずかに揺れる。


「我々の村は、精霊とともに暮らす土地だった。だが、それはただの信仰ではない。精霊——自然のエネルギーそのものを、循環させ、世界を維持するシステム……“世界律”と呼ばれるものの一部として、我々は生かされていた」


指先が、傍らの端末に触れる。ホログラムが浮かび、無数の精霊図式が空間を満たす。


「その中でも特異な存在がいる。“神格精霊”と呼ばれる存在だ。世界を包み込むほど巨大な精霊群の事だよ。彼らが世界のエネルギーを循環させる事で世界は成り立ってる。その中でも、我々が信仰している……いや、管理かな?それが“月の神格精霊”だった」


黒く染まった天井を見上げる。そこには、月の軌道を模した円環が、朽ちかけたまま残っている。


「ヨルダは——その月の神格精霊の次代媒体として選ばれた」


目を伏せ、苦く笑う。


「……選ばれた、などと耳触りの良い言葉で呼ばれていたが。実際には、神格精霊の媒体にされただけだ。自我も、肉体も、言葉さえも失って。ただ、“月の一部”として、世界律に組み込まれた」


その瞬間、映像のひとつに月を模した白い光が揺らいだ。


「私は、姉を失った。ただ、死んだわけじゃない。自我も、記憶も、世界の裏側に消えてしまっただけだ。ならば——それを、取り戻す道はあると信じた」


視線を落とす。そこには、飛鳥のデータを示す識別画面が淡く輝いている。


「それが、“月の檻”計画だ。魂を、精霊を、自我のある存在としてこの世界に固定する。そのために、LC試験体たちは造られた」


男の声が、わずかに熱を帯びる。


「だが、どれも不完全だった。壊れるか、暴走するか、形だけは整っても心を持たなかった。……唯一の成功例が、君だ。LC-10、飛鳥」


その名を口にした瞬間、冷たい静寂が空間を満たした。


「君は、自我を持ったまま精霊と融合し、存在している。魂を失った者が、自分として世界に立っている——それは、奇跡だ。いや、技術の勝利だよ」


男はゆっくりと立ち上がり、機器を操作する。


「次に必要なのは、“統合”だ。ヨルダの魂と記憶を、君の中にインストールする。君の魂も、彼女の一部として残る。……悪い話じゃない。誰かの一部になれるなんて、幸福じゃないか」


──だが、その言葉に。


「……っ、ふざけないで……!」


震える声が、空間に響く。


飛鳥だった。

傷を押さえ、それでも目を逸らさずに男を見据えていた。


「確かに、前のあたしなら……。消えてしまいたくて、自分のことが大嫌いな……。そんな“あたし”なら……あなたが欲しいって言うなら、身体くらいあげてたかもしれない」


翼を震わせ、ゆっくりと立ち上がる。

その姿は、傷だらけで、それでもひとりで立ち上がった“小さな自分”だった。


「でも、今はちがう。みんながいて、あたしはあたしのまま、生きていいって、そう教えてもらったの」


言葉の最後が、少し涙に濡れる。


「だから、あたしは……ヨルダさんじゃない。誰かの代わりなんかじゃない! あたしは……“飛鳥”だよ!」


飛鳥の叫びが、残響のようにラボ全体を震わせた。


白衣を着た彼は、しばらく無言だった。


だが次の瞬間、男の手元にある黒い装置が、音もなく開いた。

装置の中央に埋め込まれた球状のコアが、脈打つように光を放つ。

周囲の空間に、幾何学の光が走り始める。


「……そうか。なら、上書きだ。オマエには完全に消えてもらう」


感情を殺した声だった。


装置から放たれた光が、飛鳥の胸元へと滲むように迫る。

魂の中枢に指を伸ばすような、淡く、それでいて強引な光の手。


飛鳥は動けない。痛みで膝が砕けそうになりながら、それでも背を反らして抗おうとした。


「つっ.…やめてっ……!」


声が掻き消えるのとほぼ同時に、装置が一段と強く輝いた。


空気が揺れた。


ラボ全体の温度が、一度だけわずかに低下する。

天井の装置が軋み、ホログラムの光が一斉に不安定なノイズを発した。


外の空が──かすかに、歪んだ。


わずかな風が逆巻くように流れ、どこからともなく精霊のざわめきが響く。


精霊たちが、恐れ、避けるように、空気の層を巻き込んで去っていく。

誰もその正体を口にしないが、本能が告げていた。

これは、“そこ居るべきではない者”の到来だった。


だが、白衣の男の顔に迷いはない。


「……始まったんだ。もう止まらない。彼女は戻る。たとえこの世界が──少しぐらい歪んでも、構わない」


光がさらに広がる。


そのとき──


鋭い衝撃音が響いた。


浮かんでいた光の奔流の一部が、突如としてはじけ飛ぶ。


飛鳥の眼前へと、ひとつの剣が滑り込むように割り込んできた。


──エナの“剣”だった。


白衣の男は顔をしかめる。


「……まだ抵抗するのか。たかが、意志を持った武装が……!」


男が手をかざすと、空間が歪み、剣を押し戻す。

だが、剣は何度も舞い戻る。空間を縫い、光を斬り、必死に飛鳥の前に立ち塞がる。


その姿は、まるで言葉を持たない守護者だった。


「やめろ……それはキサマの主じゃない。キサマの本体はもう既に──!」


男が怒鳴りかけたとき、剣の刃先が装置の根元に触れた。


微かな亀裂が走る。


「──!」


白衣の男の顔色が、変わった。


装置の光が明滅を繰り返す。

インストールに必要な“接触”が中断されたのだ。


「……くそ……くそっ……!」


男は後退しながら、別の端末を起動しようとする。


そのとき——


装置の根元、接続部に仕込まれた微細な術式が作動した。


光が瞬き、浮かんだ神経接続の陣が——焼き切れた。


「……なッ——!?」


男が振り返ったときには、術式の中心で緑色の残光が消えかけていた。


“誰かが、そこに罠を仕込んでいた”

そう気づいたときにはもう、計画は頓挫していた。


男の表情が、苦々しげに歪む。


「……またか……あの女め……っ。式神のくせに、どこまで邪魔すれば気が済む……!」


飛鳥の翼がエナに触れ、剣の緑のコアが、一度だけ明るく灯る。


それは、ささやかな意志の共鳴だった。


光が──止まった。


白衣の男は、肩を震わせながら、低く呻くように言った。


「……まただ……あと少しだったのに……っ」


彼の視線は、壊れかけた装置に落ちている。

それはまるで、誰にも届かない祈りを見失った、子供のようだった。



***



術式の崩壊を前に、白衣の男はなお諦めていなかった。


「……いいだろう。ならばせめて、確保だけでもさせてもらうぞ、LC-10」


彼の手が、新たな端末に走る。


床の奥から蠢き出る、闇のような触手。

——それはもはや術式というより、有機的な禍々しさを孕んでいた。

幾重にも絡むイソギンチャクの触手のような、うねり、波打つ束。

その一本一本が、執拗に飛鳥へと迫る。


エナの剣が前に立ちはだかる。

剣は空中で閃光を放ち、何本かの触手を薙ぎ払うが——


「くっ……!」


飛鳥は、足を取られた。

触手が足に絡みつき、翼を縛る。


「や……っ!」


身体が逆さに吊られ、動けなくなる。

白衣の男が、嗜虐めいた笑みを浮かべたそのとき——


「——暴れる準備は万端だぜ。ようやくな」


耳慣れた、しかし力強く響く声。


次の瞬間、天井の崩落した瓦礫の隙間から、鋲のついたブーツが落ちてきた。


——いや、それはブーツを履いた紫色の影。


彼女のブーツが術式装置の基部を蹴り潰し、爆ぜるように光が砕ける。


「——っ!?」


白衣の男が目を見開く。


ロメラ。

ギターを片手に、火花を纏って着地。

その手がしっかりと握ったギターには、黒炎のように巻き付く黒糸と、黒糸から爆ぜる無数の火花。

くしゃっと乱れた髪を振り払うようにして、ニヤリと口角を吊り上げる。


「Nice to meet you, Papa Trashman

(はじめまして、親愛なるゴミクソお父様)。

不出来な娘の登場だ。お望み通り、めちゃくちゃにしてやるぜ?」


その言葉と同時に、ツギハギの腕から更に黒糸が立ち昇る。

彼女が腕を振ると——衝撃波のような風が、絡みついた術式の残骸をまとめて弾き飛ばす。


瓦礫の隙間から、続けざまに二つの影が降り立つ。


ノーニャ。

身をひねりながら、ふわりと地に降り立つ。

しっぽを高々と掲げ、肩で息をしながら、にゃっ、と笑った。


「うにゃぁ…遅刻しちまったぜ——

まぁ、飛鳥にちょっと貸し作っとくには充分かにゃ?

おい、クソご主人……まずはてめぇからぶっ潰すぜッ!?」


閃く爪が、飛鳥を掴もうと迫る触手を真っ二つに裂く。

その表情は、戦いの匂いに興奮した獣そのものだった。


続けて、ウェーリー。

最後に降り立ったその姿は、まるで風に導かれたような静謐さ。


着地と同時に、長い尾が水流のように巻き上がる。

手のひらを前に出し、優雅に一礼。


静かに、しかし確実に言葉なく目で示す。

——「この子は、私たちが護る」と。


 

飛鳥を縛る術式が、次々に引きちぎられていく。

熱と音と水流が絡み合い、戦場は一瞬で逆転する。


ロメラがギターを肩に担ぎ、舌打ちするように言い放つ。


「見てたぜ、リンド。オマエと、エナの戦い。

止めに入りたくてしょうがなかった——でもよ、Lady Chill(冷酷狐)に"エナを救うために"って懇願されてな……」


顔の前でギターを鳴らし、くしゃっと笑う。


「……だからな。ため込んだフラストレーション、今ここで全部ぶつけさせてもらうぜ。

こいつが不良娘の、ケジメってやつだ!!」

 

術式が砕け散り、飛鳥はついに解放される。

仲間たちの力によって、再び地に足をつけたその瞬間——


戦いの、第二幕が始まる。



***



術式が破られ、飛鳥を取り戻された白衣の男は、一瞬、ぽかんとした顔を見せた。


だがすぐに、表情を引き攣らせながら、ゆっくりと手袋を直し、冷静を装う。


「……やれやれ。失敗作を放置していたせいで、こんな事になるとはな」


吐き捨てるような声。

だが、その口調の裏に、明らかに怒りと焦りが混じっていた。


「もういい。LC-10以外は、すべて処分する」


その言葉と同時に、男の白衣の袖から滑り出たのは、真っ黒な札の束。


それは、呪術的な意匠が描かれた、闇の気配を纏った紙片。

だが、振るわれた瞬間——紙ではなくなった。


空間を裂き、刃となり、稲妻のように三人に襲いかかる。


「チッ、やっと派手に来やがった!」


ロメラが即座にギターを振るう。


ストリングの代わりにギターに張られた黒糸から、不協和音を含む音圧の壁が形成され、いくつかの符をはじき返す。

しかし、その背後から別の符が回り込む。


ノーニャは地を滑るように跳び、爪で迎撃しながら叫ぶ。


「何だよコレ、物理も術も混ざってんのかよッ!」


ウェーリーは尾で渦を巻き、水流を起こして応じるが——

それをも貫く、硬質な闇の斬撃。


符は単なる術式ではなかった。

呪詛・拘束・幻惑・毒・圧力——あらゆる異能が、立体的に襲いかかる。


「ちぃ……やっべぇな、こりゃ」


ロメラの肩が裂け、赤が滲む。


ノーニャは息を荒げながらも、盾となって飛鳥を庇う。


ウェーリーは地面に尾を下ろしながら、水鞭で次の一撃を逸らすが、呼吸が浅い。


 その中心で、白衣の男が口角を釣り上げた。


「見ろ……これが“完成品”と“廃棄物”の差だ。お前たちは残滓にすぎん。失敗した思想、意味を持たない造作物だ」


白衣の男は、腕を組み、ふんと鼻を鳴らした。


「……やはりLC-10は、あのとき、さっさと回収するのが正解だったな。くだらない感傷を——あの女の"おままごと"に付き合って、私は何度そう思わされたことか」


飛鳥を一瞥し、冷笑する。


「“旅”? “仲間”? ——滑稽だ。

私はLC-11の眼を通して、君の道行をずっと観測していたよ。

あれを“成長”だの“変化”だのと呼ぶとはな。まるで劇でも見ている気分だった。退屈な、素人芝居だ」


唇の端が歪む。


「……あの目玉娘も、せいぜい気取った観測者のつもりだったんだろうがな。

お似合いだよ、君たちは。凡俗同士、傷を舐め合う姿が実に微笑ましかった」


その声には、心底からの軽蔑と——何より、痛々しい嘲笑が混じっていた。


飛鳥が何かを言おうと息を呑むより先に——

白衣の男は、戦況を見渡しながら、肩をすくめた。


「ふ……フフ……見ろよ、これが“現実”だ。

幻想に酔い、感傷に溺れた愚か者が、どうなるか……」


額を軽く指先で叩く。


「君たちは、科学にも術にも勝てない。

この符一枚に、どれだけの術式を刻んだと思っている? お前たちの“感情”など、私の前には塵芥にすぎない」


目の奥が細くなり、口調が滑らかになっていく——

優勢になったことに酔い、支配者ぶる。


「だから私は勝つ。私は、“勝つ方法”を持っている。

お前たちは、“勝ちたい理由”しか持っていない。

——それが私とお前たちの明確な違いだよ」


背後の光を浴びて立つ男の姿は、一見すれば威厳を帯びて見えた。

だが、その言葉の一つ一つが、怒りの震えと未練のにじむ、浅ましき執念だった。


そして、男は袖からバサバサと、再び無数の呪符を展開する。

飛鳥を狙って黒い符が収束しようとした刹那——




——無数の紅の符が、空から雪のように舞い降りた……。


赤い光が黒を焼き払うように降り注ぎ、戦場に渦巻いていた呪術の気配を一気に塗り替える。


床に青白い焔の旋風が渦巻き、中央に、白い巫女装束の影が現れた。

白いポニーテール。顔には狐面。


——九重(ここのえ)だった。


どこか満足げな余裕すら滲むその姿に、白衣の男が目を剥いた。


「またお前か。どこまでも目障りな!いつから見ていた!?」


「さぁて、いつからや思います? ……まあ、“見てる”んやなく、“見られとった”方が、気持ちよぉ勝たはるんやないか思うてな?」


「ようやく来たか、Lady Chill。ったく、登場の演出はいつも完璧だな」


ロメラがギターを杖のように地面に突き立て、笑った。



***



白衣の男は顔を拭いながら、再び冷静を取り戻したような表情を作る。


そして、九重に向かって尊大な口調で、言葉を向ける。


「ふっ……しかしオマエは所詮式神。"システム"として主人の命令には逆らえない」


九重は、ゆったりと肩を揺らしながら応じた。


「せやなぁ。ウチは旦はんの"命令"には、よう逆らえまへん。そういう風にできとりますなぁ」


「それで良い。飛鳥を捕らえ、私の所へ連れてこい——」


その言葉に、九重は、まるでカーテンコールの演者のように一礼してから、ゆるやかに振り返る。


飛鳥の方へと歩み寄り、膝を折ると、静かにその身体を抱き上げた——


「え……? ちょ、ちょっと……!?」


——唐突なお姫様抱っこに、飛鳥の顔が赤くなる。


九重は何も言わず、男に背を向けたまま、ふわりと男に近づくように後ろに跳躍した。


衣の裾が舞い、弧を描いて空を裂く。

まるで舞を踊るように——


「Velvixen!?

テメェまさか!裏切る気かよッ!?」


ロメラの怒声が響いた。


「そうだ、九重。それでい——」


男が言いかけた瞬間、


——バキィッ!!


軽やかに回転しながら、九重の右脚が大きく旋回。

下駄の歯が、鋭く、正確に男の顔面に命中する。

鈍い音とともに、男の身体が1メートル以上吹き飛び、床を転がった。


そのまま、男の立っていた、まさにその場所に、九重がトンッと着地する。


腕にはまだ、飛鳥を大事そうに抱きかかえたまま。

首だけを男の方に傾けて、いたずらっぽく笑う。


「はいな、ちゃぁんと“旦はんの立ってた所”にお連れしましたえ?」


ふふ、と笑いながら、さらに続ける。


「……まあ? ちょぉっと“邪魔なもん”があったさかい、退かしましたけど。

主人の命令を、"指示通りに正確に"守るのが、式神の役目。しかたありまへんわなぁ?」


その言いぶりと表情は、まるで芝居の一幕のようで、

もし片手が空いていたなら、いつものように扇子を開いて口元を隠していたに違いない。


「BWAAAAHAHA!! —!!」


ロメラが豪快に笑い出す。


「さすがだぜ、Lady Chill!!

That’s one hell of a Rolling Sobat!!(見事なローリングソバットじゃねぇか!!)」


飛鳥は、まだぽかんとしていた。

だが、少しずつ状況が理解できてきたのか、思わず吹き出す。


「——ぷっ、あは……っ!」


その笑い声を聞きながら、九重は再び風をまとって舞い上がる。

そのまま、抱きかかえた飛鳥と共に、戦場の縁へと後退していく。


床に倒れていた白衣の男は、鼻を押さえて絶叫した。


「もどふぇっ! ここのふぇぇぇっ!!」


風の中から九重らしからぬ大声が響いた。


「すんまへんなぁ〜!! 風が強ぉて、なーんにも聞こえまへんわ〜!!」


紅の符を纏った風が、清々しいほどに男を嘲笑っていた。



——つづく


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