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君は、風に還る。  作者: 矢崎 那央
第二部
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第二部 第九章 後編 ―無垢なる刃―

挿絵(By みてみん)


——クィィィン


誰に開けられるでもなく、棺桶のような箱が、鈍く、湿った音を立てて、ゆっくりと左右に開口して行く。


飛鳥が息を呑む。


大きく口を開けた棺桶の中は暗く、奥ははっきりとは見えない。

その闇から、ぬるりと何かが現れ、箱の淵を掴んだのは、鋭角で硬質な指。


ついで、兜が現れる。

漆黒に近い装甲に、淡い緑の文様が浮かぶ。

目庇(まびさし)の奥は暗く、表情を伺い知ることはできない。


続いて、足。

カシャリ...と思いの外軽い音が鳴る


続いて、胴。

胸部の中心には、濁った眼球のような大きな飾りが、わずかに明滅していた。


薄灯の差す部屋の中、装置から現れたそれは、光沢のある黒い素地に、ライムグリーンの紋様やラインが、ゆるやかに揺らめく全身甲冑。


ゆっくりと腰を伸ばし、その甲冑は箱の外に立ち上がった。


飛鳥の喉が、すうっと乾いた。

怖い。でも、声を出さずにはいられなかった。


「……ねぇ...

あなたも……“造られた子”なの……?」


返事はない。ただ、鎧の肩が、わずかに動いた。


ガシリ。


甲冑の右腕が、背後の装置から、長い剣を引き抜いた。

鎧と同様、眼球のような飾りが施された異様な刃が、空気を裂くように姿を現す。

どこか濁ったレンズのようなその眼が、ぎょろりと飛鳥を見た。


——それは明らかに“生きていた”。


その瞬間、飛鳥の背にぞわりと寒気が走った。

続いて、左手には盾のようなものを——取り出す。その中心には同じく眼球。ぎらりと飛鳥の方を睨む。


飛鳥は一歩下がった。

けれど、エナは追いかけてくるわけではない。ただ、静かに佇む。


——次の瞬間


エナが、一切の予備動作なく繰り出したのは、"斬撃"

それは、腕が剣を振ると言うより、剣が先に動き、続いて腕を引っ張っている。そんな動き。


「っ……!」


飛鳥は、その動きを確かに目で捉え、鉤爪で床を蹴り後ろに跳ねた。

逆袈裟斬りが空を切る。


飛鳥は反射的に地を蹴り、翼を広げて空へと舞い上がった。


天井近くまで退避し、床を見下ろす。

黒とライムグリーンの鎧が、床の上からこちら見上げている。


「あたしを...敵だと思ってる……!?」


目を細めて、下に立つその姿を見つめた。あの甲冑は、やはり普通ではない。


「さっき……見えた。兜の奥の顔……」


斬撃を避けた刹那、天窓の明かりが兜を照らし、その隙間に“少女の顔”が一瞬見えた。


白く、無表情で、蝋人形のような顔立ち。

眼球はなく、そこにあるのは緑に淡く光る空洞。

それは、確かに人の顔だったが、生気はなかった。

息をしているようには見えず、生きているかどうかすらわからない。


まるで、誰かが“映し出された”みたいだった。

アクウェリーナの"無表情"とも違う。まるで鎧が人間のふりをするためだけに縫い付けられたようなそれ。


「……あれは、女の子だった...あの娘(こ)は...」


——飛鳥が逡巡する、その隙。


エナの右腕が、振り抜かた。

眼球のついた剣が、飛鳥目掛け風を真っ直ぐ飛ぶ。

その動きは直線的で、避けるのはたやすかった。


「っ、そんなの——」


翼をひと打ち。風を掴み、剣の軌道を見切って軽く身をずらす。

狙いが単純すぎる、そう思った、その瞬間。


——風が、逆巻いた。


剣が空中で急旋回した。

眼球の中心が、ねっとりとこちらを見据え、明確に飛鳥を追ってくる。


「うそ……っ!」


身体をひねって逃れようとしたが、遅かった。

鋭い斬撃が、左の風切り羽をかすめる。


びっ、と羽が裂ける音。数枚の羽毛が空に舞い上がる。


「……っつ……!」


痛みと同時に、バランスが崩れた。

片翼で姿勢を保とうとするも、身体がふらつく。


ふわりと空中で一息。

眼下には、変わらず鎧の少女が、静かにこちらを見上げている。


その視線に、怒りも、激情もない。

理解が追いつかない。


「ねえ……どうして、いきなり……!」


声は、かすれるように空へ溶けた。

返事はない。ただ、剣がまた、ぬるりと空中を滑って主のもとへ戻っていく。


剣が、ふたたび浮かび上がった。


エナの手元を離れた瞬間、剣は空中でいくつもの軌道を描き——蛇のように、鞭のように、縦横無尽に空を舞いはじめた。


右上から、左下へ。

回り込むように後方から、今度は真上から。

しかし、飛鳥には次の動きが、全て視える。


身体が、風とともに舞う。

小さく、鋭く、羽音が鳴るたびに、斬撃を一枚、また一枚と交わしていく。


「だいじょうぶ……ちゃんと全部見えてる」


息を飲む暇もない。

けれど、恐怖よりも先に、身体が応える。


——しかし、


「……っつ!」


さっき裂かれた羽の、根元がずきんと痛んだ。

バランスが一瞬崩れ、姿勢が乱れる。


しまった、と思った時には、もう遅かった。


剣が、鋭い軌道を描いて飛鳥の脇腹をかすめる。

鋭い風と一緒に、羽毛がまた散った。


「っぐ……!」


跳ねるように空を蹴って距離を取る。

痛みは浅いが、翼に走る痺れが深く響く。


見下ろせば、エナが、変わらずにただ見つめている。

敵意はない。それでも、剣は止まらない。


戦いたくない。

でも、あの子には、自分の声は届いていない。

なら、どうすれば——


「……やるしか、ない…」


小さく、誰にも聞こえない言葉が、唇から漏れた。


手に、風を集める。翼をきゅっと震わせる。

まだ、飛べる。空中は依然として飛鳥のフィールドだ。


迷いを孕みつつも、飛鳥戦う事を決めた。



***



光がきらめいた。

飛鳥の前を、眼のついた剣が縦横無尽に翔ける。

ただの直線軌道ではない。不意に折れ、軌道を変え、迫ってくる。


だが、飛鳥の瞳はそれを捉えていた。


肩をひねり、羽を折り、くるりと旋回。

一撃、また一撃を、わずかな隙間を縫って掠らせず避ける。

その動きは、まるで刃の迷路をすり抜ける渡り鳥のようだった。


そして、次の瞬間。

——“ここしかない”。


飛鳥は、目標を定めた。

空中から、まっすぐに落ちる。

翼をすぼめ、身体を刃のように絞り込む。


——その真下、エナが剣を振り上げた。

投げたはずの眼球の剣が、手元に戻っている。

瞬時に繰り出された斬撃が、飛鳥をまっすぐ両断しようとする。


(……躱せる!)


飛鳥は身を捻った。

しかし——


「っぐ……!」


傷ついた翼が、痛みを伴って痺れた。

刃が羽根を掠め、鋭く裂いた。

感覚が麻痺し、身体がぐらつく。


飛鳥は、残った片翼で空気を切り、姿勢を強引に立て直す。

重力を味方につけて、爪先を前に押し出す。

旋回ではなく、ただ一直線に、兜を狙って叩きつける。


咄嗟に、エナが盾をかざす。

だが、加速した鉤爪の勢いは、そのまま盾を押し返し——


衝突音が、空気を裂いた。


兜が吹き飛ぶように弾かれた。

重厚な金属が歪み、ひしゃげた音を立てながら床に転がる。



***



飛鳥は息を切らしながら、静かにその“中身”を見つめた。

——隙間から僅かに覗いていた“少女の顔”。

蝋細工のように白く無表情で、緑に淡く光る虚ろな瞳が、はっきり目前にある。


でも、どこかおかしかった。

その顔には、命の気配がなかった。

まるで、そこに“いる”ふりをしているだけみたいに。


(……これ、中身じゃない)


目に映っていたのは——ただの“映像”だった。


映し出された幻。

人間のふりをしただけの、虚像の少女。


(この子……本体は、こっちだ)


視線を下ろす。

砕けた兜、落ちた剣、ひざまずいたままの鎧。

それらすべてが、ひとつの“存在”だった。


少女の姿は仮の皮。

中にいるのは、“意思を持った鎧と剣”そのもの。


——その気付きと同時に、鎧ががくりと崩れた。


剣が力を失って床に伏し、兜が転がる。

膝をついた胴体だけが、辛うじてその場に残っていた。


そして、その音がした。


ガシャ、ガシャン。


ぎこちなく、重たい金属が、バラバラと動き出す。

それは組み上がるようでもなく、崩れるようでもない、妙な音。


「これ…この子が、ひとりで立とうとしてる音だ…」


支えもなく、手探りで、倒れかけながら。

力加減もわからないまま、ただ立ち上がろうとする音。

飛鳥はその姿に、ふと目を見開いた。


記憶の底。

風に触れたばかりの自分が、よみがえる。


——鳥籠を出たその日。


翼の動かし方も知らず、どの関節を使えば羽ばたけるかもわからず。

ただ草の上で、足をもつれさせながら、風に怯えながら歩いていた。


(あのときの、あたしみたい……)


動けなかった。

けれど、歩こうとした。

うまくいかなくても、理由なんてなくても、ただ外の世界に触れたかった。


鎧がまた、ぎしりと軋む。


そのとき、ふとよみがえる記憶があった。


(……そういえば、あの箱。あの棺桶みたいな……)


さっきまで、あの子が眠っていた箱。

閉ざされ、開けられるまで一度も出られなかった場所。


(……あれ、……あたしの“鳥籠”みたいだった)


胸が、少しだけ痛んだ。


(……あの子、外に出たばっかりなんだ)


飛鳥は、ふと自分の脇腹に手を当てた。

そこには、まだ斬られたときの傷がある。


思い返す。あの斬撃の軌道。

整っていなくて、力の入れ方もおかしくて。


加減を知らない手。

どれくらいの力で触れれば、壊れるかもわからない。

ただ、“何かに触れたい”と伸ばされた手。


(そうか……そういうことだったんだ)


刃が暴れていたんじゃない。

手探りで、ただ届こうとしていた。

その“形”が、たまたま剣だっただけ。


飛鳥は、そっと目を伏せた。


崩れた剣が、這うようにして胴体のもとへ近づく。

兜も、がらんとした音を立てて、ぐらりと傾きながら持ち上がる。やはり、その様子はどこか不格好で、幼い。


飛鳥は、痛む翼をそっとたたもうとした。


すると——


鎧の肩が、飛鳥が動かしたのと、同じような位置へ、肩を引くように動いた。


(……いま、真似……した?)


また翼を少し開いてみる。

遅れて、エナも肩を広げる。


ぎこちない。意味もない。

理由も、目的もない。

ただ、やってみたかっただけ。

できるかどうかじゃなく、“してみたい”という気持ちだけがそこにある。


その動きは、まるで。


——言葉も知らず、目に映るものに手を伸ばす、赤子の様だった。


世界に触れたばかりの、小さな誰か。

触れ方も、歩き方も、力の入れ方もわからない。

けれど、それでも——どうしても、触れてみたかった。


飛鳥は、ぐっと胸の奥が熱くなるのを感じた。


(この子、やっぱり)


「……赤ちゃん、みたい……」


ぽつりと、口からこぼれた言葉。


それは、自分の過去と、今目の前にいる“誰か”が、

同じ場所にいたのかもしれないという、気付きだった。


"鎧たち"が集まり、再び人の形を取る。

膝を折って立ち上がろうとするが、グラグラと不安定に揺れる。


それは、よちよちと、すり足で踏み出す幼子のようだった。


エナは、グラグラとした膝立ちのまま、再び鎧の腕を伸ばし、浮遊する剣を飛鳥に向ける。

しかし、やはりそれは攻撃の構えではない。むしろ、知らない場所に置かれた幼児が、不安と少しの勇気を持って、外界を触って確かめようとしているような——


飛鳥は、息を呑む。

その動きに、胸の奥が、ぎゅっと締めつけられる。

怖いはずなのに、泣き出しそうな気持ちになった。


と、次の瞬間。


空気が弾けるような音がした。

——風の中に、何枚かの朱の符が舞った。

空間を漂いながら、円を描くようにエナを回り込み、やさしく包むように漂う。


やがてその符が、淡く光ると、金属の軋みが止まり、ゆるやかに、エナが、止まった。


ただそこに、静かに膝をついた姿のままで。

甲冑の各部が、ゆっくりと収束し、整えられていく。


(これ、九重の?)


この符は、あの人のものだ。


『……ようやく、効いてきたみたいや。ウチの"たまご細工"』


背後から、良く知った声が聞こえた。


飛鳥が振り返ると、

そこには、扇子を持った白装束の巫女が立っていた。

しかし、その姿はゆらりと揺らめき、後ろが透けている。


「九重……?……」



『これは、ホンマもんのウチやのうて、符に刻んだ"ウチの記憶"みたいなもんや…

ほんまは、この術、動かん方がよかったんやけど...』


"九重の記憶"は、顔を伏せ、視線を逸らした。

 

飛鳥はふと、思い出した。別れ際、九重が言っていた。


『"いろいろと"仕込みをしてる』


「これも...その一つ?」


術の残光が消えていく中で、

九重は静かに、飛鳥の隣にしゃがみ込んだ。


ふと、その半透明の手をのばし——

飛鳥の頭に、そっと触れた。


『あの子……“エナ”いう名前やろか?

あんたが、"この子と会った時"、そして"逃げずに向き合ってしまったとき"のため、この術を仕込んどいた…』


その声音には、かすかな迷いと、後悔の色が混じっていた。


『……かんにんな。あんたが、自分の事で大変なのは、もちろん、ようわかっとる』


「え……?」


『あんたは、この部屋を素通りもできた。あの子を見た時、入り口に戻ってすぐ逃げる事もできた。

——それに、"現在(いま)"の飛鳥の実力なら、やろうと思えば、あの子を簡単に壊す事も』


『でも、あんたはどれも選ばへんかった』

 

飛鳥は、何も言わなかった。


エナは、ただそこにいる。

止まったまま、光の中で、じっと膝を折って。

まるで誰かを待っているように。


『この術はな、あんたの心が、あの子に直接ふれるようになってる。“心ん中”に行って、喋られへんあの子と語らうことができる』


「……心の、なか……」


『あの子はな、旦はんが"造りかけて"早々に失敗作と断じた娘(こ)や。自我も作りかけ……

ロメラやレーナと違うて、ちゃんとした心もできてない、やや子(あかちゃん)みたいなモンや。

......ウチはな、あの子を助けたげたい。ほんまは、ウチがやるべき事や。

けど……あんたやったら、飛鳥やったら、ウチより、あんじょう上手に、あの子を救える。そんな風に思って、"飛鳥があの子と向き合おうとした"ときは、この術が働く様にした』


九重は、そっと立ち上がる。


『……あの子にとって、初めての“誰か”になったげて。

たったひとつでええ。なんでもええ。

なんか、渡したげてな。あんたの声でも、ぬくもりでも』


飛鳥は、小さく頷いた。

——あたしが、あの子を助ける。

かつて、九重があたしにしてくれたみたいに...


"九重の記憶"は、まるで飛鳥がそう答える事がわかってたかのように、静かに微笑んだ。


『……頼んだえ、飛鳥』


その言葉とともに、九重の姿は風に滲み、

すうっと空気に溶けていった。


あとには、膝をついた甲冑と——

それに向かい合う、飛鳥の小さな背だけが残されていた。



***



——ふわり、と。


風もないのに、浮かんだ感覚があった。


飛鳥の足元がほどけ、重力がなくなる。

ただ、どこかへ向かって、“沈んでいる”ような感覚だった。


ほどなく、世界が白く変わる。


何もないのではなく、まだ“定義されていない”場所。

胎内のような、閉じた世界。


気配があった。

すぐそこにいる、ごく小さな気配。

けれど、姿は見えない。

隅っこに座って、こちらをじっと見ている誰か。


飛鳥は、ゆっくりと跪いた。

そして、静かに語りかける。


「こわいんだよね?……あたしもね、こわかったんだよ……」


声が、白の中に吸い込まれていく。

でも、どこかで、小さな揺れが返ってきた気がした。


「最初に鳥籠から出た時……

うまく歩けなくて、翼の動かし方すらわからなかった。

指も掌もない翼じゃ、なんにもさわれないって思ってた……」


手を伸ばす。

ただの空間に、何かがあると信じて。


「でも……触れたかった。

どんなに怖くても、外の世界を……“誰か”を、知りたかった……」


その言葉に、白の中で——なにかが、微かに光った。


淡い、緑色。

それは、エナの瞳と同じ色。

白の中に、ぽつんと灯る、小さな光。


飛鳥は、そっとその光に歩み寄った。


そっと、翼を伸ばす。

指のない翼では、何かに触れるのが怖くてたまらなかったあの日。

それでも、世界の向こうへ翼を伸ばした——あの日の自分のように。


羽根が、光に触れた。

その瞬間、世界が——ふるり、と優しく震えた。


飛鳥の胸に、色と音が流れ込む。

それは、産声を迎える前の、静かな胎動のように。


——暗い棺。

そこから差しこむ、まばゆい光。

長く閉ざされていた扉が、静かに開かれていく。


最初に見えたものは、透きとおる青い羽根。

まるで、生まれたばかりの赤ん坊が最初に見る“お母さんの顔”のように、やわらかく揺れていた。


「これが……この翼が、この子にとって……生まれて初めて見た“誰か”……」


かつて、憎んでいたこの羽根が。

この子にとって、最初の光であり、触れたいと思った“何か”だった。

その事実が、胸の奥にそっと、あたたかく灯った。


——こんな風に、誰かに“触れられた”ことが、あたしにもあった。


いや、正確には……“あたしの中にいた、あの子”の記憶だった。


ヤオの力を借りて、新月の夜に取り戻した記憶。


小さな女の子が、泣きながらしゃがみこんでいた。

その肩を、やさしく包んでくれたのは——あたたかな、大人の手。


ぬくもりが、体を、心を包む。

その感触は、今でも、あたしの中にちゃんと残ってる。


……あの時、あの子が、"あたし"がもらった愛を。


「今、それを、あたしがこの翼で、あなたに、わたしてあげられる」


飛鳥がそう呟いたとき、淡い緑色の光がそっと触れてきた。


影が、飛鳥にふれる。

翼に、胸に、頬に、髪に。まるで何かを確かめるように、ふにふにと触れてくる。


「この子……ただ、わたしに……触れたかったんだ」


初めて見た世界の中で、たったひとつの“色”。

この子にとって、わたしは——“最初の誰か”だった。

その姿に、すがるように。まっすぐ、拙く、何度も。


飛鳥の胸がきゅっと痛む。

翼を切り裂かれたあの痛みさえ、今は不思議と、怖くなかった。


「……こわくていいよ。まちがえても、痛くても、へたっぴでも……」


「あなたが、生まれてきてくれたことが、うれしいよ」


影がふるえた。

空気の奥で、小さな、小さな音が生まれる。


——「……ぁ……」


それは、はじめての音。

意味も言葉もない。けれど、それはまぎれもない産声だった。


飛鳥は、そっと微笑んで、目を閉じる。

痛む片翼から、熱いものが流れ落ちていく。

血潮が地に滲み、それでも、心は満ちていた。


(この痛みは、この子を、わたしが受け止めた証)


「ありがとう……あたしに……触れてくれて」



——つづく

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