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君は、風に還る。  作者: 矢崎 那央
第二部
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第二部 第九章 前編 ―風の辿り着く場所―

旅の風が、少しだけ向きを変えていた。

岩と草の匂いが入り混じるこの山道の、乾いた風が、もうすぐ訪れる終わりを静かに告げていた。


飛鳥(あすか)は、翼に風を感じながら思い出していた。

ヤオが別れ際に言った言葉


——「もう旅の終わりも近い。あの狐...いや、九重もすぐ合流するじゃろ」——


(……本当に、もうすぐなんだ)


細い鳥の脚で足元の岩を踏みしめ、遠くを見つめるその背後。


「Heave-ho!!、しけた風だな」


ロメラがツギハギだらけの腕で背中のギターケースを背負い直しながら、軽口を叩く。


その隣では、ウェーリーが宙にふわりと浮かびながら、静かに魚の様な尾鰭を揺らしていた。


そして、その風の中に。


「……ひゃぁ、ちょっとは待ってくれはったらええのに」


ひときわ、柔らかい声が響いた。


全員が、その声にピタリと反応し、おもむろに振り返る。

飛鳥たちの背後からゆっくりと歩み寄ってきたのは、


——巫女装束に身を包み、狐面を後ろに下げた背の高い少女。


朝陽のように白く長い髪を、高いところで結えてふわりと揺らしている。


「おいおい、やっと合流かよ」


ロメラが声を上げる。


「Thought you ghosted us for good, Lady Chill.

(マジで蒸発したかと思ったぜ、冷徹ギツネ)」


「Pray, do not hurry so. The wind carried me here. And found you wearing such lovely faces.

(そう急かしなや。風に乗って参じたら、あんたらがちょうどええ顔しとったんや)」


その言葉に、ロメラは肩をすくめ、ウェーリーは尾鰭を一度だけ揺らす。


飛鳥は、気づけば足早に駆け寄っていた。


「……九重(ここのえ)!」


そこには、言葉以上の感情が込められていた。


「……よう頑張ったな、飛鳥。ウチがおらん間に、ええ顔にならはって……ちょっと妬けるえ」


九重は、やわらかく微笑む。

扇子をそっと開いて、ひらひらと風に泳がせながら、飛鳥の頭を一つなでるように叩いた。


ふと視線を横に向け、ウェーリーに目を留める。


「……ウェーリー、あんたも元気そうで。飛鳥と一緒に居てくれて、おおきにありがとう」


ウェーリーは瞬きを一つだけ返し、尾鰭を柔らかく揺らした。


「さて、もうひと踏ん張りや。付き合うてな、もうちょっとだけ」


そして、九重は静かに、洞窟から続く山道へ目を向けた。


「ここの先が、この旅の終点。ウチらを作った...飛鳥を"籠"に閉じ込めた"白衣の男"......まあ、ウチは一応、旦はんて呼んだげまひょか」


彼女は、変わらぬ微笑みのまま、しかし声だけを少しだけ落とす。


「旦はんのラボ...月の檻に囚われた娘(むすめ)達の揺籃(ようらん)...」


——次に吹く風は、決着の地へ向かって。

真実と対峙する、旅の終わりの場所...



***



九重の言葉に導かれるように、一行は静かに歩みを進めた。


山肌を削ったような細道を抜けると、不自然なほど滑らかな岩肌が広がっていた。


「……ここが、Terminus(旅の終わり)?...なにも無えじゃねぇか...」


ロメラが眉をひそめて言う。


九重はその言葉には答えず、一歩前に出ると、懐から一枚の符を取り出し、ふっと風に乗せる。ひらりと符が舞う。


その瞬間、空気が水面のように波打ち、空間が歪む。

そして、歪んだ空間の奥。


挿絵(By みてみん)


——そこには、黒鉄の扉が佇んでいた。


飛鳥が息をのむ。


「九重……これ……」


「ふふ、あんたらと別行動しとる間に、"いろいろと"仕込みをな?」


九重は片目をパチリとつむり、軽く扇子を振った。


鉄扉には血管の様な紋様が刻まれ、それが、まるで拍動するかの様に赤い光を滲ませている。


「……ここが、"あたしたちを作った人"の、ラボの入口……」


飛鳥の声は、かすかに揺れていた。


小さな鳥の脚で、一歩前に出る。その姿を、九重はそっと見つめる。


「……飛鳥の旅は、この奥に進めば、ひと区切りや。けど、ここから先——ウチらは、ついていかへんよって」


ロメラが眉をひそめて、九重の横顔を見た。


「Wait,wait. (ちょっと待て)」


「No kidding(ふざけんな)、Lady Chill(冷酷ギツネ)。こんな場所に、飛鳥一人で突っ込ませる気か?」


「……せや」


九重の返事は、静かだった。だが、その響きは明確だった。


「この旅は、飛鳥の旅。……誰かの背中に隠れて進むべきもんではあらしまへん。ちゃんと、飛鳥自身が乗り越えんとあかん旅や」


「……」


飛鳥は九重の顔を見つめる。翼がきゅっと体の前に引き寄せられた。


「……あたし、一人で……」


九重の声は、決して厳しいものでは無かった。けれど、その言葉は、通すべき芯を持っている。そんな気がした。


「……こわくない……わけじゃない、けど」


飛鳥は、一度だけ小さく首を振った。翼が、ごそ、と地面に触れる。


それでも、と言いかけたとき、ウェーリーの尾鰭が静かに揺れる。


それは、「やだ」でも、「わかってる」そんな矛盾した、しっぽ語。


「……アクウェリーナ」


飛鳥が小さく呼びかけると、尾鰭がきゅっと彼女の腰に巻きついた。

「行かせたくない」という意思が、まるで抱きしめるように伝わってきた。


九重がそっと歩み寄る。ウェーリーの尾鰭に手をかけ……ようとして、思いとどまった。


代わりに、穏やかに言葉をかける。


「……わかっとる。不安なんやろ?

飛鳥を一人で行かせる事も。......置いてかれる事も」


ウェーリーは動かない。目も、尾鰭も、ひとつも動かない。


その代わり、飛鳥がそっと翼を動かし、ウェーリーの尾鰭を包むように軽くふれる。


「大丈夫だよ、あたし……ちゃんと戻ってくるから」


その言葉に、ウェーリーの尾鰭が、ぴたり、と震えた。

まるで、何かをぐっと飲み込むように。


「……オレも、信じてるぜ、リンド。けど——」


ロメラがひとつだけ、拳を鳴らした。


「何かあったら、ラボとやらも、纏めてぶっとばして助けに行くからな」


飛鳥は笑った。ほんの少しだけ、強い光を宿した目で。


「うん……ありがとう、ロメラ」


ウェーリーが、ようやく尾鰭をほどいた。


名残惜しそうに、飛鳥の足元をくるりと一周して、最後に、「ぴとっ」と翼に触れる。

しっぽ語、(……またすぐ、いっしょに)


飛鳥は、こくんと頷いた。

そして、ひとり、扉の前へと進む。



***



扉の前に立った飛鳥は、静かに深呼吸した。


冷たい鉄の匂い。重く閉ざされたその先には、自分の“はじまり”がある。


「……ただいま......じゃないよね」


少し笑いながら、ぽつりと呟いた声が、扉に吸い込まれていく。


背後には、見守る三人の姿。


ロメラは腕を組みながら、じっと無言で。

ウェーリーはその場に伏せ、尾鰭を地面に引き寄せたまま。

九重は扇子を閉じ、手の中にそっと納めて、ただ静かに祈るように。


そして、飛鳥は——振り返らなかった。


もう、確かめなくてもわかっていた。

ここまで歩いてきたことが、ひとりじゃなかったこと。

三人だけじゃない。これまで会ってきたみんな。

その全部が、今、背中を押してくれていること。


翼の先で扉を押す。

重たい金属が、きい、と鈍く軋んだ。


ラボの奥から、扉に向かって、湿った風がゆっくり吹き抜ける。


(……ここに、あたしの……)


飛鳥は、最後にひとつだけ、目を閉じた。


そして、踏み出した。


かつん、かつんと、入り口から続く廊下の床を、鉤爪が叩く音だけが、響いていた。


扉が、静かに閉じる。

ウェーリーがその音に、小さく肩を揺らした。

ロメラはそっと口元をつり上げる。


「All right, リンド。Show ‘em what you’re made of」


九重は、誰にも聞こえないほどの声で呟いた。


「……おきばりやす...飛鳥」


風が、またひとつ、向きを変える。

少女は、扉の向こうで、自分の真実と向き合おうとしていた。



***



ラボの中は、静かだった。


奥まで続く一本の廊下は、壁はひび割れ、天井には水の染みた跡が広がっている。


左右に並ぶ部屋の跡には、壊れた装置や薬品の容器のようなものが打ち捨てられていた。機能を果たすことのない操作盤。断ち切られたコード。焦げ跡。赤茶けた痕跡。


ここがかつて“何かを作っていた場所”だったことだけが、はっきりと伝わってきた。


開いた扉から差し込む薄灯りだけを頼りに、飛鳥はゆっくりと歩みを進める。

鳥脚が床を踏むたび、鉤爪がカツンと音を立てる。


(……見たことがある気がする。夢で……何度も……)


そんな既視感に導かれるように、歩を進めた先で——風が変わった。


空気の向きがわずかに逆流し、足音の響きがほんの少しだけ変わる。そこに、薄暗い廊下へ向け光が差し込む、入り口が見えた。

引き寄せられる様に開口部をくぐる。すると、修道院の大回廊ほどの、巨大な空間が現れた。


半球状の高い天井には、崩れかけた天窓があり、そこから淡い自然光が差し込んでいる。


「…...こんなの、外から全然わからなかった…」


飛鳥は、ふわりと翼を広げて試すように浮かび上がる。

天井までは、軽く羽ばたくだけで届きそうな程度、けれどどこか息苦しい静けさが満ちていた。


内部には、他の部屋と同様、何かの装置や水槽、判別の付かない何かが並べられた棚が多数存在している。


それらを空中から眺める飛鳥の視線が、ふと、奥の壁際にある構造物で止まる。


直方体の、構造物。

壁に埋め込まれる様に立てかけられたそれには、

部屋中からそこに集められるかの様に、無数のコードが繋がれている。


飛鳥は、その前に降り立った。


石とも金属ともつかない素材に、まるで蔦が絡む様に複雑な紋様が刻まれてる。

その形状や大きさは、まるで棺。"誰か"を納める為の箱。


表面には、深く刻まれた刻印がある。


 ——LC-12-ENER——


「……LC-12.........エナ...?」


“LC-No."…それは、自分たちに割り振られた識別番号。


「……マハちゃんが言ってた。LCは……11人って。

あたしは、LC-10...九重が02で、ヤオちゃんが09。マハちゃんが、最後で——LC-11...」


誰も、12番なんて知らなかった。

つまり、マハの、更に後に生まれた誰か?


——そのとき。


箱の表面を走る、ライトグリーンの紋様がふわりと明滅する。ぞわり、と背筋に寒気が走った。

飛鳥は、反射的に一歩、後ずさる。


部屋の奥、沈黙していた棺が、ゆっくりと、開こうとしていた。



——つづく


白衣の男のラボと、飛鳥の軌跡


挿絵(By みてみん)

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