第二部 第六章 前編 ―迷子の森と、いたずら猫ー
——「……ただの迷子じゃねーかぁ!!!!」
——ねーかぁ!!——ねーかぁ...——ネーカ...——
ロメラの叫びが、霧の中にむなしく木魂した。
飛鳥はというと、しゅんと翼を小さく畳んでうつむいている。
そして、鳥の足の指で地面をちょいちょいといじりながら言った。
「ご、ごめん……。あたし、てっきりロメラが……」
「いやいやいや!!
Totally under control! (ぜんっぜん想定内!!)
問題なし!」
ロメラは、急に笑顔でぐいっと親指を立てた。
「オレに任せときな!方向感覚だけはある……気がする!」
「き、気がする……?」
「うるせぇ!たまには根拠なく突っ走るのも...
ーThat’s what adventure’s‼︎ー...冒険の醍醐味だろ?」
——ポジティブだけど、ちょっと怖い。
アクウェリーナは、水滴を纏って宙に浮かびながら、尾鰭をフルフルと揺らす。しっぽ語の、「いや、それ普通に不安なんだけど」
ヴェルミアはいつの間にか、木の幹の影から顔だけ出して、八つの目で飛鳥の方を見ていた。
飛鳥は小さく溜息を吐きながら、霧の中を見回す。
***
それから、どれくらい歩いただろう。
濃霧に包まれた森の中、飛鳥たちはずっとさまよい続けていた。
上も下も、右も左も、すべてが灰色に染まっている。
木の形も、地面の草の感触も、何度見ても似たようなものばかりで、進んでいるのか、戻っているのかもわからない。
ロメラが先頭を歩きながら、ついにぼやいた。
「……なあ、ここ、マジで出口あんのか?」
ギターケースを担ぐ肩が、いつもよりちょっとだけ沈んでいる。
その声にも、いつもの覇気はなかった。
ウェーリーは尾鰭を“しなしな”と揺らしながら、足元をじっと見つめている。
六本の蜘蛛脚でぐるぐると回っていたヴェルも、さすがに疲れてきたのか、立ち止まってじっと霧の奥を見つめていた。
飛鳥は、すうっと深呼吸をした。
「……いったん、休憩しようか」
彼女がそう言った途端、まるで呪縛が解けたみたいに、みんなが一斉に力を抜いた。
ロメラは「待ってました」とばかりにドサッと倒木に腰を下ろし、ギターケースをガコンと地面に立てかけた。
「……もう昼だろこれ。つーか、飯にしようぜ、飯」
飛鳥は苦笑しながら、そっと木の根元に腰を下ろす。
ウェーリーは尾鰭をふにゃっとさせ、石の上にぺたんと座り込んだ。
“完全に放心”モード。しっぽ語的には「もうちょっと無理すると泡吹く」
ヴェルは木の幹にぴとっと背を預け、じっと地面を見ていた。蜘蛛脚がだらんと垂れていて、見るからにお疲れモード。
飛鳥は、小さなポーチを取り出す。
中には、金色姫の家でもらった、パンと果物の包みがいくつか。
鳥脚で器用にポーチを開き、中の包みを開く。
その中の、ふかふかのサンドイッチを両手(翼)で掴んで持ち上げた瞬間——
(……!?)
視界の端の霧が、わずかに揺れた。
(……今、何か……動いた?)
「ん? どうした、ハッチー...」
ロメラが飛鳥の目線の方へと振り返る。
その瞬間——
——フッ!!
霧の向こうから、しなやかな影が音もなく跳び出した。
まっすぐ、飛鳥に向かって飛びかかってくる!
「きゃっ……!」
飛鳥は反射的に翼で身を覆い、しゃがみ込む。
——ガキィッ!!
鋭い金属音が、間近で弾けた。
ロメラがギターケースを大きく振り抜き、迫る影を弾き飛ばした。
影は宙を舞い、くるりと一回転。片足でトンッと着地する。その動きはまるで猫。
——いや、動きだけでは無い。
膝から下は、フサフサとした毛並みに異様に伸びた細長いつま先。その先には丸い四本の指。
腕の肌も途中から毛並みに変わり、掌には肉球。
ふわりと揺れる尻尾。
その存在はまるで——小柄な少女の形を借りた猫。
くすんだ赤毛の髪は、風にふわりと揺れ、
頭頂部でぴょこんと跳ねた房が、まるで猫の耳のように見えた。
——そして、八重歯の覗く口に、いつの間にかサンドイッチをくわえていた。
「にゃっふふ~ん♪ もぐ……あ、これ、うまっ。ありがとにゃ♪」
「えっ……!? い、いつの間に……!?」
飛鳥は慌てて手元を見るが、そこにあるはずのサンドイッチは、きれいさっぱり無くなっていた。
「ずいぶん……舐めたマネしやがって」
ロメラは、立ったまま、ギターケースをくるりと回して、器用にギター取り出し、構える。
「オレらが、弱そうに見えたか?」
影——いや、猫のような少女は、サンドイッチをもぐもぐと頬張りながら、口元をぺろりと舐めた。
「さーて、お昼ももらったことだし……始めるか!
迷子の子猫ちゃんども。
“鬼ごっこ”の時間だぜぇ?」
その声は、どこか小馬鹿にするような調子だった。
赤い毛並みの猫足で、再び、ぴょん、と跳ねて、くるっと一回転。
尻尾が弧を描いて宙を舞い、短いタンクトップの下の、小柄な体躯に似つかわしくない大きな胸が、跳ねる様に揺れる。
ホットパンツから伸びた、人間と同じ太ももが、キュッと締まり、くっきりと筋肉のラインを浮かべるのが見えた。
金色に光る、縦長の瞳孔をした瞳で、くるりとこちらを見渡し、少女はニヤリと笑う。
「ルールはかんたん!」
前足の、丸い人差し指——と言って良いのか——を立て、
「オイラが“鬼”。あんたらは“逃げる側”。」
「この森には、出口が一つだけある。でも、それを開くには——」
少女は手のひらをくるっと返し、そこにオレンジ程の大きさの水晶玉を出現させた。
「この“鍵”が必要。オイラはこれを、今から一人一個ずつ、あんたらに配る」
「で、勝負スタートしたら、オイラは“鬼”として、あんたらの鍵を全部壊しに行く!」
「制限時間は、霧が晴れるまで。その時まで、誰か一人でも鍵を持ってたら、あんたらの勝ち。
逆に、全部の鍵をオイラが壊したら、オイラの勝ち。簡単だろ?にゃは♪」
彼女は、にゃふっと笑って、水晶玉ポンっと投げて、チャッチ。
——その時。
「Don't B a fool(ちょい待て)」
ロメラがギターを肩にかけ直しながら、不機嫌そうに言った。
「なんでオレらが、ふざけた“Game”とやらをしなきゃなんねーんだよ?
そもそも、テメーは何処の何モンだ!?」
ウェーリーも、どことなく憮然とした様子で、小さく首を傾げている。
「そうだにゃ、名前くらいは教えてやろう...
オイラの名前は——ノーニャ。
森に住む、気まぐれな鬼ごっこマスターさ!」
尾を高く掲げて言った。
「お、鬼ごっこマスター...?」
飛鳥が困惑して呟く。
そして、翼を少し縮めながら、おそるおそる尋ねた。
「……あの、ここって……もしかして、普通の森じゃ……ない?」
ノーニャは、ぴょこんと肩をすくめた。
「おっ!、アンタは鋭いね。
ここは“オイラの庭”みたいなもんさ。
道も空間も、オイラの気まぐれでぐるぐる変わる」
ロメラが眉をひそめる。
「Huh?」
「つまりは、“普通に歩いてるだけ”だと、この森は永遠に終わらない。ずっと迷子のまんまにゃ~」
「なっ…!?」
「でも、ちゃんと“オイラの出すルール”をクリアすれば、出口にたどり着ける道が、ぴょこっと開く」
ノーニャは軽く尻尾を揺らしながら、にゃはっと笑った。
「別に、やりたくないならそれでもいいぜ。
ずっとここで、同じ霧と、同じ木を見ながらグルグル回ってればいいにゃ~♪」
しん……と、空気が静まる。
やがて、ロメラがぼそっと言う。
「……つまり、この霧は、このFeral cat(野良猫野郎)が、最初から罠張ってた罠で、
オレらは、まんまとハマちまったてたってことか?」
「その通り、にゃ♪」
そして、ギターのストラップをきゅっと締め直て、吐き捨てる。
「OKだ。
ルールとやらに乗ってやるよ」
ロメラは、鼻をフンっと一つ鳴らす。
「Game of tag だか Pretend playだろうが。
Let me show ya what rage sounds like!!
(ぶっ潰す!)」
ノーニャは笑いながら、指を鳴らす。
「にゃふふ、やる気出てきたみたいだにゃあ。じゃあ鍵、配るぜ~!」
彼女は、くるくると指を回転させながら、光の粒をひとつひとつ凝固させていく。
まずはロメラへ。ひょいっと一投。
「オイラの速さから逃げ切れたら、褒めてあげるにゃ~?」
「こちとらStage of hell(死者の国)も通り抜けて生き返ってんだぜ?上等だよ」
ウェーリーは無言のまま鍵を受け取り、
尾鰭を強く“ピシャリ”と打つ。
ヴェルミアは視線を逸らしたまま、それを両手で受け取り、距離を取る。
飛鳥は最後に、鍵を落とさない様、しっかり両翼で包んだ。
それは、手のひらにすっぽり収まる透明な玉。
中には、薄く霧のような光が漂っている。
(……やるしか、ない!)
——飛鳥は、心を決めた。
***
ノーニャは、軽く指を弾いた。
「ルールはさっきも言った通り!オイラが“鬼”で、あんたらが“逃げる側”」
そう言いながら、軽やかに踊る様に、くるんと横に一回転——その時
ピシャアッ!
——水の鞭が霧を裂いた。
ウェーリーの尾鰭が鋭く変形し、後方からノーニャの背に向かって一直線に襲いかかる。
しかし、ノーニャは一拍も待たずに、くるりと体をひねって跳ぶ。
鞭は地を叩き、しぶきが霧に混ざって舞う。
ノーニャはくるんと着地し、しれっと言った。
「開幕の奇襲!なかなか良いぜぇ?でも——甘いにゃ~♪」
そのまま、後ろ足で一蹴り。霧が舞い、ノーニャの姿は霧の奥へと消えた。
「じゃ——スタート、にゃ!」
一斉に散る飛鳥たち。
霧が弾ける。
「Time to mess shit up!!(おっぱじめるぜ!!)」
ロメラが叫び、ギターを肩に担いだまま、軽やかに走り出す。
ウェーリーは、尾鰭をピシャンと打ち、
地面に湧き上がる水を、鞭の様な形にまとめながら滑って後ずさる。
ヴェルは、蜘蛛の足をバネの様に使って高く跳び、木の枝に上へ跳び乗った。
そのまま、"しおり糸"を飛ばして、木から木へ張り、
空中に立体的な"道"を作る。
飛鳥も、翼を体に寄せて、必死に走り出した。
こうして、“ちいさな鬼”との鬼ごっこが——始まった!!
***
「っ!!——来たっ!」
飛鳥が叫んだ瞬間、
ノーニャは、霧の中から爆発するような加速で飛び出した。
まず狙われたのは——
——パシャァン
ウェーリーだった。
ノーニャは縦横無尽に動き回り、ウェーリーは、その動きを目の端ですら捉える事ができない。
幾本もの水の鞭を必死に、出鱈目に振り回し、ノーニャを打とうとする。
だが、彼女は地を滑るようなステップでかわし——
そのまま、ウェーリーの手元へ滑り込んだ...
「にゃっ!」
猫爪が、ピシリ、と閃いた。
ウェーリーの掌にあった水晶玉が――
ぱりん、と、あっさり砕けた。
!!
ウェーリーは、尾鰭をバサバサと震わせながら後ずさる。
「にゃはっ、一人脱落~♪」
ノーニャは舌をぺろりと出して、ひらひらと手を振った。
そして、身を翻したノーニャは、再び地を蹴って跳ぶ。
目指すは——ロメラ。
「チッ、やるじゃねぇか!!……けどなっ!!」
ロメラは水晶玉を左手に持ち替え、
ギターを肩から引き抜き——
「Bring it on!!(返り討ちだぜ!!)」
振り下ろす、その一撃。
ードゴォッッッ!!!
大地を叩き割るような衝撃。
けれどノーニャは難なくそれを躱すと、
振り下ろされたギターを踏み台にしてロメラの頭上へ。
ロメラは素早くギターを振り上げる。
ーブウォン‼︎
だが、ノーニャは空中で身を捻り、
ギターを蹴ってさらに跳ねた。
(くそ、速すぎて視えねぇ!!)
ロメラが、ギターの重みに引っ張られた重心を立て直し、
視線を巡らせてノーニャを探す——その一瞬のスキ。
後ろから、するりと忍び寄る赤い影。
「Nah!!?」
ノーニャの爪が、ロメラの手から鍵を——
——ぱりんっ...
ロメラ、脱落。
「ぐっ……ハッチー!!」
ロメラが飛鳥に叫ぶ!
残るは、飛鳥とヴェル。
飛鳥は、狼狽え、体を強張らせる。
——自分には、なんの力もない。
アクウェリーナの様な水の鞭も、
ロメラの様な怪力も、
ヴェルの様な蜘蛛の糸も。
(たぶん...この中で、わたしが一番、弱い……)
——それでも...!!
(精一杯頑張るしかない!!)
そう、心を決めたのだから——
***
飛鳥は必死に目を凝らし、ノーニャを見つめる。
彼女の右眉が、ほんの少しピクリと動き、
重心がわずかに傾く。
そして、音もなく地を蹴って木々の間を跳ね回り、
素早く、飛鳥の左斜め後ろに回り込んでから、飛びかかる。
飛鳥は、それを目で追い、
寸前に、その鳥の足で右に一歩跳ね、
間一髪でその一撃をかわす。
「にゃっ、いい動き♪」
ノーニャが嬉しそうに笑う。
——その上空。
蜘蛛糸を伝い、逆さまの姿勢で、木々の間を走るヴェル。
飛鳥達が普段見る、あの臆病なヴェルではない。
その目は、静かに、冷たく、鋭い。
表情は、無表情。
光る水晶玉を両手で抱え。
彼女は静かに、しかし着々と
"狩りの為の"糸を張り巡らせていた。
(……ヴェルちゃん……?)
その変貌に、飛鳥は思わず息を呑む。
胸に、ひんやりとした不安が走っていた。
***
次はヴェルが仕掛けた。
木々の間に張ったしおり糸に、第二歩脚を引っ掛け、
しならせて——スリングショットのように、その小さな体を撃ち出す。
彼女の身体は、ノーニャの頭上へと飛翔しながら、
腹部から伸びる糸疣を向けて、無数の細い“粘着糸”を空中へと放った。
ノーニャを中心に、円を描くように——
じわじわと円を狭めていく、逃げ道を潰す"狩り"の輪。
——しかし...
「にゃはっ♪ 遅いにゃ~!」
ノーニャは僅かな糸の隙間を縫い、
蜘蛛糸の結界から、いとも簡単に抜け出す。
そのまま木々を駆け上がり、ヴェルの支配する上空へと迫る。
ヴェルは、八つの目で、少女を視界に捉えたまま、
別のしおり糸に蜘蛛脚を掛けて体勢を整えた——そのとき。
糸が張りすぎた反動で、視界が僅かに揺れる。
ノーニャは、その瞬間を狙った様に、素早く大きく跳ねる。
ヴェルは彼女を見失う。
ノーニャを探す為、首をひねろうした時。
「ヴェルちゃん!!下!!」
飛鳥の声が、空気を裂いた。
ヴェルが即座に下を向いたとき。
——目前に迫る鋭い金色の瞳と目が合った。
ぱりん!
ヴェル、脱落。
彼女は無表情のまま、別のしおり糸に飛び移り、距離を取った。
飛鳥は青ざめる。
これで残るは、この中で、一番弱い自分だけ。
心臓が、どくん、と跳ね、体がすくむ。
——その時、ロメラの声が、背後から飛んできた。
「...ハッチー、おまえ今...いや、さっきも、視えてたのか!?
アイツの動き!」
ロメラは、心底驚いた顔でこちらを見ている。
飛鳥は最初、何を言われているのか、いまいち理解らなかった。
しかし、はっ と気付く。
思い出したのは、かつて、街に忍び込んだ時の記憶。
人々の動きの流れ。気配の変化。
そのすべてが、はっきりと"視えて"いたあの感覚。
——そうだ。
(......そうだ、あたしは、"すごく眼が良い"!!)
飛鳥は、呼吸を整えた。
(そうだ...私はさっきも"視えて"いた)
ノーニャが跳ねる前の、重心の動き。
呼吸を溜める、胸の動き。
狙いを定めた時の、瞳孔の僅かな開き。
跳ねる方向を決めた時、そちら側の眉が、ほんの少しピクリと動く、微かな癖。
視界が開く。
世界が...…ゆっくりと広がっていく。
***
ノーニャの足音すらない、静かな動き。
刹那、音もなく、素早く動き出す。
でも——
(……視える!)
飛鳥は確かに捉えた。
彼女の、毛並みが震えた一瞬。
尻尾が、空気を切った一瞬。
爪先に、わずかに力が込められた一瞬。
どちらに跳ぶか。どちらの腕を使うかが、
もう見えていた。
「ハッチー!!合図してくれ!!!」
ロメラの声。
「オレらが、アイツの動きを止める!」
彼女はギターを構え、地を蹴る寸前の姿勢。
ウェーリーも、水の鞭を揺らしながら、飛鳥を真っ直ぐ見つめている。
飛鳥は、強く頷いた。
次の瞬間——
「右上!!」
飛鳥がロメラに向かって叫ぶ。
ロメラがギターを振るい、空中へ、ぶん、と音が鳴る。
そこへ飛び込もうとしていた少女が、
慌てて空中で身を捻る!
だが...
「ロメラの右足元を狙って!!」
ウェーリーの鞭がしなる!
地面から飛び出した水の鞭が、ノーニャの着地先を叩く!
「にゃっ!」
彼女は軽やかに躱す——が、明らかに遅れた!
飛鳥の読みが、ノーニャの動きを封じている。
空気が、熱を帯びる——
ロメラがギターを叩きつけ、
ウェーリーが水で射線を作り、
飛鳥が動きを先読みして指示を送る。
完璧なコンビネーション。
飛鳥はもう言葉も発さない。
右の翼でロメラに、左の翼でウェーリーに合図を送る。
言葉ではない直感的な指示。
ロメラも、ウェーリーも、もうノーニャの姿は追わない。
見ているのは——飛鳥。
その動きだけ。
——ノーニャは、飛鳥に近づけない。
どんなに跳ねても、滑っても、潜っても——
飛鳥の指示が、すべてを先読みしていた。
三人の連携が少しずつ、しかし確実に彼女を追い詰めていく。
(いける……!)
ノーニャが、ロメラの一撃を軽やかに跳ねて躱し、
着地しようとする——
しかし、飛鳥はすでにその先を、左の翼ですっと指していた。
「にゃっ——!?」
ノーニャが、慌てて身を捻る。
だが、その一瞬——
ウェーリーの水鞭が、ぴしゃりと地を打ち、
ノーニャの足元を正確に絡め取った。
「んなっ!?」
彼女の動きが止まる。
そこに——ロメラが踏み込んだ!
ギターを構え、跳躍!
「Payback time, lil’kitty!!(これで終いだ!子猫ちゃん)」
振りかぶったギターが、ノーニャに迫る——
——と同時に、ヴェルが静かに動いていた。
蜘蛛糸を伝い、逆さまの姿勢のまま音もなくすっと落ちる。
ノーニャの背中から、回り込む様に伸びる、ヴェルの鋭い第二歩脚。
狙うは——彼女の喉......
「っ——ヴェル!!」
ヴェルの意図に気づいたロメラが、慌てて腕を捻って、狙いを変える。
——カンッ!!
ギターのヘッドが、ヴェルの脚を弾いた。
——ヴェルは、きょとんとロメラを見た。
「えっ……? ロメラちゃん…どうしたの?」
ロメラは、歯を食いしばって叫んだ。
「なにやってんだ!!コイツを殺す気か!?」
ヴェルは、ぽかんと、瞬きをして——
「え?そう...だけど...」
あまりにも、あっさりとした声だった。
彼女は少しだけ困惑したあと、なにか納得したように笑顔になる。
そして、みんな気づいてなかったんだ!とでも言う様に、小さな指を、人差し指を、ぴんと立てた。
——彼女は、誇らしげに、鼻を鳴らす。
「この子が...動かなくなれば、飛鳥ちゃんのところには、行けないでしょ?」
どう?良いアイデアでしょ?とでも言う様に得意気に。
まるで、皿洗いをすっかり済ませて"どう?ほめて!"と母親に向ける子供の顔で...
——そこには、迷いも悪意も微塵もない。
「GG……オマエ……本気で言ってんのかよ……」
ロメラの声は、低く、震えていた。
その声に怯み、
ヴェルは静かに、静かに、後退り、ゆっくりと辺りを見渡す。
足元には、尻もちをついたまま、放心してるノーニャの姿。
——そして...
(なんで、ロメラは怒ってるの?)
(なんで、ウェーリーは、ワタシを見たまま固まってるの?)
——なんで...
(なんで、飛鳥ちゃんは......そんなに...そんなに...)
——そんなに怯えた目でワタシを見るの?——
彼女には、わからなかった。
心底、わからなかった
だけど...これまでも、違和感はあった。
なんで、相手がそんな反応をするのか、わからなかったこと...
なんとなく、みんなと考え方が違うなって思ったこと...
————
飛鳥ちゃんが、お花を摘んでアタシにくれた。
それが凄く嬉しくて、お返しに小鳥を捕まえて、
レースで飾って、すごく綺麗にして、飛鳥ちゃんにプレゼントした。
でも飛鳥ちゃんは喜ぶどころか、すごく悲しそうな顔をしてた。
————
ロメラが飛鳥ちゃんを後ろから、えいって小突いたら。
飛鳥ちゃんが「やめてよ、も〜」って。
よくわからなかったけど、みんなも一緒に笑ってた。
だから別の日、真似して、飛鳥ちゃんを「えいっ……」って、押した。
そしたら、草の上に倒れて、泣きそうな顔でこっちを見た。
そのときも、ロメラは怒ってた——
————
その違和感が、今、確信に変わった。
そうか……そうなんだ——。
——ワタシだけ、根本的にみんなと考え方が違う。
——ワタシだけ、感情、感覚、……なにかが、壊れてる。
ヴェルは、その事に気づき、頭の中が真っ白に変わる。
目の奥が、急にチカチカし始める。
なんだか、気持ち悪くなって、吐き気がしてくる。
心を通わせる友達が、できたと思ってた。
ワタシも、みんなと同じ様に笑って、泣いて、怒って、拗ねて...
てっきり、楽しく一緒に過ごせてると思ってた。
でも、本当は...
——ワタシだけ、みんなと"一緒"じゃなかった。
ヴェルは、フラフラと後退る。
飛鳥が、翼を伸ばす。
「ヴェルちゃん!!待って——!」
けれど、ヴェルはビクッと一歩後ろに跳ねる。
それは、幼い子供が“ごめんなさい”をどう言っていいかわからなくなったときの——あの、顔。
そして、霧の向こうへ——
走り去った。
——つづく




