「Romela Grave」
夜は深く、森の静寂が風に揺れていた。
この話は、本編とは離れた、飛鳥たちの旅の"いつか"。
旅路の中の、とある夜。
焚き火はすでに小さな赤に変わり、飛鳥は仄かに甘いコロンの香りのする革ジャケットを肩にかけたまま、寝返りもうてずに目を開けていた。
(……眠れない)
翼が少し熱を持っている。
目を閉じると、いつかの記憶の残滓が浮かんでは消え、胸の奥をそっと締めつけた。
ふと、木の幹を背にギターを修理していたロメラが、
飛鳥の方を見る。
「ハッチー、まだ起きてんのか?」
「……うん。ちょっと、眠れなくて……」
「しゃーねぇな、オレの子守唄でも聞くか? ……って、ギター壊れてるんだったな」
「オレの唄は、ハッチーのやつと違って、アカペラだと様になんねぇんだよな」
ロメラはギターを担いで立ち上がり、
飛鳥の枕元に座り直した。
「ま、そういう時は……“ママのFairy tale”ってのが、定番なんだけどな」
飛鳥はロメラの方に身を捩ると、ロメラの袖をそっとつまんで引き寄せる。
目はぱちぱち、翼はもぞもぞ——眠れない雛鳥のように。
「ロメラ……お母さんの記憶、あるの?」
その問いに、ロメラは片眉を持ち上げた。
そして、視線を空に投げながら、肩をすくめる。
「一応、あるにはある。けど、“このBodyに宿ってた記憶”って感じかね。オレの記憶ってより、実感の全然ねぇ、他人の夢みたいなもんだよ」
飛鳥はそっと羽をすぼめ、寝転がったまま上目遣いでロメラを見つめた。
「……それ、聞きたいな……その記憶」
ロメラは一瞬だけ目を細めた。
それは遠くを思い出すような、どこか痛みを孕んだまなざしだった。
「……面白くもねぇ話だぞ?」
「うん。……でも、聞かせて」
飛鳥は、もぞもぞと翼を縮めながら、ちょこんと膝を抱え込んで座った。
「……ハッチーのそういうこと言う顔、“そいつの妹”に似てんだよな……」
ロメラはゆっくりと足を組み、夜の風に髪を揺らした。
「……じゃあ、寝物語に語ってやるよ。
“Romela Grave”になる前の、オレの肉体の持ち主の物語をな」
***
彼女は、生きていた。
名門ではないが、歴史ある地方貴族の家。
そこに生まれた、長女だった。
気が強く、声も大きいが、誰よりも面倒見がよくて、働き者。
誰かが泣けば手を差し伸べ、誰かが迷えば道を照らした。
一言で言えば、近所の悪ガキから使用人にまで頼られる、そんな“お姉さん”だった。
「ロメラお姉ちゃーん! またあいつらがウチの畑荒らしてるー!」
「ったく、またトミーか。今日こそケツに塩すり込んでやるからな……!」
口は悪いが、手は早くなかった。
笑って追いかけ、怒って謝って、ちゃんと手をつないで帰ってくる。
その背中は、村の子どもたちにとっても、妹にとっても——小さな英雄だった。
妹の名は、エルノワール。
身体が弱く、長く外に出られない子だった。
白い肌に銀の髪、ロメラとは正反対に静かで、どこか儚い。
けれど、その瞳だけは強かった。
病弱な身体に押し込められた意志が、細い声の奥で、確かに瞬いていた。
「……お姉ちゃんって、どうしていつも怒ってばかりなの?」
「怒ってるわけじゃないっての。ちゃんと、みんなのこと守ってるでしょ?」
「でもこの前、窓から見たよ。追いかけっこしてた子、泣いてた」
「……あれは、その……教育的指導ってやつで……」
「ふふ、やっぱり怒ってる」
いつも、妹には勝てなかった。
(……そう、あの頃の“あいつ”は。……誰かのために怒ることが、“正しさ”だと思ってやがったんだ)
だが、そんな世界は、あっけなく壊れた。
少し離れた街の領主の屋敷、晩餐会に招かれた日——
宴も終わり、用意された寝所へ向かう途中。
屋敷の廊下、ロメラは背筋を伸ばして歩いていた。
その先にいたのは、この街の領主でもある貴族の男。
少女趣味との噂もある、四十を越えた頃の男が、ふっくらとした顔に不自然な笑みを浮かべて、ロメラを見ていた。
「……お美しいですね、ロメラ嬢。今宵など、私の部屋で"お茶"でもいかがですかな」
声の調子は柔らかく、けれど視線は濁っていた。
ロメラは、たった一瞬だけ笑みを見せる。
「もったいないお言葉ですわ。……ですが、私は妹の看病がありますので、どうかご慈悲を」
そして、小さく頭を下げながら、さらりと付け加える。
「殿方の“お茶”は、往々にして熱すぎたり、ぬるすぎたりするようですし——ご機嫌な時ほど、火の用心が必要かと」
言葉は柔らか、語尾に笑み。
だが、皮肉はしっかり込められていた。
その瞬間、男の顔が見る間に赤くなり、笑みは引きつったものへと変わる。
「……けれど、そちらの薔薇は、さぞ鋭い棘もお持ちのようで?」
「ご安心ください。薔薇に噛みつくのは、品のない虫だけですわ」
ロメラは微笑んだまま、涼しく言った。
それが、火種だった。
領主はその場では何も言わなかった。
ただ、顔を真っ赤に染め、何も言えずに立ち尽くしていた。
──馬車で自分の館に帰ってから数日。
ロメラの元へ知らせが届いた。
「……あの日、領主の屋敷に火が出た?」
「そうです。下女の証言で、火元は貴女の泊まった部屋だと……」
「……は?」
それはあまりにも突然だった。
あの領主家の屋敷が火事になった。
怪我人こそいなかったが、貴重な文書が焼け落ちたという。
そして、“貴族”という看板に寄りすがる、どこかの誰かが言った。
——「ロメラ嬢が、"領主の政策に苦言を呈していた"と聞いた。"この火事は悪政の報いだと笑っていた"とも聞いた」と。
「言いがかりだ……っ! あたしが、なんでそんなことを……!」
「黙れ!」
手錠の冷たさは、理不尽そのものだった。
使用人の誰かが証言した。
屋敷を訪れた際、ロメラが不満を漏らしていたと。
その日に火事。理由はそれで十分だった。
「違うって! そんなの、ただの悪ふざけで……っ!」
「領主への敵意を抱いていたことは確かですね?」
「違う、違う……違うッ!!」
叫んでも、誰も耳を貸さなかった。
町の人々は、口をつぐんだ。
かつて頼ってきた子どもたちは、遠くからこちらを見ているだけだった。
貴族の血の下に生まれながら、素行が“軽かった”と囁かれ、
妹のことばかり気にしていたと噂され、
いつしか、“そういう目”で見られていたことに、気づく。
(ちがう……あたしは、ただ……)
裁きは早かった。
証拠は曖昧で、証言は曇っていたのに。
「火元が彼女の泊まった部屋だ」という、それだけで。
──そして、妹も。
「……エルノワールは……」
「彼女も共犯の疑いがあります。逃がそうとした使用人が証言しました」
「違う! エルはっ、関係ない!あの子は……っ!」
声が届く前に、壁ができた。
鉄の扉、鉄の床、鉄の裁き。
そして、冷たい光を浴びた台座の上に、ふたり並ばされた。
「ロメラ・グリフィス。ならびにエルノワール・グリフィス。
王命により、此処に死罪とする」
処刑の鐘が鳴った。
……この瞬間の感情だけは、“今のオレ”にも、少しだけ、わかる気がする。
理不尽への怒り。死への恐怖。"どうして自分が"と言う困惑。そして、言葉にならないほどの後悔。
全部が胸の奥で渦を巻いていたはずだ。
でも、たぶんな。
それよりもずっと強かったのは——
……あの子を、守れなかったって罪悪感だったと思う。
どんな言い訳をしたって、どれだけ無実を叫んだって、
妹は自分の隣で、黙って処刑台に立っていた。
“オレ”じゃなくて、“あのロメラ”の……な。
誤解でも、理不尽でも。
“誰かの思い込み”が、自分たちを殺す。
……いや、“思い込み”なんてもんじゃなかった。
あいつ——あの領主が、ふられた腹いせにやったってのは、たぶん間違いねぇ。
……でもそれを証明したところで、何が変わるってんだ。
そんなの、誰も口に出さない。けれど、空気は知っていた。
でも、“ああ、あの子ならやりかねない”
——そんな理屈がつくだけで、人は裁かれる。
けれど、それを憎んだところで、何も戻ってはこなかった。
それが、ロメラの“前世の終わり”だった。
──そして、目が覚めたとき、
彼女は今の彼女として、墓地の中に座っていた。
生き返ったのではない。
ただ、何者かの手で組み上げられた“生きてる死体”が、かつての記憶を継いでいた。
オレは何故かもわからないまま……気づいたら、あそこにいた。
でも、なぜだか……泣けなかった。
あの“あたし”の人生は、もう終わってた。
オレはそれを、夢みたいに眺めてるだけだった。
……まるで、別の誰かがくれた、古い物語みたいに。
***
ロメラは、それきりしばらく黙っていた。
夜風がそっと髪を揺らし、森の静寂がふたりを包む。
飛鳥は、うつむいたまま目を閉じていた。
その瞳には、ロメラの語った“夢のような物語”が、まるで自分のことのように焼きついていた。
やがて、飛鳥はぽつりと訊ねた。
「……ロメラは、恨んでるの?」
ロメラは、ギターのヘッドを指でコツンと弾いた。
乾いた弦の音が、夜の静寂にちいさく跳ねた。
「Storyとしては、ムカつくぜ。
読んでて“はぁ?”ってなる類いのクソ展開だ。
だけど……オレ自身の恨みって感情はねぇんだよな」
肩をすくめ、口元にだけ、少し意地悪そうな笑みを浮かべる。
「ま、機会があれば弔いに、思いっきりぶん殴るぐらいはしてやる。
……あ? いや、もうぶん殴ったんだったっけか。忘れちまったな」
飛鳥は、ちいさく笑った。目元には、少しだけ涙がにじんでいた。
ロメラは、ふっと夜空を見上げながら、ぽつりと続けた。
「アイツはな、豚みてぇな領主を“ちょいと上品に”振ったってだけで、
その腹いせに冤罪ふっかけられて、処刑されて……
あげく、どっかのクソ野郎に掘り起こされて、こんな身体にされたんだぜ?」
「……アイツには、心底、同情してる」
その声に、どこか哀しみが混じっていた。
飛鳥は、そっと手のひらを胸の上に置いた。
ロメラの痛みが、自分の中に少しずつ染み込んでくるようで。
いつの間にか、自分の痛みを忘れていた。
まぶたが、ふわりと重くなる。
「……でも、それでも、あなたは……生きてるん……だね……」
そう言いながら、飛鳥はくたりと横になり、
小さな羽根で自分の身体を抱くように包み込んだ。
「……だから、オレは今の名前を名乗ってんのさ」
焚き火の残り火が、ぱち、と小さくはぜた。
ロメラは、ちらと飛鳥の方を見やる。
彼女は胸元に翼と、甘い香水が仄かに香るロメラのジャケットを抱き、穏やかな寝息を立てていた。
ロメラは、飛鳥にジャケットを掛け直しながら、
そっと呟いた。
「……Sweet dreams. My little sister……」
夜は更けていく。
けれどそこには、悲しみでも、絶望でもなく——
死者と共にありながらも、生きている者のあたたかさが、確かにあった。
-Romela Grave(ロメラの墓標)
——やさしい、ふたりのロメラ。それに紐付く、追悼の名前。
ーRomela Graveー完ー
〜勝手にテーマソング〜
暁records/lullaby for lost child
-裂けた腕から、こぼれた。白い綿花。
-ツギハギだらけ、でも友達でいられると思った。
-「そんな汚い人形なんて、捨ててしまいなさい」
-それが、私を生かした呪い。
-ガラス玉の魂。だからって悲しみを知らないと思う?
-天に登っていくはずだったのに。
-朽ちたヴェールの翼じゃダメだったみたい。




