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君は、風に還る。  作者: 矢崎 那央
第二部
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27/58

「Romela Grave」

挿絵(By みてみん)


夜は深く、森の静寂が風に揺れていた。


この話は、本編とは離れた、飛鳥たちの旅の"いつか"。


旅路の中の、とある夜。


焚き火はすでに小さな赤に変わり、飛鳥(あすか)は仄かに甘いコロンの香りのする革ジャケットを肩にかけたまま、寝返りもうてずに目を開けていた。


(……眠れない)


翼が少し熱を持っている。

目を閉じると、いつかの記憶の残滓が浮かんでは消え、胸の奥をそっと締めつけた。


ふと、木の幹を背にギターを修理していたロメラが、

飛鳥の方を見る。


「ハッチー、まだ起きてんのか?」


「……うん。ちょっと、眠れなくて……」


「しゃーねぇな、オレの子守唄でも聞くか? ……って、ギター壊れてるんだったな」


「オレの唄は、ハッチーのやつと違って、アカペラだと様になんねぇんだよな」


ロメラはギターを担いで立ち上がり、

飛鳥の枕元に座り直した。


「ま、そういう時は……“ママのFairy tale”ってのが、定番なんだけどな」


飛鳥はロメラの方に身を捩ると、ロメラの袖をそっとつまんで引き寄せる。

目はぱちぱち、翼はもぞもぞ——眠れない雛鳥のように。


「ロメラ……お母さんの記憶、あるの?」


その問いに、ロメラは片眉を持ち上げた。

そして、視線を空に投げながら、肩をすくめる。


「一応、あるにはある。けど、“このBodyに宿ってた記憶”って感じかね。オレの記憶ってより、実感の全然ねぇ、他人の夢みたいなもんだよ」


飛鳥はそっと羽をすぼめ、寝転がったまま上目遣いでロメラを見つめた。


「……それ、聞きたいな……その記憶」


ロメラは一瞬だけ目を細めた。

それは遠くを思い出すような、どこか痛みを孕んだまなざしだった。


「……面白くもねぇ話だぞ?」


「うん。……でも、聞かせて」


飛鳥は、もぞもぞと翼を縮めながら、ちょこんと膝を抱え込んで座った。


「……ハッチーのそういうこと言う顔、“そいつの妹”に似てんだよな……」


ロメラはゆっくりと足を組み、夜の風に髪を揺らした。


「……じゃあ、寝物語に語ってやるよ。

“Romela Grave”になる前の、オレの肉体の持ち主の物語をな」



***



彼女は、生きていた。


名門ではないが、歴史ある地方貴族の家。

そこに生まれた、長女だった。


気が強く、声も大きいが、誰よりも面倒見がよくて、働き者。

誰かが泣けば手を差し伸べ、誰かが迷えば道を照らした。

一言で言えば、近所の悪ガキから使用人にまで頼られる、そんな“お姉さん”だった。


「ロメラお姉ちゃーん! またあいつらがウチの畑荒らしてるー!」


「ったく、またトミーか。今日こそケツに塩すり込んでやるからな……!」


口は悪いが、手は早くなかった。

笑って追いかけ、怒って謝って、ちゃんと手をつないで帰ってくる。

その背中は、村の子どもたちにとっても、妹にとっても——小さな英雄だった。


妹の名は、エルノワール。

身体が弱く、長く外に出られない子だった。

白い肌に銀の髪、ロメラとは正反対に静かで、どこか儚い。


けれど、その瞳だけは強かった。

病弱な身体に押し込められた意志が、細い声の奥で、確かに瞬いていた。


「……お姉ちゃんって、どうしていつも怒ってばかりなの?」


「怒ってるわけじゃないっての。ちゃんと、みんなのこと守ってるでしょ?」


「でもこの前、窓から見たよ。追いかけっこしてた子、泣いてた」


「……あれは、その……教育的指導ってやつで……」


「ふふ、やっぱり怒ってる」


いつも、妹には勝てなかった。


(……そう、あの頃の“あいつ”は。……誰かのために怒ることが、“正しさ”だと思ってやがったんだ)


だが、そんな世界は、あっけなく壊れた。


少し離れた街の領主の屋敷、晩餐会に招かれた日——

宴も終わり、用意された寝所へ向かう途中。

屋敷の廊下、ロメラは背筋を伸ばして歩いていた。


その先にいたのは、この街の領主でもある貴族の男。

少女趣味との噂もある、四十を越えた頃の男が、ふっくらとした顔に不自然な笑みを浮かべて、ロメラを見ていた。


「……お美しいですね、ロメラ嬢。今宵など、私の部屋で"お茶"でもいかがですかな」


声の調子は柔らかく、けれど視線は濁っていた。

ロメラは、たった一瞬だけ笑みを見せる。


「もったいないお言葉ですわ。……ですが、私は妹の看病がありますので、どうかご慈悲を」


そして、小さく頭を下げながら、さらりと付け加える。


「殿方の“お茶”は、往々にして熱すぎたり、ぬるすぎたりするようですし——ご機嫌な時ほど、火の用心が必要かと」


言葉は柔らか、語尾に笑み。

だが、皮肉はしっかり込められていた。


その瞬間、男の顔が見る間に赤くなり、笑みは引きつったものへと変わる。


「……けれど、そちらの薔薇は、さぞ鋭い棘もお持ちのようで?」


「ご安心ください。薔薇に噛みつくのは、品のない虫だけですわ」


ロメラは微笑んだまま、涼しく言った。

それが、火種だった。


領主はその場では何も言わなかった。

ただ、顔を真っ赤に染め、何も言えずに立ち尽くしていた。


──馬車で自分の館に帰ってから数日。

ロメラの元へ知らせが届いた。


「……あの日、領主の屋敷に火が出た?」


「そうです。下女の証言で、火元は貴女の泊まった部屋だと……」


「……は?」


それはあまりにも突然だった。


あの領主家の屋敷が火事になった。

怪我人こそいなかったが、貴重な文書が焼け落ちたという。

そして、“貴族”という看板に寄りすがる、どこかの誰かが言った。


——「ロメラ嬢が、"領主の政策に苦言を呈していた"と聞いた。"この火事は悪政の報いだと笑っていた"とも聞いた」と。


「言いがかりだ……っ! あたしが、なんでそんなことを……!」


「黙れ!」


手錠の冷たさは、理不尽そのものだった。

使用人の誰かが証言した。

屋敷を訪れた際、ロメラが不満を漏らしていたと。

その日に火事。理由はそれで十分だった。


「違うって! そんなの、ただの悪ふざけで……っ!」


「領主への敵意を抱いていたことは確かですね?」


「違う、違う……違うッ!!」


叫んでも、誰も耳を貸さなかった。

町の人々は、口をつぐんだ。

かつて頼ってきた子どもたちは、遠くからこちらを見ているだけだった。


貴族の血の下に生まれながら、素行が“軽かった”と囁かれ、

妹のことばかり気にしていたと噂され、

いつしか、“そういう目”で見られていたことに、気づく。


(ちがう……あたしは、ただ……)


裁きは早かった。

証拠は曖昧で、証言は曇っていたのに。

「火元が彼女の泊まった部屋だ」という、それだけで。


──そして、妹も。


「……エルノワールは……」


「彼女も共犯の疑いがあります。逃がそうとした使用人が証言しました」


「違う! エルはっ、関係ない!あの子は……っ!」


声が届く前に、壁ができた。

鉄の扉、鉄の床、鉄の裁き。

そして、冷たい光を浴びた台座の上に、ふたり並ばされた。


「ロメラ・グリフィス。ならびにエルノワール・グリフィス。

王命により、此処に死罪とする」


処刑の鐘が鳴った。


……この瞬間の感情だけは、“今のオレ”にも、少しだけ、わかる気がする。


理不尽への怒り。死への恐怖。"どうして自分が"と言う困惑。そして、言葉にならないほどの後悔。

全部が胸の奥で渦を巻いていたはずだ。

でも、たぶんな。

それよりもずっと強かったのは——


……あの子を、守れなかったって罪悪感だったと思う。


どんな言い訳をしたって、どれだけ無実を叫んだって、

妹は自分の隣で、黙って処刑台に立っていた。


“オレ”じゃなくて、“あのロメラ”の……な。


誤解でも、理不尽でも。

“誰かの思い込み”が、自分たちを殺す。


……いや、“思い込み”なんてもんじゃなかった。


あいつ——あの領主が、ふられた腹いせにやったってのは、たぶん間違いねぇ。

……でもそれを証明したところで、何が変わるってんだ。


そんなの、誰も口に出さない。けれど、空気は知っていた。


でも、“ああ、あの子ならやりかねない”

——そんな理屈がつくだけで、人は裁かれる。


けれど、それを憎んだところで、何も戻ってはこなかった。


それが、ロメラの“前世の終わり”だった。


──そして、目が覚めたとき、

彼女は今の彼女として、墓地の中に座っていた。


生き返ったのではない。

ただ、何者かの手で組み上げられた“生きてる死体”が、かつての記憶を継いでいた。


オレは何故かもわからないまま……気づいたら、あそこにいた。


でも、なぜだか……泣けなかった。


あの“あたし”の人生は、もう終わってた。

オレはそれを、夢みたいに眺めてるだけだった。


……まるで、別の誰かがくれた、古い物語みたいに。



***



ロメラは、それきりしばらく黙っていた。

夜風がそっと髪を揺らし、森の静寂がふたりを包む。


飛鳥は、うつむいたまま目を閉じていた。

その瞳には、ロメラの語った“夢のような物語”が、まるで自分のことのように焼きついていた。


やがて、飛鳥はぽつりと訊ねた。


「……ロメラは、恨んでるの?」


ロメラは、ギターのヘッドを指でコツンと弾いた。

乾いた弦の音が、夜の静寂にちいさく跳ねた。


「Storyとしては、ムカつくぜ。

読んでて“はぁ?”ってなる類いのクソ展開だ。

だけど……オレ自身の恨みって感情はねぇんだよな」


肩をすくめ、口元にだけ、少し意地悪そうな笑みを浮かべる。


「ま、機会があれば弔いに、思いっきりぶん殴るぐらいはしてやる。

……あ? いや、もうぶん殴ったんだったっけか。忘れちまったな」


飛鳥は、ちいさく笑った。目元には、少しだけ涙がにじんでいた。


ロメラは、ふっと夜空を見上げながら、ぽつりと続けた。


「アイツはな、豚みてぇな領主を“ちょいと上品に”振ったってだけで、

その腹いせに冤罪ふっかけられて、処刑されて……

あげく、どっかのクソ野郎に掘り起こされて、こんな身体にされたんだぜ?」


「……アイツには、心底、同情してる」


その声に、どこか哀しみが混じっていた。


飛鳥は、そっと手のひらを胸の上に置いた。

ロメラの痛みが、自分の中に少しずつ染み込んでくるようで。

いつの間にか、自分の痛みを忘れていた。


まぶたが、ふわりと重くなる。


「……でも、それでも、あなたは……生きてるん……だね……」


そう言いながら、飛鳥はくたりと横になり、

小さな羽根で自分の身体を抱くように包み込んだ。


「……だから、オレは今の名前を名乗ってんのさ」


焚き火の残り火が、ぱち、と小さくはぜた。


ロメラは、ちらと飛鳥の方を見やる。


彼女は胸元に翼と、甘い香水が仄かに香るロメラのジャケットを抱き、穏やかな寝息を立てていた。


ロメラは、飛鳥にジャケットを掛け直しながら、

そっと呟いた。


「……Sweet dreams. My little sister……」



夜は更けていく。


けれどそこには、悲しみでも、絶望でもなく——

死者と共にありながらも、生きている者のあたたかさが、確かにあった。


-Romela Grave(ロメラの墓標)


——やさしい、ふたりのロメラ。それに紐付く、追悼の名前。


ーRomela Graveー完ー



〜勝手にテーマソング〜


暁records/lullaby for lost child


-裂けた腕から、こぼれた。白い綿花。

-ツギハギだらけ、でも友達でいられると思った。


-「そんな汚い人形なんて、捨ててしまいなさい」

-それが、私を生かした呪い。


-ガラス玉の魂。だからって悲しみを知らないと思う?


-天に登っていくはずだったのに。

-朽ちたヴェールの翼じゃダメだったみたい。

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