"存在"を喰らう化物
1度目は、青ざめるクラス委員を置き去りに、学校を出ようとして引き止められた。学校内には何故か誰もいなくて、そこが旧校舎内である事に気付いた。途中道を間違えてしまったらしい。そこで声をかけてきたのがあの人だった。焦ったように、早くここから出て帰りなさいと言った。戸惑う私に少し苛立をみせ腕を引いて、急ぎ足で新校舎へと、迷路みたいに入り組んだ旧校舎を歩いていく。いや、最後には走っていたかもしれない。
外からの橙色を帯びた光を浴びながら走るその様子は鬼気迫るものを感じて、私は何も言わずに付いていっていたんだけど、新校舎への渡り廊下に差し掛かって、その人は足を止めた。新校舎側を向いて、私を背中に隠した。私はその人が、誰から私を逃がそうとしている事に気付いた。
ダメと、その人は叫んだようだった。
それを最後に、記憶は消える。
2度目はもう少しだけ長い記憶だ。
走って、走って、走っている。脚が重い、脈を打つ心臓が痛い。もう立ち止まってしまいたい。けれど立ち止まるわけにはいかない。だって止まったら、捕まってしまう。私は私じゃなくなってしまう。逃げなきゃいけない。逃げて、逃げて、その手から逃げた。
夕陽が照らす廊下を走る。ただひたすら。
旧校舎から抜け出した。逃げ切れたと思った。
立ち止まるなと声が聞こえた。咄嗟に走り出して、私は床に転んでいた。前に踏み出したはずの脚が、床を蹴ったはずの足は、私の視覚からも感覚からも消えていた。その代わりとばかりに燃えるような痛みが私を蝕んだ。あまりの事に驚きもあったのか、異常な空間に訳の分からない成分が頭を巡っているのか、分からない、分からない。訳がわからない。
痛いのか苦しいのか暑いのかさむいか怯えているのか心が、心が、これは、なに?
鉄臭い液体が、広がって床も私も汚れていって、温度がなくなって何も考えられなくて、ただ、何もわからないまま、わからない景色を見ていた。
委員長が誰かの傍にいた。傍の誰かに何かを呟いて大事そうにその手を握っていた。
世界はまた、真っ暗になった。
繰り返し、繰り返し、繰り返し喰われて、重ねる毎に長くはなるけど、結局最後には飲み込まれた。
何度も、世界は闇と夕陽を繰り返した。
そして、何度目かの世界では、私は逃げ切った。逃げ切って、大好きな家族の所へ、家へと辿り着いた。既に自分以外は帰宅したらしい。私のサイズより大きい靴が3つ並んでいた。
夕陽の落ちるその前に辿り着いた家で、夕陽は、待っていた。
白い花も、白い壁も、白い天井も、カーテンも、机も椅子も、料理すらも。
ただひたすら、夕陽が滲んだ空の色。
家族の姿は無く、その色だけが存在しているそのリビングで、私は膝をついた。いや、違う。腰から下が消えていた。床についたはずの腕も消えていた。単に、またかと思った。
そしてもう何度目か分からない終わりを迎えた。
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ナツキさんが話した断片的な記憶を証明できる何かはない。でも彼女は間違いなく起こった事だという。知っているという。急に始まって、急に途切れて、また始まる。委員長が何度も何かを喰べたのは、間違い無い。と。
委員長に処分を聞いてくる。そう言って、ナツキさんは図書館の扉の向こうに消えていった。小鳥遊さん達は、図書室に向かうそうだ。僕は、…彼女を待つことにした。
ナツキさんは本当にすぐに戻ってきた。
「どうだった?」
「それはこっちの台詞よ……。委員長は、私に関しての責任を負っているのはソウマだからって言ったわ。つまり私自身の事は不問。……交換条件を満たせなかった時、どうなるのかはわからないけど。スワンプマンは見つかったの?」
「……多分まだ。僕が言うのもあれだけど、ナツキさんは僕と話してていいの?」
「多分って……。あんたねえ……。……あんなにみっともない姿を晒しても、生きたいって思ったのよ。……憎い気持ちはある。それでも、私の命運を握ってるのはソウマ。……私から話しかけないと、答えてくれないじゃない」
「期限を定められたわけじゃなかったから、気にしなくていいと思う。多分僕がどうするのか見てるだけだよ。……そうゆう人なんでしょ、委員長は」
僕らを見張れる位置に繋いで、管理しているように見えて、実は何も制限しない。僕らが従わなくてはならない理由なんてなにもない。委員長は放任主義だ。けれど委員長がいるという事を、委員長という存在自体を、僕らは鎖と思っている。それがあるから下手な事は出来ない。無闇矢鱈に喰らえない。喰らわない。だって死にたくないから。
「……委員長は、"存在"を喰べるの?」
「……知ってたの?」
「どうだろう。ただ……知識や感情、記憶……あとは、命を喰らうだけなら、成り代ることは出来ないと思って」
「委員長を、疑ってるの?あの人が別人になってたら、私が気付かないわけないじゃない‼︎」
うん、そうだよな。怒る…っていうか、感情的になるのも無理はない。ナツキさんなら尚更。ナツキさんに聞いた幾度となく喰われた話がもし本当に有った事なら、入れ替わりに気付かない訳がない。だとすると、1つしかない。
委員長が、"人生"を喰らう化け物を喰った。
委員長はもう1つの存在を持ったとも言えるだろう。ただ、どうしても僕にはその推測を確信に出来ない。腑に落ちるけど、すっきりしない。委員長があの人を喰ったなら、あの笑顔が全く同じだったのも分かる。嫌悪感を感じた理由は作り物の奪ったものだからと分かったから。遺言とやらが本当にあるのかは分からないけれど、僕の存在を知ったのは彼女を喰べて記憶を見たからだとすればあの人の匂いを漂わせて近づいてきた事にも納得できる。……納得、出来るはずなのに。
「"他者の人生"を羨むが故に、"他者の人生"を喰らう化物。それが関わってるって、音無先輩は言ったんだって?」
「……うん。正体も知っているみたいだった。けど、教えてくれる気はなかった」
「その、"他者の人生"を喰らう化物は、どこにいるの?委員長が野放しにするとは思えないけど」
「だから、もう居ないんじゃないかと思ったんだよ」
それって、と、ナツキさんが口を閉じた。でも、スワンプマンを探してこいと言ったなら、ちゃんとそれは存在しているのだろう。そして、音無さんは僕に"他者の人生"を喰らう化物がいる事を教えてくれた。
「……委員長が、喰べたっていうの?」
「可能性としては、高いと思う。ナツキさん達が知らないというなら、尚更ね」
「……じゃあ何で見つけさせたかったの?」
「それは分からない」
「見つけて、それでどうなるの?」
「……目的なんて、分からないよ」
それで彼女はどうしたいのだろうか。何かになりすました偽物を見つければいいという意味で僕はスワンプマンを探した。けれど、それは合っているのだろうか。委員長は、誰に成りかわるというのだろうか。どういう経緯かは知らないが、委員長が喰ったのは、間違いなく"あの人"だ。"あの人"が"他者の人生"を喰らった化物なのかは知らないが、"あの人"が委員長に喰らわれたのは、間違い無いと思う。では、その"存在"をどうするつもりなのだろうか。
「……って、どこ行くの⁉︎」
「委員長に会ってくる」
「……会ってくるって……。……どうする気なの?」
「分からない」
ナツキさんは、はあ?と随分素直に僕に怪訝そうな顔情を見せた。
「けど、見つけてどうしたいのか、直接聞く事は出来る」
委員長本人が答えてくれるかは別だけど、聞くだけはタダ。僕はたったいま歩いてきた道を引き返し、旧校舎の化物の所へと向かった。
【memories Ⅴ】
夕陽を明かりに、朽ちかけたフェンスをクッションに、私がいつも通り、乾く喉に水を詰め込んでいた時だった。
下校時刻もギリギリのこの時間に、よく見回りの教師から逃れてここに来れたなと、足音に耳をすませた。
「……最近は来客が多くて困るよ」
「ねえっ……!……あなた、誰?何年生?」
「それを知ってどうするのー?まさか、日中に探すつもりー?」
「そういう訳じゃ「無いよねー。そんなことは分かってる。だから聞くけど、何の用」」
喉が渇いて仕方がない。誤魔化すように水をまた流し込む。あー。もう無くなっちゃった。
数えるのも面倒になってしまった本日十数本だか数十本目の空のペットボトルを"呑み込んだ"が、足しにもならない。急に私の手の中から消えたそれに驚いたのか、来客は軽い悲鳴を上げた。この程度で驚くか?で、なに。と問えば、気を取り直したように私に向き合った。その目に浮かぶのは怖いもの見たさにも似た興味。
「あ、貴女が、ここに居るのが見えて……」
「嬉しくなって思わず来ちゃった?大したお嬢さんだこと」
「ねえ、貴女は、何でここにいるの?卒業アルバムとか他の行事やクラス写真にも、映ってない。わ、私は…貴女が言ったことも、気になってて…」
だがそれを聞くということは、彼女はまだ自覚していないのだ。自分が化け物だと、分かっていないのだ。ならばまだ泳がせていい。"無害"な内は、放っておいても問題ない。
それよりも正直今はさっさと帰って貰いたかった。喉の渇きは酷くなるばかり。喋るのも正直面倒だった。
タイミングの悪い……。
「どういう事なの?」
「どうもこうもなにも、そのままだよ。
そのうち自分で気付くだろう。だからさっさと帰るといい」
新しい水を飲み込んで、戸惑うだけの彼女の横をすり抜ける。あまり話していて愉快とは思わなかった。"おいしくない"。これで味が良ければ、多少は気に入ったかもしれないけど。
出来ればもう来ないでほしいな。
そう思うと、大抵世界は意地悪で、放課後のあの時間に必ず彼女は現れるようになった。私が行くと大抵いるのである。質問され、私は答えずその場を去る。それを何日も何日も繰り返した。相手のあまりの根気強さと、偽善者的な振る舞いが嫌いだった。こんな世界で、あまりにも"良い子ちゃん"な彼女が嫌いだった。嘘つき。こんなにも"自由"であるはずの世界を不自由の産物に変えているのは恐らく彼女の様な人間だろう。嗚呼、反吐がでる。なんで、"あの子"と重なるのか。
"あの子"が純粋なる善意で、あるいは無意識で行うような行動は、私の気持ちをいとも簡単に動かしたのに。自分より他者を取らせたというのに。
彼女は、偽善者だ。それを悪いとも思わない偽善者。確かに悪くないさ。誰も気付かないのだから。けれど、私からすればただ目の前に最高に腹立たしい存在がいる事は確かだった。
この学校の人間によく知られた存在で、私が嫌いなタイプの偽善者。気を抜いたら一瞬で丸呑みに出来る自信がある。そんな格好の獲物が、来るなとわざわざ私が忠告しているのに毎日毎日、目の前に現れる。
飢えるが故に、そこに行かざるを得ない私を嘲笑っているのかとすら思った。
こいつが嫌いだ。渇きを潤す為の水は、腹に不快な重みを生み出すだけの石のようだった。
嗚呼、嗚呼……もう、喰われても、仕方ないと思うだろう?
下校時刻まであと1分。
夕陽の落ちかけた屋上の、朽ちかけたフェンス。
今日に限って何故か泣き噦り、蹲る彼女の肩に私は、……手を掛けた。
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委員長は、前に僕が条件を提示された時と同じように椅子に座り、気分良さそうに人間なら一口サイズのタルトを齧っていた。
人形が自我を持って動いて食べ物を食べて……なんて非常識な事だろうか。
「別にいいじゃないか。世界は自由なんだから。それに私たちだって非常識な存在だろ?」
「……化け物だから、ですか」
「そうだね。自由であるという事だよね」
「訳がわかりません……」
「いいんじゃないかな、それで」
座りなよ。と言われた時、僕の後ろには既に椅子があった。使い込まれているようだが、何となく、これは僕の椅子だと思った。
「さて、君は……そうだなぁ。きっと、私に理由を聞きに来たんだろ?」
「……そうです」
「君は分からなくなった。何故私がスワンプマンを探させているのかも、探し出して、どうしたいのかも」
「……教えてくれますか?」
「教えてもいいけど、きっと君はまだ理解できないと思うよ?」
理解できない。それはどういう意味なのだろう。
「でも、君は理解しなければ、スワンプマンが誰かを私に言えない。そういう子だものね」
「……期間を決めなかったのは?」
「君がまだ私には言えないと知っているから。
人間はね、自分が自分なりに納得してからでなければ、相手に答えを示せないものだよ。
期間を定めてしまったら、優しい君はナツキの為に嘘をつくかもね?それを私は望まないし、だからといって、確信のない答えを聞きたいわけでもない。
幸いにも"世界"の時間は伸ばそうと思えばいくらでも伸ばせる。時計を少しだけ狂わせて、針を巻き戻せばいいだけだから。
だから納得のいくまで突き詰めればいい。証拠を、過去を、化け物を集めればいい。
そのくらい待てるよ」
ほらいい加減お座りよ。諦めて僕が座る為に目を逸らした一瞬の間に、ウサギのぬいぐるみが消えていた。その椅子に何もいなくなっていたわけではない。座っていた。そこには、パーカーのフードを目深に被った、顔の見えない女子生徒が、堂々と。見えないのに、僕にはどうにも、彼女が優しく笑っているようにみえた。
「いつまでだって待つさ。
君達を取り残したままになんて、私はしたくないのだから」




