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「愛することはない」と言った旦那様と離婚して、王都一の魔導衣装師になりました  作者: 星舟能空


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第9話 誓えない公爵

 膝を折ろうとすると、ライナルトは掌を見せて止めた。


「今日は屋敷の主として招いた。公爵として呼んだのではない」


「同じ方ではありませんか」


「同じだが、扱いを増やすと話が遅くなる。私は二十六着について、あなたの診断を聞きたい」


 身分に応じた礼を省かせる人なのかと思えば、ただ時間を惜しんでいるらしい。その少しずれた率直さのおかげで、私は立ったままの姿勢へ戻れた。


 床へ並べた寸法票を示し、二十四着の肩と襟、残り二着の脇と袖口、それぞれの不足を説明した。彼は反論せず、職人の名を一人ずつ確かめる。私は「縫製は一級の仕事です」と何度でも答えた。悪い職人を見つけて終えたい人なら、同じ問いを繰り返さないだろう。


 焼けた濃紺の礼装を彼の背後へ掲げると、寸法の不足がいっそう明確になった。衣装の肩線は水平だが、彼の右肩は剣を長く吊った人のようにわずかに低い。袖の付け根も前へ出ており、腕を上げるとき、背中側に指二本ぶんの布が要る。姿勢を型へ戻すのではなく、その身体が自然に立つ位置から測らなければ、何度仕立てても同じ場所が引かれる。


「右肩を上げて立て、と教えられた」


「その姿勢なら、式典の半刻はもつかもしれません。毎日の衣装は、残りの時間へ合わせるべきです」


「衣装に合わせて一日を変えるのは、普通ではないのか」


 質問が冗談に聞こえず、私は彼の顔を見た。王弟なら、冠に合わせて首を保ち、礼装に合わせて腕を下ろし、儀礼に合わせて呼吸まで浅くすることを、幼いころから普通と呼ばれてきたのだろう。


「礼のために選んでするなら、普通です。衣装がそうさせていると知らないままなら、不具合です」


 彼は返事をせず、右肩だけを意識して上げた。麻の上衣に斜めの皺が生まれ、すぐに力を抜く。柔らかな布は元の形へ戻り、彼の身体を責めなかった。


「私の魔力が多すぎるからではないのか」


「多いことは火を早めています。けれど、衣装は着る方へ合わせるものです。足が大きい方へ小さな靴を履かせて、足が規格外だと責めても靴擦れは治りません」


「私を大きな足にたとえた人は初めてだ」


「失礼でしたか」


「分かりやすかった」


 彼は自分の麻の上衣の袖を見た。洗い重ねて柔らかくなった布で、縫い目は古いのに、二十六着の礼装より肩へよく馴染んでいる。誰がこの形を選び、誰が繕ってきたのかを訊きたかったが、今は日常礼装の診断であって、持ち主の過去を聞き出す場ではない。


「白い王衣については」


「二十六着とは別に検める必要があります。胸へ集まる二十一本が何を運び、どこへ出るのか、仕様書を読まなければ触れられません。今日は分からない、としか申し上げられません」


「分からないことに、銀貨二枚を払ったのか」


 老家令の声には、初めて不満があった。私は受け取った銀貨を出そうと道具袋へ手を入れる。


「二十六着の診断料だけを頂き、差額は――」


「返さなくてよい」


 ライナルトが家令を制し、白い衣装からさらに一歩離れた。


「分からないと言った者への料金だ。十一人は、私の何が悪いかをそれぞれ詳しく説明した。あなたは衣装の不足を測り、王衣は同じ問題でないと分けた。それだけで、前の十一人より仕事をしている」


 褒められたのだろうが、喜び方が分からなかった。私は薄紙と寸法票をまとめ、彼の近くへ置かないよう王衣と反対側の机へ移す。


「一つ、頼みがある。今日見たものを、ほかへ漏らさないでほしい」


「守秘の誓約を結ばせていただけますか」


 口にした直後、王衣を着られない人に誓約を求めた自分の失言へ気づいた。謝ろうとすると、彼はわずかに眉を上げた。


「その言い間違いは、悪くない」


「悪くないことはありません」


「あなたは一瞬、私を誓約できる人間として扱った。三十一年で四人目だ」


 四人しか間違えなかったということは、周囲の誰もが、この人には契約を求めてはならないと知っている。けれど、その秘密を本人が守らせる手段はない。


「普通は、家令が私の代理で守秘契約を結ぶ。あなたと契約するのは家令になり、秘密を解く権利も家令へ渡る。私自身には、黙らせる力も、黙ってもらう約束を結ぶ力もない」


「成人の忠誠紋も、家産や住まいの紋も、お持ちでないのですか」


 彼は麻の袖を肘までまくった。前腕には、契約を結んだ成人なら一つは持つはずの紋がない。傷も影も、消した跡さえなかった。


「十六歳で結ぶ王国への忠誠も、家を持つときの家産も、私の身体には定着しなかった。誓約を破って罰を受けない人間へ、国を預けることを恐れる者は正しい」


 王衣が完成しなければ即位の誓約を結べず、ほかに王位継承者はいない。二十六着の焼損が衣装の問題で終わらない理由が、ようやく見えた。


 家令の腕には、袖口から二本の淡い紋が見えていた。一本は王家への奉仕、もう一本はこの屋敷の家産を扱う契約だろう。普通の守秘契約なら、私と家令の手首へ同じ輪を閉じ、破った側の魔力を焼いて記憶と金銭を差し出させる。ライナルトを守る契約なのに、彼だけが輪の外へ置かれ、解除の権限まで代理人に預けることになる。


「代理でも秘密は守れます」と家令が言った。責められたと思ったのかもしれない。


「はい。あなたが誠実であるかぎりは」


「私が死ねば、次の家令へ継がれます」


「次の方が、何を秘密と呼ぶかまで同じとは限りません」


 ライナルトが二人の間へ言葉を入れた。


「だから、彼女には私から頼んでいる。命令にすれば、王家の力で宿も仕事も失わせられる。魔法で縛らないことと、自由であることは同じではない」


 自分が持つ強制力まで先に差し出す人を、私は知らなかった。ギルベルトは家のためと呼び、父は妹のためと呼んだ。ライナルトは、同じ力をただ力と呼んだ。


「そのうえで、私は黙ります。王家が怖いからという理由も、なくなりません。けれど、それだけにはしません」


「なぜ、私にそこまで」


「あなたは先ほど、自分の診断の限界を先に出した。私も、隠して依頼すれば公平ではない」


 私は右手の手袋を外し、灯りの下へ差し出した。親指、人差し指、中指の腹にある格子状の術式縫製紋は、ところどころ線が切れ、皮膚の皺へ紛れかけている。


「私の紋は、使いすぎて擦り切れています。誓約庁では、このままならあと二年ほどだと言われました。自分の一着と、他家の六十九着を無資格で縫っています」


「なぜ、それを私に話す」


「先に一つ出していただいたので、こちらからも一つ出さなければ、同じ高さで話せないと思いました」


 王弟と無資格者が同じ高さになるはずはない。それでも彼は笑わず、私の指を見たあと、自分の何もない腕へ袖を戻した。


「では、私にはあなたを縛れない。黙るかどうかは、あなたが決めるしかない」


 その言葉の重みを、彼は三十一年ぶん知っているのだろう。秘密はすべて、周囲の善意と都合だけで守られてきた。本人がどれほど望んでも、誓いを求める権利が本人にはない。


 道具鞄から直し帳の紙を一枚出し、机で筆を借りた。


『本日、ヴァルデン公爵邸で見た衣装と着用者に関することを、ほかへ漏らしません』


 日付と自分の名を書き、彼の前へ差し出す。


「これは誓約ではありません。片務です。紋は浮かず、破っても魔法の罰はありません」


「では、何のために書いた」


「破れば、この紙を見せられ、私が困ります。これから王都で名前をつけて仕事をしたいので、約束を破った証拠が残ると困るのです」


「私がこの紙を燃やしたら」


「見せる証拠はなくなります。だから、預ける方も選ばなければなりません」


「あなたは、会って一日目の私を選ぶのか」


「信用したとは申しません。秘密を盾に私を働かせる方かどうか、まだ知りませんから。ただ、分からないと書いた診断へ料金を払い、私の名を消せともおっしゃらなかった。その二つを、今日の判断材料にします」


 彼は紙を持ったまま、ひどく真面目に頷いた。好意ではなく、観察した二つの事実から選んだと言われたほうが、かえって安心したように見えた。


 ライナルトは紙を持ち上げ、光へ透かした。罰も対価もない紙を、王家の契約書より慎重に読む。部屋の隅にある小さな机へ歩き、一番上の抽斗を開けると、中には何も入っていなかった。


 紙を底へ置いて抽斗を閉めたあと、彼は老家令を見た。


「ここには、ほかのものを入れないでくれ」


「記録簿にも載せずに、でございますか」


「これは彼女が自分で書いた紙だ。私の所有物のように帳簿へ入れたくない」


「公爵殿のお名前は、書かれなくてよいのですか」


「私が署名すれば、あなたの約束へ王家の返礼があるように見える。今は何も返さないほうが、あなたが自分で選んだ紙のままだろう」


 受け取ることと所有することを分けるために、彼は自分の名を足さなかった。その慎重さが、空の抽斗を一つの場所にした。


 私の署名だけが入った紙は、彼を守ると同時に、私が破れるものでもある。破れるから、破らないと選べる。その不完全さを、彼は空の抽斗ごと受け取った。


「本日の診断書は、ヴェレナ・ノルデンの名で残してよろしいですか」


「望むなら。匿名を選んでも報酬は変えない」


「名前を残します」


 老家令の差し出した診断票へ、二十六着の焼損位置と採寸不足を記し、白い王衣は未診断と明記した。無資格の私にできるのは縫製ではなく診断だけだが、それでも誰かの帳簿へ初めて自分の名と仕事が並んだ。


 報酬欄には銀貨二枚と書き、その横へ、見た衣装二十七、診断済み二十六、保留一と分けて記した。家令は保留の文字を嫌そうに眺めたものの、消印を押さなかった。答えを出さない仕事にも金を払ったという事実が、屋敷側の帳簿にも残る。


 地下を出る前、ライナルトが後ろから私を呼んだ。


「あなたの指は、あと二年だと言ったな」


「はい」


「二年で、何着縫える」


 六十九着と答えるのは簡単だった。しかし、その数をもう一度繰り返したいわけではない。


「その二年を、何に使うかによります」


 彼は急かさず、私が階段を上りきるまで、答えの続きを求めなかった。


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