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「愛することはない」と言った旦那様と離婚して、王都一の魔導衣装師になりました  作者: 星舟能空


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第8話 焼き切る男

 黒い馬車から降りた従僕は、名を告げずに出張の診断を求めた。ミナが料金表を示すと、割増分をはるかに超える銀貨二枚を作業台へ置き、迎えは明朝、行き先は中央区北端だとだけ伝える。依頼票の氏名欄も、診る衣装の種類も空白だった。


「怪しいですね」


「怪しいです」


「行くんですか」


「行きます。銀貨二枚あれば、宿を二日延ばせます」


 ミナは納得しない顔をしながらも、出張用の布鞄へ、巻尺、木炭筆、薄紙、縫わずに留められる小さな挟み金具を詰めてくれた。ケルナーは依頼票の空欄を見ても驚かず、「見ても縫うな。見えたものを全部口にするな」と言った。


「依頼人へも、ですか」


「何を知りたいか、先に訊け。知りたくない答えまで渡すのは親切ではない」


 翌朝、馬車は王宮の北壁に沿って走り、黒ずんだ石造りの屋敷へ入った。大きさこそ伯爵邸ほどではないが、門の蝶番一つまで手入れが行き届き、玄関には客の靴から雪を落とすための毛織が寸分違わず敷かれている。隠しているのは貧しさではなく、家名だった。


 老家令に案内され、石段を三十段下りた。鉄扉の向こうには、木製胴へ着せられた衣装が四方の壁を埋めていた。焦げた絹と羊毛、溶けた金属糸の匂いが、冷たい地下の空気へ層になって残っている。


 二十六着あった。黒や濃青の礼装が十四、外套が七、祭礼服が三、見慣れない形式が二。どれも一級衣装師にしか許されない金糸を使い、裏地まで王都最高級の絹で仕立てられていたが、肩、襟、脇、袖口のいずれかが内側から焼けている。


 寸法は子供用から成人用まであり、最も古い三着は、七つか八つの少年に合う大きさだった。成長のたびに新しく作られ、二十年以上、同じ失敗が身体を追ってきた列である。


「触れてもよろしいですか」


 家令は頷いたが、扉のそばから動かなかった。私はいちばん古い黒い礼装へ掌を置く。二十年以上前の布なのに、裁ちの線は素直で、四つ設けられた逃がし口の始末も美しい。縫った者が発火を予測し、通常の倍の出口を作ったことが分かる。


 それでも、左肩から襟にかけて焼けていた。薄紙を焦げ跡へ当てて輪郭を写し、次の濃紺、三着目の灰、四着目の祭礼服まで肩線を測ると、形の違う衣装にも焼損位置の偏りが現れた。


 濃紺の礼装は、肩へ耐熱の銀布を重ね、熱を逃がす刺繍を三列に増やしていた。そのため火は肩を抜けず、襟の硬い芯地へ移っている。灰色の外套では襟を低くして首を守った代わりに、右の脇が拳ほど黒くなっていた。祭礼服は袖を広げ、腕へ流す量を減らしていたが、袖口の金具が溶けて裏布へ貼りついている。職人たちは前の失敗を知らされなくても、目の前の一着で考えられる対策を尽くしていた。ところが身体へ合わない一点だけが、対策の出口を次々と移していた。


 衣装の内側へ縫いつけられた工房札から年代を拾い、床へ五年ごとの列を作った。ミナが鞄へ入れてくれた挟み金具で、各衣装の肩線を同じ位置に留める。焦げ穴の大きさは年代とともに小さくなり、縫製技術の進歩を示しているのに、焼ける位置はほとんど変わらない。二十六着を担当した一級衣装師たちが揃って下手なのではなく、全員へ渡された最初の条件が揃って間違っている。


「以前の衣装が燃えたことは、次の工房へ伝えましたか」


「家名と着用者を伏せ、耐熱性を高めるよう注文しました」


「焼けた場所と、着たときの様子は」


「それを示せば、誰の依頼か推測されます」


 家令の返事は、秘密を守る仕事としては正しい。けれど秘密のために切り取られた情報が、次の職人へ同じ寸法を渡した。私は二十六着の工房名を薄紙へ写しながら、誰も怠けていない失敗ほど長く続くのだと思った。


 二十四着は肩か襟。残る二着は脇と袖口。布に残る体温と動きの癖はすべて同じで、右肩がわずかに下がり、腕を上げる前に左足へ重みを移す。複数の工房が一人のために作り、どの工房も本人へ直接巻尺を当てていないらしい。


 寸法票を探すと、各衣装の内側へ小さな紙が縫い留められていた。肩幅、胸囲、袖丈、首回り。数値は少しずつ違うのに、すべてが偶数の切りのよい数字で終わっている。人の身体を実測すれば、こんなに美しく揃うはずがない。


 私は一着ごとに、表から肩線へ木炭の印を置き、裏返して引かれた布目を追った。数字が正しければ、身体の重みは左右ほぼ同じ幅に散る。実物は左襟から右肩へ斜めに皺が走り、右袖の付け根だけ縫い糸が深く沈んでいた。着用者は右肩が低い。平らな胴へ着せた寸法なら左右は同じでも、一人の身体へ着せれば必要な長さは違う。


 二十六枚の薄紙を重ねると、肩の不足はほぼ同じ場所で透けた。工房ごとに採寸値は変えてあるのに、補正の向きまで同じなのは、職人が別々に人を測った結果ではない。一枚の基準票か、寸法を移した仮胴をもとに、各自が余裕だけを足したのだろう。


「採寸は、どなたが」


「職人ごとに違います。ただし、ご本人へ触れることは許されておりません」


「許さなかったのは、ご本人ですか」


 家令は答えず、「これまでに十一人が診た」とだけ言った。彼らの所見も別の綴りに残っている。素材の耐性不足、刺繍密度の不足、着用者の魔力量が規格外、着用者が術式に適合しない――言葉は違っても、最後にはすべて、着る人間の側を欠陥としていた。


「十一人には、二十六着を一度に見せましたか」


「一人につき一着か、多くて三着です。情報が外へ漏れた場合の範囲を狭めるために」


「では、同じ位置が焼け続けたことを知る方は、この屋敷の方だけです」


 家令の顎がわずかに下がった。彼も初めて気づいたのではなく、気づいていて、職人へ渡せなかったのだろう。秘密は着用者を守る壁であると同時に、壁の外にいる二十六人から比較する目を奪っていた。


「衣装の出来は悪くありません。けれど、寸法が合っていません」


「二十六着、すべてですか」


「二十四着は、肩幅が少なくとも一指、首回りが半指ほど足りない。布が引かれ、逃がし口へ届く前に力が肩か襟へ集まっています。脇で焼けた一着は、袖を上げたときの余りがなく、袖口の一着は腕が長い。どれも、布に残った身体より小さく作られています」


「魔力が多いことは」


「同じ寸法違いでも、普通の方なら縫い目が早く傷むだけだったでしょう。大きな魔力が、ずれをすぐ火にした。ですが、量が多い人へ普通の寸法を押しつけたなら、直すべきなのは人ではなく衣装です」


 家令は礼も反論もせず、私を最奥へ案内した。そこには、一度も着られていない白い衣装があった。裁たれた絹へ金糸が半分だけ入り、胸の中央で二十一本の流路が一つに束ねられようとしている。即位のとき、王と国土を結ぶ王衣だった。


 白絹は薄いものを六枚重ね、間へ髪より細い銀網を挟んでいる。外から見える二十一本の金糸は、胸で一本になる直前に銀網へ潜り、背へ回って裾から再び表へ出る設計だった。未完成なのは怠慢ではない。胸の交点まで縫ったところで、糸が針の中から焼き切れた痕が、黒い点として三つ並んでいた。着用者がいない仮縫い台の上で起きたなら、寸法だけでは説明できない。


「この三度は、同じ職人ですか」


「一度目のあとに工房を替え、二度目は二人で、三度目は王宮の起草師が縫いました」


「なら、手の癖とも分けます。二十一のうち、どれが最初に熱を持ったかという記録は」


「ありません。全て同時だったと」


 全て同時だったという言葉だけでは、二十一本それぞれの変化も、胸へ集まった瞬間の順序も分からない。それを測らないまま集約をほどけば、二十一本の意味を壊すかもしれない。私は金糸へ伸びかけた手を止め、手袋の内側で指を握った。


「これは、二十六着とは別にしてください」


「なぜです」


「焼けていないからです。一度も着られていない布へ、焼けた衣装と同じ原因を置くことはできません。それに、こちらは肩ではなく、二十一本が胸へ集まるところで止まっています。日常の礼装と同じ寸法の問題だと決めれば、誤ります」


 分からない、と言うのは怖かった。銀貨二枚を受け取って地下まで来たのだから、何か答えを出さなければ役に立たないと思われる。けれど、役に立つためだけの答えは、閉じない裾を三年間隠した糸と同じだった。


 白い衣装へは触れず、半歩下がった。そのとき、鉄扉が開く。


「そこまで見たか」


 入ってきた男は三十を少し過ぎたころで、黒に近い茶の髪を短く整え、何の術式もない麻の上衣を着ていた。王都で最も金のかかった衣装が並ぶ部屋には不釣り合いなほど簡素なのに、肩線も袖丈も彼の動きへ柔らかく沿っている。


「二十六着については。白い衣装については、まだ何も分かりません」


「あなたの前に来た十一人は、皆、何か分かったと言った」


「それで直った衣装はありますか」


 男は一瞬、返事を忘れたようだった。やがて白い王衣から距離を取り、私の写した焦げ跡へ目を落とす。


「ない。直らないたび、次はもっと厚く、もっと強くと命じた」


「厚い布は、寸法が足りないとき、身体へ戻す力も強くなります。守ろうとして加えたものが、焼ける場所を深くした可能性があります」


「命じた者の失敗か」


「命令だけでは縫い目を決められません。ただ、失敗を一着ずつ別の秘密にしたことは、二十六着へ残っています」


 依頼人かもしれない男へ、家令の前でそこまで言ってよいのか迷った。それでも、知らされなかった職人だけを責めれば、二十七着目も同じ順序で作られる。男は家令を咎めず、自分の麻の袖を一度つまんだ。


「では、二十六着を一つの失敗として、あなたが見たものを聞かせてほしい」


 二十六枚の寸法票を床へ年代順に並べ、足りない箇所へ木炭で印をつけた。男が近づくと、一度も着られていない王衣の金糸が、誰も触れていないのに淡く光る。さらに一歩近づいた瞬間、金が限界色の白へ変わった。


「止まってください」


 私の声に、男は足を止めた。白い光もそこで踏みとどまり、彼が一歩退くと金へ戻る。着なくても、触れなくても、同じ部屋にいるだけで術式へ魔力が入る。二十六着が寸法不足で焼けた事実と、この人の魔力が桁外れである事実は、どちらか一方ではなかった。


「あなたのお名前を、伺ってもよろしいですか」


 男は半分まで縫われた王衣を見たあと、こちらへ向き直った。


「ライナルト・ヴァルデン」


 国王フェリクス三世の弟で、王位継承第一位。次の王になるはずの人が、王衣から離れた場所で、ただの麻を着て立っていた。


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