第7話 通りで燃える
南区の市が立つ木曜日、ケルナーに頼まれて繕い糸を買いに出た。店で使う麻糸や木綿糸は月に一度まとめて買うほうが安く、色の違う束を両腕へ積むと、視界の半分が塞がった。ミナは荷車を借りるべきだと言ったが、借り賃の銅貨三枚があれば、細糸をもう二巻き買える。
市場の中央を抜けかけたところで、人の輪が崩れた。喧嘩なら見物人は内側へ寄る。このときは、誰もが中心から離れようとして互いを押し、果物の籠や陶器の皿まで踏みつけていた。その隙間から、白に近い火が立ち上がる。
糸束を軒下へ置き、逆向きに走った。道の中央で、若い男が赤い外套を脱げないまま転げ回っている。肩から裾へ走る火の刺繍は、東部方面軍の士官礼装に使われる型だった。本来は深い朱色に光るだけの術式が、限界まで魔力を抱えて白く変わり、背の生地を内側から膨らませている。
「水を持ってこい!」
桶を探す声へ、私は思わず叫び返した。
「かけないでください! 蒸気が衣の内側へ籠もります。外から消えても、着ている方の皮膚が焼けます」
火を恐れて下がっていた人々が今度は私を見たが、説明している暇はなかった。男の背中が裂け、噴き出した炎が石畳を舐め、真っ赤になった顔の開いた口からは、もう声も出ていない。
膝をついて肩を押さえると、厚い羅紗越しにも掌が焼ける。襟を引いて裏返し、赤い金属糸がどちらへ走っているかを追った。入口は首の後ろ、出口は両脇。ところが右も左も、細かな黒糸で丁寧に塞がれていた。
新しく揃った縫い目は、破れを見つけた誰かが親切で繕ったものだろう。悪意のない針が、二つの逃げ道を完全に閉じていた。
術式を止めるには糸へ手を入れなければならない。私が術式を縫えば無資格施術になり、三級を受ける道は閉ざされる。ほんの一拍、四十日後の試験と、目の前で息のできない男が同じ秤へ乗った。
私は腰の道具袋から小鋏を抜いた。縫うのでも、ほどいて整えるのでもなく、人を焼いている縫い目を壊すだけなら、少なくとも術式縫製ではなかった。
「外套を押さえてください。火ではなく、布の端を」
近くにいた肉屋の男が、厚い革手袋のまま裾を踏んだ。私は右脇へ刃を差し込んで三針を切り、開いた隙間から白い光を細く道の上へ逃がした。左は五針あり、二つ目の出口が開くと、背を覆っていた炎は急に低くなり、刺繍の色が白から朱へ戻っていく。
士官は大きく息を吸い、咳き込んだあと、子供のように涙を流した。泣く力が残っているのを確かめてから、襟元を緩め、火傷した背へ布が貼りつかないよう周囲だけを切り開く。今度は軍服を壊すことに迷わなかった。
名をヨルク・ベーレンという。市場近くの宿に滞在し、三日前、脇のほつれを女将が無償で繕ってくれたらしい。
「あの人を罰しないでください。俺が頼んだんです。こんな穴、開いてちゃみっともないって」
「女将さんは、ここが逃がし口だと説明を受けていましたか」
「俺だって今知りました。軍からは、濡らすな、火に近づけるなとは言われましたけど」
意識を失う前に、彼は自分の外套がまた使えるのかを訊いた。火傷より先に制服の弁償を心配するのは、若い士官の給金では簡単に替えられないからだろう。切ったのは開いているべき箇所であり、表布と裏地を補えば着られると説明すると、肩から力が抜けた。
市場の薬師が革鞄を持って駆けつけ、外套を脱がせようとしたので、私は焼けた箇所を指で示した。背中の裏地は一部が皮膚へ貼りつき、腕を引けば、水疱まで一緒に破れる。脇から裾まで表布だけを切り、衣装を左右へ開いてから、薬師が濡らした麻布を差し込んだ。
「制服が……」
「着直せる形で切っています。ただ、逃がし口は閉じずに残してください」
「穴の開いたままで式へ出ろって?」
「穴ではなく出口だと分かる仕上げへ替えられます。別布で縁を取り、左右に同じ印を付ければ、ほつれとは間違えません」
そこまで言ってから、まだ私には縫う資格がないと思い出した。直せる形が見えても、自分の針で完成させるとは約束できない。ヨルクへそのことも伝えると、彼は痛みで歪んだ顔のまま、「じゃあ、できる奴に、その通り頼む」と答えた。助けた者の続きまで自分が所有しなくても、衣装は直せる。
「それなら最初から、穴だって分かるようにしておけばいいのに」
「私も、そう思います」
軍の同型礼装は、東部だけでおよそ四百着。四百人の脇の下に、安全設備が「ほつれ」として隠されている。その数を記録してよいか尋ねると、ヨルクは焼けて震える指で署名した。
医者を呼んだ市場役人が到着したのと、周囲の人垣が再び割れたのは、ほぼ同時だった。濃紺の外套を着た五十歳ほどの男が、衣装師組合の徽章をつけた二人を従えて歩いてくる。外套は華美ではないが、雨の落ちる肩、机に擦れる袖口、歩幅で引かれる脇に、それぞれ適した補強が入っていた。衣を見ただけで、長く現場を知る人だと分かる。
「組合長のボーデです。まず医者へ。士官殿の外套は脱がせず、切り開いたまま担架へ載せてください。女将の名は記録しますが、現時点で責任を問うな。説明を受けていなかった可能性がある」
指示は速く、どれも正しかった。最後に、彼の目が私の鋏と開かれた脇へ移る。
「あなたが切ったのですか」
「はい。両方の逃がし口が塞がっていました」
「資格証を拝見します」
「持っていません」
周囲の空気が変わった。ボーデは声を荒らげず、私の手から鋏を取り上げることもしなかった。ただ、外套を検める係へ、切った箇所を先に写し取るよう命じた。
「無資格者による術式の改変は禁じられています」
「改変していません。縫い目を破壊し、元からある出口を開けました」
「言葉を替えても、あなたの判断で軍の礼装へ刃を入れたことは変わらない。もし出口でなかったら、どうするつもりでした」
「出口であることを確かめてから切りました」
「その確かさを、誰が保証しますか」
私は答えられなかった。自分には布が読める、と言うことはできる。だがその力を知らない人にとって、それは無資格者が自分の目だけを根拠に刃を入れたという話でしかない。
ボーデは勝ち誇らなかった。むしろ疲れたように、切り開かれた外套を見た。
彼の随員が検分紙へ「無資格者による損壊」とだけ書こうとしたとき、ボーデは筆を止めさせ、「着用者の呼吸を回復させるため」と結果も追記させた。私を認めるためではなく、都合のよい半分だけを記録すれば、組合自身の判断も歪むと知っている手つきだった。
「善意の繕いが原因なら、再発を防ぐには使用者への注意喚起が先です。設計の欠陥と断じ、四百着を回収すれば、代替の礼装が揃うまで兵は式典へ出られない。被服廠で働く裁ち手と縫い手、七十人あまりの給金も止まります」
「ほつれに見える形で安全設備を隠したまま、注意書きだけを増やすのですか」
「見せる礼装には、見せるための都合があります。脇へ大きな切れ目があれば、軍は採用しない。採用されなければ、安全に作った職人から職を失う」
私は彼の濃紺の外套へ目を戻した。脇の下には表布と同色の細い襞があり、腕を下ろせば見えず、上げれば出口が開く。ほつれに似せず、安全も損なわない作りだった。
「組合長の外套には、見えるときだけ開く襞があります」
随員の一人が私を睨んだが、ボーデは自分で腕を上げ、襞の内側を確かめた。
「これは個人仕立てです。軍の一括品へ同じ細工を入れれば、布代に加え、一着につき半刻の手間が増える」
「四百着で二百刻です」
「七十人へ割れば短く見えるでしょう。だが被服廠は、春の新兵分も同じ期日に納める。遅れれば、別の工房が契約を奪う。あなたは一着の安全を見つけた。私は四百着と、次の四百着と、その代金で食べる家族まで見なければならない」
「でしたら、見なかったことにはできませんね。次の四百着にも、同じ出口が縫われます」
彼の目が細くなった。私の言葉は、組合長としての責任を責めると同時に、彼の正論をそのまま返したものだった。ボーデは自分の外套の襞を下ろし、随員へ、現物の脇を縫った糸と軍の手入れ指示書を押収ではなく借り受けるよう命じた。
「調べます。ただし、調べることは欠陥を認めることではない」
「はい。調べなかったことにもなりません」
軽い言い訳ではなかった。衣装は身につける一人だけでなく、裁つ者、縫う者、売る者の生活も包んでいる。ボーデはその全員を数えようとしている。一方で、今焼けたヨルクも四百人の一人だった。
「では、記録へ両方を書きます。無償の繕いで塞がれたことと、塞ぐべきでない場所が外からはほつれに見えること。四百着をただちに廃棄せよとは書きません」
「あなたが作った記録を、組合の判断資料にはできません」
「資格がないからですか」
「資格がないことに加え、あなたがハーロウ伯爵家の件で当事者だからです。正しい疑いでも、利害のある人間が断定すれば、巻き込まれた工房は反論する権利を失う」
「では、組合で検分し、組合長のお名前で残してください」
ボーデの表情が初めて動いた。私の紙へ署名するつもりはないが、自分で調べないとも言えない。彼は紙を受け取って二度読み、返した。
「写しを一部、組合へ。軍へは私から連絡します。ただし、今後あなたが同じように無資格で衣へ刃を入れれば、結果が人助けであっても看過しません」
その日の夕方、店へ戻ると、泥のついた糸束を見たミナが悲鳴を上げた。使える部分を洗い分けながら市場の出来事を話すと、ケルナーは私の記録を最初から最後まで読み、ボーデの名の横へ小さな印をつけた。
「何の印ですか」
「返事をした人間の印だ。いい返事かどうかは別だ」
翌朝、衣装師組合から王都の工房へ通達が回った。「ヴェレナ・ノルデンを推薦する者は、その無資格判断についても連帯して責任を負う」。規程を言い換えただけの文章で、嘘は一つもない。だからこそ、これから頼む二人の署名を、ほとんど不可能にする力があった。
通達の写しを読み終えたとき、店の前へ一台の黒い馬車が停まった。扉にも御者台にも、持ち主を示す紋章はなかった。




