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「愛することはない」と言った旦那様と離婚して、王都一の魔導衣装師になりました  作者: 星舟能空


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第32話 春の祭礼

 春の祭礼の日、大聖堂前の広場は衣装の光で満ちていた。風を受けて銀糸の羽根を広げる外套、歩みに合わせて花弁を散らす裾、家の紋を淡く石畳へ映す礼装。実用だけを考えれば要らない光も、冬を越えた人々が春を祝うためには役目を持つ。


 私は広場の後方で、ミナ、ケルナー、ゾンネと並んだ。壇上へ駆け寄らないよう自分で選んだ位置で、消火要員の配置と退路が見える。手元には砂時計、第三号と同じ変色布、白変の段階を書いた検分票を持っていた。


 大聖堂の鐘楼から壇上まで、昨夜のうちに何度も歩いた。私の位置から王弟まで二十八歩、最寄りの消火要員から九歩、左右の退路には各十五歩ある。祭礼の飾り布が風で垂れれば右の退路を塞ぐため、朝一番に結び目を高く直してもらった。三千人の視線が集まる日でも、事故は人目を恐れて遠慮してはくれない。


 参列者の前列には、冬祭りで胸元を切った伝令の姿もあった。今日は術式のない濃紺の上衣を着ており、私に気づくと胸へ手を当てて一礼する。あの日、原因を逃がし口の閉塞と説明したまま、公には訂正できていない。私は検分票の端へ、その未了も書き加えた。今日の成功が、昨日の嘘を無かったことにするわけではない。


 鐘が鳴り、王家の一行が大聖堂から現れた。国王の王衣は金糸を幾重にも重ね、胸から裾へ国土の紋を流している。王女たちの衣も、春の色を光としてまとっていた。


 その最後に、ライナルト様が灰色の外套で階を上がった。光をまとわない布が、朝の石段へ彼自身の影を落としている。


 周囲の華やかさの中では、粗い山羊毛がかえって目を引いた。背の波形の菱形だけが、家紋でも宝石でもない規則正しさを見せている。誰かが「山羊毛だ」と囁き、別の誰かが喪服かと笑った。


 けれど彼は、笑い声の方へ一度も目を向けなかった。三十一年間立てなかった階を一段ずつ上がり、最上段で兄王と向かい合う。フェリクス王は儀礼の所作を崩さず右手を差し出し、ライナルト様も手袋のまま短く触れた。握手と呼ぶには一瞬だったが、二人の袖が触れない距離を探してきた宮廷には、それだけで息を呑む気配が走った。


 国王が何かを小さく言い、弟の口元がわずかに緩んだ。私の場所までは届かない。聞こえない言葉を、自分に都合よく兄弟の和解へ仕立てることはしなかった。ただ、ライナルト様が灰色の襟を自分で一度整え、決められた一歩へ立った。その動作だけは、私が確かに見たものとして胸へ残った。


 私は外套の色だけを見た。入口のない暖気回路は正常に働き、二十一の逃がし口から淡い琥珀の筋が石の階へ落ちている。


 祭司が春の祈りを読み始めたところで、フェリクス王が動いた。予定どおり二歩下がり、弟との距離を一歩にする。国王の王衣にある金糸が、肩から白くなり始めた。


 この白変は、未完成王衣が胸で焼けた二十一回路の集約過負荷とは違う。今起きているのは、ライナルト様の周囲へ満ちた魔力が、隣にある王衣へ外から流れ込んだためだった。


 私は砂時計を視界の端へ置き、背の菱形を追った。波形の縁が一斉に明るくなり、余分な魔力を二十一の細い流れへ分けた。光は外套の内側へ溜まらず、石段を伝って地面へ消える。国王の肩で白くなりかけた金糸に、ゆっくりと金色が戻った。


 上の頂点が、石室で見たときより濃く光った。私は停止札へ指を掛ける。外套そのものは安全色の範囲だが、国王の肩にはまだ白が残り、二つの変化が別の速さで進んでいる。五つ数えるあいだに、下の頂点からも細い琥珀が落ち、左右の波へ光が均等に広がった。そこでようやく王衣の白が縁から消えた。


 未完成王衣が持つ二十一回路は、今ここで働いたわけではない。フェリクス王の現在の王衣は別の完成品であり、外から流れ込んだ余分を金糸が受けただけである。地下の白い王衣が胸で焦げた原因は、二十一本の回路を一か所へ集約した設計過負荷。灰色外套は同じ数の出口へ分散する。見た目の数字が重なったため、私は検分票にも二つを別欄で記し、後日の説明で混ぜられないようにした。


 停止札から指を離しても、気は緩めなかった。一度戻った色が再び白くなれば、布の蓄熱が始まった可能性がある。祝詞の一節ごとに襟、右脇、背、裾を追い、ライナルト様が自分で前紐へ触れられる姿勢を保っているかを見る。彼も時折、こちらの停止札を確かめてから自分の袖へ視線を戻し、成功を信じることと監視をやめないことを、同時に選んでいた。


「止めなくていいんですか」


 ミナが私の袖を握った。彼女の目も、国王の肩と灰色の菱形を交互に追っている。


「白変は戻っています。外套も安全色です」


「足、前へ出てます」


 私は片足だけ石畳の線を越えていた。戻りながら、彼を信じていても、離れた場所で見守ることにはまだ慣れていなかったのだと気づいた。襟へ触れられた一歩を知ったあとでは、広場の端はひどく遠い。


 祈りが終わるまで、外套は燃えなかった。フェリクス王は弟の方を向き、壇上で何かを尋ねた。遠くて聞こえないが、ライナルト様は一度頷き、二人は同じ高さで春の風を受けた。


 続いて、本来なら国王が代読するはずだった王弟の祝詞が開かれた。フェリクス王は巻紙を弟へ渡し、ライナルト様が自分の声で、春の播種と冬を越えた民の安寧を誓う。飾り立てた響きを削いだ、聞き取りやすい低い声だった。広場の端まで届いたのは、兄弟が一歩に立った姿より、その声の方だったかもしれない。


 読み終えた巻紙を返すとき、二人の指は触れなかった。それでも、触れないために弟だけが退くこともなかった。衣が可能にしたのは、抱擁のような奇跡ではない。一歩の距離で、同じ仕事を順に果たすという、ごく普通の王族の所作だった。その普通さのために二十七秒、三分五十四秒、一刻超と積み上げてきたのだと思うと、視界が滲んだ。


 鐘が二度鳴って儀式が終わると、広場のざわめきは初めより大きくなった。粗末な外套を笑う声だけではない。なぜ王衣が燃えなかったのか、誰が作ったのか、背の菱形は何の紋章かと、人々は互いに訊いていた。


「ヴェレナさん、頬」とミナに言われ、私は初めて涙に気づいた。


 胸に込み上げたものを、悲しみとも、成功だけを祝う喜びとも呼べなかった。私が作ろうとした衣は、彼を安全な孤独へ閉じ込める鎧ではない。ほかの人が隣へ近づくための道具だった。その働きを、作った私自身が今日まで知らなかった。


「拭くもの、ありますよ」


「少し、このままにします」


 ケルナーは何も言わず、検分票の空欄を左の指で示した。私は涙を拭かないまま、「一刻未満、異常なし。周辺王衣の白変は回復」と書き、ミナとゾンネにも確認の名をもらった。


 壇上から下りたライナルト様は、王族の列を離れる前に検分場所へ来た。私は人目のある広場で襟へ手を伸ばさず、まず本人へ熱感を尋ねる。背の上部が一度温かくなったが、熱いとは感じず、前紐にも問題はなかったという。外套を脱いでもらい、四人で裏を開くと、上の頂点だけが他より半段濃く、焼損も硬化もない。


「祝詞の途中で、止められると思った」と彼は言った。


「私も止めるつもりでした」


「止めなくてよかった、とは言わないのだな」


「止める色にならなかったことが、よかったのです」


 彼は頷き、観衆へ戻る前に、裏札へ書かれた全員の名をもう一度確かめた。私はそこで初めて、「お似合いです」と伝えた。燃えないことしか見ていなかった試験中には言えなかった、衣装師としての感想だった。


 午後、直し屋へ戻ると、夕刊売りの声が通りを走った。一面には階上の兄弟が描かれ、その下に大きく「王都一の魔導衣装師、王弟を壇上へ」とある。


 ミナは三部買い、ケルナーは一部も要らないと言った。私は記事を最後まで読み、新聞社へ訂正を申し入れるための紙を出した。


「何を直すんですか。名前も合ってますよ」


「王都一ではありません。私は三級です。それに、外套は私一人で作っていません」


「王都一って、資格の等級じゃないでしょう」


「誰が一番かを調べた記事でもありません」


 私が真面目に書く横で、ミナは新聞を壁へ貼った。端が曲がっているので剥がそうとすると、彼女は作業台の一番高い位置へ移す。


 訂正文には、設計者の私だけでなく、入口をなくす着想を出したミナ、布の重ねを直したケルナー、裁ちを検めたゾンネ、山羊毛を織った北方工房、角釦の職人まで書いた。新聞社の若い記者は困った顔で、「見出しに全員は入りません」と答える。私は見出しを長くしろとは求めず、記事本文で誰の仕事かを分け、王都一という評価は新聞社の表現だと明記してほしいと頼んだ。


「称号を断れば、客も減りますよ」と記者は忠告した。


「実際より大きい名で来る客を、今の店では安全に測れません。私は三級で、石室も持っていない。それを知って依頼する人の衣だけを受けます」


 王都一という言葉は、婚家で誰にも見せず縫った仕事まで清めてくれそうな甘さを持っていた。だからこそ受け取れなかった。灰色外套一着の成功を冠にしてしまえば、その下で名を失った人や、これから開かなければならない帳面が見えなくなる。


 夕方、ボーデが訪ねてきた。祭礼局の正式記録を確認するためだという。差止めを破った罰については口にせず、検分票と第三号を読み、波形の縁へ残った色を確かめても、彼の表情は緩まない。


「一人に合った。それは認める」


「ありがとうございます」


「だが、型紙にはならない。一人の王弟を壇上へ上げても、次の魔力過剰者が安全になるわけではない」


「はい。ですから、次の人へ渡せる形にします」


「どうやって。一人にしか動かない術式を」


 私は壁の新聞を脇へ置き、三十六枚の焦げ布と焦げずに残った山羊毛、第一号から切り取った変色帯、第二号の背へ残った熱の記録を示した。称号より先に渡せるものは、成功へ至るまでの違いを残した布の方だった。


「答えを写させるつもりはありません。渡すのは失敗と測り方です。この外套の複製を命じる文は書かず、誰を、どの距離で、何回試し、どこで止めたかを残します」


 ボーデはなお納得しなかった。けれど、記録を見ずに否定もしなかった。


「それなら最初に調べるべきは、あなただけの試験ではない」と彼は言った。「王都の衣装師が、これまで誰を使い、どこで止めてきたかだ」


 翌朝、私は王都の衣装工房名簿を借りた。営業中の工房は六十六軒。過去二十年の試着人数、着用回数、焼損、説明と同意の有無を尋ねる照会状を、ミナと二人で六十六通作った。


 最初の文面は、焼損数だけを尋ねる短いものだった。だがボーデの言葉を思い返し、何人が何度着たうちの事故か、報酬はいくらで、断った記録があるかを加える。火傷が一件でも多い工房を悪と決める調査にすれば、危険を正直に記録した工房ほど罰を受け、帳面を持たない工房ほど清潔に見える。


 工房名を公表しないこと、試着者本人の名は求めないこと、答えない選択も記録することを末尾へ書いた。封筒を六十六へ揃えるうち、ミナの指にも私の指にも蝋が固まり、祭礼の花の匂いは店から消えていった。成功した日のうちに次の数字へ向かうのは、喜びを薄めるためではない。一人のためにできたことを、一人だけの美談で終わらせないためだった。


 新聞の「王都一」は訂正されないまま壁に残った。私はその名を受け取る代わりに、王都中から返るはずの数字を待つことにした。


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