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「愛することはない」と言った旦那様と離婚して、王都一の魔導衣装師になりました  作者: 星舟能空


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第28話 入り口のない術式

 山羊毛を一反買い、作業台へ広げると、直し屋の中だけ季節が冬へ戻ったように見えた。粗い灰色は祭礼用の絹と違い、灯りを受けても艶を返さない。その代わり、掌で押せば空気をたっぷり含み、日常の寒さには素直に役立つ布だった。


 私は型紙の肩と袖を写し、流路を引いた。暖気の基本は、襟に入口を置き、肩から両腕へ流し、袖口と裾から余分を逃がす。魔力の多い人には逃がし口を増やす。それが二十四年間、二十六着で試されてきた定石である。


 二つを四つに、四つを八つに増やせば、布にはそれだけ切れやすい場所ができる。試験片では粗い織り目が魔力を散らしたが、一着分の面積が入口から魔力を呼び込めば、抜ける量より入る量が多くなる。


 午前のうちに三枚引き、三枚とも丸めた。午後にはベルタの娘の外套を出して、以前ほどいた流路を読み直した。あのとき私は、逃がし口を足す手を退け、肩へ魔力を通さない選択肢を示した。


 一枚目は入口を半分に細くしただけだった。呼び込む量は減るが、襟の一点へ吸い寄せる性質は変わらず、むしろ狭い線へ圧が集中する。二枚目は入口を裾へ移し、足元から少しずつ上げる案にしたが、長い流路の途中で熱が偏れば、本人が胸の異常に気づく前に膝裏を焼く。三枚目は背だけを暖めようとして、脱ぐ人の手が届かない場所へ危険を集めた。


 どれも教本の線としては成立している。成立しているからこそ、王弟の外套へ使えば「規則どおり作ったのに」と言い訳まで用意される。私は丸めた紙の外へ、捨てた理由を一行ずつ書いた。案を消すだけでは、明日の自分が同じ線を賢い思いつきとして描き直すからだった。


 そのとき、魔力を逃がすより先に、そもそも布へ通さないという考えが、ようやく一つの設計として形を持った。


 紙へ書いたものの、暖める部分まで通さなければ、ただの山羊毛でしかない。次の紙には「呼ばない刺繍」と書き、自分で線を引いて消した。


「捨てるなら、裏を計算紙にしてもいいですか」


 ミナが床の紙を拾った。返事を待つ間にも皺を伸ばし、表の二行を読んでいる。


「その案は働きません」


「どうしてですか」


「術式は入口で周囲の魔力を呼び、流路へ入れて仕事をさせます。呼ばなければ何も入らず、暖かくなりません」


 ミナは紙と私を見比べ、山羊毛へ目を移した。術式を読めない人は、教本の線を当然の形として見ない。


「でも、あの方のところには、呼ばなくてももうあるんですよね」


 私は消したばかりの二文字へ指を戻した。紙の繊維に残った墨は、消したあとも入口の形を薄く浮かべていた。


「ある、というのは」


「魔力です。多すぎて困るくらいあるなら、わざわざ呼ばなくても、勝手に布へ入るんじゃないですか」


 入口、流路、機構、出口。術式を四つへ分けて考えると、入口だけは仕事をする部分ではない。魔力の少ない着用者のために、外から集める部分だった。


 ライナルト様の周囲には、集めなくても魔力が満ちている。入口を縫わず、布目から自然に入る分だけを暖気の機構へ通せば、流入量を抑えられる。彼が脱げば、周囲の濃度が下がり、術式は動かない。


「ミナ。今の言葉を、この紙へ書いてください」


「あたしがですか」


「私が書くと、あとで自分の思いつきにします」


 彼女は笑ったが、私は本気だった。捨てた紙の余白へ、少し右上がりの字で「呼ばなくても、もうあるなら、呼ばなくていい」と書いてもらい、日付と名も添えてもらった。


「でも、あたしは術式を縫えませんよ」


「縫える人だけが考えたことにすると、次も縫えない人の疑問を捨てます」


 ミナはまだ居心地が悪そうだったので、私は考案者欄を一人の名にせず、発見と設計を分けた。発見はミナ、回路設計は私、布の補強はこれからケルナーとゾンネ。誰か一人のひらめきとして新聞へ載せるより長い表記になるが、長いから省いてよい名ではない。三年間遅れていると笑った彼女の時間を、資格がないという理由でもう一度遅らせたくなかった。


 その夜、ミナは自分の字を何度も読み返し、結局「こんな当たり前のこと」と呟いた。私は、当たり前は専門家の目から最初に隠れることがあると答えた。誂えの仕事では、最も難しい線を引いた者の名声よりも、着る人の身体へ近づくために、どの目が何を見つけたかが大切だった。


 新しい型紙では襟の入口を空白にした。脇から自然に入る微量を胴へ回し、暖気を作り、裾の四か所から外へ逃がす。ほかの誰が着ても、魔力不足でただの粗い外套になる。


 いきなり一着へ縫う前に、掌幅の帯を四本作った。入口なし、入口を一針だけ残したもの、暖気機構なし、出口なし。公爵邸の石室でライナルト様に近づけると、入口なしの帯だけが緩やかに温まり、一針を残したものはそこへ光が集中した。機構なしは魔力を受けても冷たいまま散らし、出口なしは七つ数える前に縁が褐色へ変わった。


 その比較には、ゾンネが術式のない同じ形の帯を腕へ巻いて立ち会った。ライナルト様から三十二歩離れたままなので、彼女の帯は当然冷たい。それでも本人が試着しない対照を一つ置けば、石室の気温が上がっただけではないと確かめられる。私は温度順を避けて四本を構造順に貼り、失敗帯の褐色も削らず残した。


「私が近づけば、ほかの方の服は焼ける。だが、この帯は私が近づかなければ働かない」


 ライナルト様が入口の空白を指で追った。何も縫われていない場所が、この衣では最初の条件になる。


「はい。あなたを危険の原因として遠ざけず、必要な力の持ち主として設計へ入れます」


 口にしてから、その違いが思った以上に大きいと分かった。彼の魔力を減らすことも、身体の外へ封じることもできない。ならば過剰であることを欠陥の欄から外し、衣が働くための条件として最初から記すべきだった。


「一人にしか使えませんね」


「一人に使えればよいのです」


 口にすると、職人としてはひどく不経済な答えなのに、手の内側が温かくなった。同じ型紙を百着へ写せない。一人の肩と一人の冬にしか役立たない。その狭さを、私は惜しいと思わなかった。


「誂えるというのは、そういうことです」


 ただし、一人用という言葉を免罪符にはしない。襟を一寸広げただけでも、流入する布の面積は変わる。袖丈を別人へ合わせれば、出口までの距離も変わる。同じ灰色、同じ菱形を写しても、安全まで写せるわけではない。その注意を型紙の上端へ赤で書き、「転用不可」と断じず「転用時は新規測定」とした。方法は次へ開きながら、答えだけを安易に使わせないためである。


 夕方、ボーデが直し屋へ来た。申請却下後の見回りに来た様子はなく、組合員から「入口のない術式を作っている」という報告が上がったのだという。


 私は型紙を隠さず、彼の前へ置いた。ボーデは入口の空白を三度確認し、暖気機構から出口までを指で追う。


「これは術式ではない」


「教本の定義では、そうなります」


「定義でないという話ではない。入口のない線は、登録時の検査項目がない。どの距離でどれほど入るか、着るまで誰にも分からん」


「ですから、本人に着てもらい、石室で測ります」


「失敗すれば、王弟殿下が燃える」


「衣が燃える前に色が変わります。本人が脱げる形にし、私が止めます」


 彼は、私が無謀だから反対しているのではなかった。標準から外れた一着が成功すれば、次に真似をする十人が出る。そのうち九人は、対象者も石室も持たずに縫うだろう。


「組合の標準試験なら、最低何例が必要ですか」


「同型で十例。年齢と体格を分け、うち三例は別工房が縫う」


「対象者は一人しかいません。十例へ増やすために、似た魔力量の人を探す方が危険です」


「だから登録できないと言っている」


 ボーデの答えは冷たく聞こえたが、数字そのものは必要だった。十例を一例へまけてもらえば安全になるわけではない。今回は標準へ上げず、本人専用の私有衣として試し、結果を広告に使わない。その代わり、十例に届かなかった事実を表紙へ大きく記すことで合意した。


「成功したら黙っておけ、とは言いませんね」


「事故も成功も提出しろ。ただし組合承認とは書くな」


 互いに譲歩したというより、何を保証しないかを合わせた。彼が型紙を畳まず帰したことで、反対されている部分と、禁じられていない部分が初めて分かれた。


「私的な試験まで禁じる規程はありません」と私が言うと、ボーデは認めた。「だが、公の儀礼では使わせない。結果が一人にしか再現できないものを、安全な型として扱うわけにはいかない」


「まだ、公で使うとは申していません」


「成功すれば、使いたくなる」


 否定できなかった。着られる一着ができたなら、私は彼に冬の庭だけでなく、人のいる場所へ出てほしいと思うだろう。


 ボーデが帰った後、ケルナーは入口のない型紙を左手で押さえた。折り畳まず卓へ残したまま、私の答えを待っている。


「縫うのか」


「縫います。ただし一枚目で終わる条件も、先に書きます」


 中止条件は、本人の熱感、糸の白変、右手の紋の悪化。そのどれか一つ。私は依頼書へ追記し、写しを公爵邸へ送った。


 返ってきた紙には、「他の者には着せない」「試験の利益を受ける本人が着る」「中止の判断は衣装師に従う」と、ライナルト様の字で三行が足されていた。三行は、別の誰かへ危険を移さないために、守られる側の彼自身が引いた線だった。


 四行目には、「結果の良否を問わず、寸法、距離、失敗布を保存する」とあった。彼が守りたいのは自分の身体だけではないらしい。七歳の自分へ母が残した焦げた巻尺のように、次の人が失敗から始めずに済むものを、一着の外へ残そうとしている。


 私はその下へ、「衣装師は依頼人の希望があっても停止できる」と追記した。着たいという本人の選択を尊重することと、発火まで我慢させることは同じではない。彼は文面を読み、異議なく署名した。王族の希望より職人の停止判断が優先される契約は、公爵家の書式には欄がなかったので、家令が新しく余白を作った。


 一人にしか動かせない衣を作るのなら、失敗の負担まで別の誰かへ着せてはならない。その三行を型紙の隣へ置き、私は裁ち鋏を入れた。


 刃が灰色の布を進む音は、絹より低く鈍かった。正解を切り出しているのではない。止める権利と失敗を残す約束まで含めて、ようやく最初の一枚を試せる形にしているのだと思った。


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