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「愛することはない」と言った旦那様と離婚して、王都一の魔導衣装師になりました  作者: 星舟能空


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第27話 焦げない生地

 生地試験の申請書は、翌朝のうちに戻ってきた。却下の理由は三行あり、無登録の術式、危険物の燃焼、王族を用いた耐火試験の三点だった。


「三つとも、その通りです」


 組合の窓口を通さず、ボーデ本人が応接卓の向こうに座っていた。私が申請したのは組合所有の石造試験場である。王都で術式布を意図的に燃やせる設備は二つしかなく、その一つを彼が管理していた。


「正しい理由なら、諦めると思われましたか」


「正しい理由を示した以上、別の安全な方法を探すのは自由だ。私が止められるのは、組合の設備を貸すことだけだ」


 彼は私を嫌っていても、存在しない規則を作って追い返しはしなかった。もっとも、組合の試験場を使えなければ公的な成績にはならず、成功しても「三級の私的な試作」としてしか残らない。それが彼の守りたい境だった。


「却下した申請書も、記録として閲覧できますか」


「申請者と、事故が起きた場合の調査官にはな」


「なら、理由を一つ足してください。既存の標準試験は、対象者の周囲へ常時あふれる魔力を想定していない、と」


 ボーデはしばらく私を見たあと、余白へその文を加えた。彼が認めたのは、現在の制度で測れないものがある、という一点だけだろう。却下は扉を閉ざす印であると同時に、どの扉から先が制度の外かを示す線にもなる。私は組合印の乾くのを待ち、控えを一部受け取った。


「王弟殿下が命じても、貸されませんか」


「命じられれば貸す。貸して、命令書も試験記録へ綴じる。その成績を見た職人は、布の強さより王家の強さを読むだろう」


 私がライナルト様の口利きを使わないと知っているからこその返事だった。腹は立たなかった。むしろ、同じ危険を別の側から数えている人の言葉として、申請書と一緒に持ち帰った。


 公爵邸の地下室を使うことになった。壁も床も石で、三十二歩の長さがある。使用人へ参加を命じないこと、試験中は地上への扉を開けておくこと、砂と水と消火布を両端へ置くことを、ライナルト様自身が家令へ書面で指示した。


 直し屋の棚から出した反物は三十七種。麻九、綿十一、絹六、毛八、混紡三で、値段も織りの密度も違う。掌二つ分に切り揃え、同じ太さの銅糸で、三級の最小の暖気回路を入れた。


 三十七種を揃えるまでに、布問屋を五軒回った。王弟の外套と告げると、どの店も最初に光沢のある絹と南方の細毛を出し、裏地にしか使わない粗布は奥へ隠した。「上等なものから試す」という親切が、今回だけは選択肢を狭める。私は用途を伏せ、素材名、糸の太さ、織りの密度、価格の四項目で見本を求め直した。


 問屋の帳場で値を記すと、同じ麻でも一尺あたり銀貨一枚から銅貨三枚まで開きがあった。高価な布が残れば王族の衣らしく、安い布が残れば費用は助かる。しかし結果を望みに寄せれば、試験をする意味がない。値札は試験番号から外して別紙へ封じ、どれがいくらかを、燃え方の判定が終わるまで私自身にも見えないようケルナーへ預けた。


 三十七枚すべてを私が縫えば、試す前に指を減らす。そこでゾンネに事情を説明し、同じ規格で半数を頼んだ。どちらが縫ったかで差が出ないよう、完成後は裏返して番号だけにし、ケルナーが糸の深さを検めた。


 最初の検分で、二十四番だけが戻された。ゾンネの針に問題はない。私の規格表に「布厚の半分」としか書かず、粗い毛織のどこを半分とするかが曖昧だったのだ。私なら長年の癖で谷の部分を基準にするが、彼女は毛羽の頂点までを厚みへ数えていた。説明なしで一致すると思った私の不備なので、二十四番を除外して新しい布を裁ち、規格表へ断面図を足した。


 一人の手なら迷いが表に出ず、早く三十七枚を揃えられたかもしれない。けれど他人の針で再現できない手順は、次の職人へ渡せない。ゾンネが「これなら同じにできる」と言うまで書き直した図も、試験片と一緒に綴じた。


「私が縫えたら、もっと早いんですけどね」


 番号札を結びながらミナが言った。彼女は術式こそ縫えないが、三十七枚の縁を同じ幅でかがり、試験中にほつれないよう整えてくれた。


「あなたまで急いで資格を取る必要はありません」


「急いでません。三年遅れてます」


 明るい声のまま返されると、慰めで塞げない。私は三十七枚を木箱へ収め、彼女が三級試験へ出す金額と日数も、外套の試験とは別の紙へ書いた。


 地下室では、試験片三十二枚を西壁の不燃架台へ、互いに掌一つぶん離して四段に並べた。架台へ収まらない残り五枚は二回目へ回す。東端のライナルト様から各試験片までを同じ三十二歩に揃え、彼が西へ一歩進むたび、すべての布が等しい距離で濃い魔力を受ける配置にした。


「燃える布の近くへ、あなたが行く必要はない」


「読み取るには近くで見る必要があります」


「消すのは家令に任せられる」


「どの糸から白くなり、どの方向へ熱が動いたかは、消火布をかける前にしか読めません」


 私は西の壁際に立ち、彼とは三十二歩離れた。互いに危険を背負い込まず、自分にしかできない作業だけを持つ。その配置を確かめてから、彼に歩いてもらった。


 開始の鐘を鳴らす直前、扉の外から若い従者が茶の盆を運び込もうとした。袖口には保温の銀糸が入っている。本人は試験片から離れているから安全だと思っていたが、今日の測定条件には布とともに、ライナルト様から受ける距離も入る。私は敷居で止め、盆を術式のない布へ替えてもらった。


「そこまで必要か」と医師が訊いた。


「必要だったかどうかは、終わったあとに分かります。途中で銀糸が白くなれば、三十七枚のどれによる熱か、殿下の魔力によるものか判定できません」


 家令は手順書へ「入室者の袖口も確認」と加えた。大げさに見える一項が、次の試験では当たり前になる。その積み重ねでしか、勇気や身分に頼らず再現できる安全は作れない。


 三歩目で、上等な白絹が発火した。婚礼衣装なら一反金貨に届く生地である。目が詰まり、光沢が均一であるほど魔力の逃げ場がなく、白変から炎までが早かった。


 五歩目で別の絹、七歩目で細番手の麻が燃え、十一歩では金属を織り込んだ新しい混紡が青い火を上げた。高価な順に生き残るわけではない。私は番号と距離、白変までの秒数、燃えた向きを書き、ミナと家令が消火布を替え続けた。


 二十歩を越すと、残りは七枚になった。二十三、二十六、二十八歩で毛織が一枚ずつ落ち、三十歩では三枚がほとんど同時に白くなった。ライナルト様が足を止め、私が記録し終えるのを待つ。


 残った一枚は、北の山羊毛だった。太い灰色の繊維を粗く織り、冬外套の裏へ使う安価な布である。三十一歩まで近づいても、銅糸は赤みを帯びるだけで白くならない。


「なぜ、これが残る」


 私は火箸で試験片を持ち上げ、灯りへ透かした。指先が見えるほど織り目が粗い。術式へ入った魔力が仕事を終える前に、布の隙間から少しずつ散っている。


「上等でないからです。織りを密にし、糸を細く揃えるほど、普通の衣は美しく強くなります。ただ、あなたの周りでは、整いすぎた布ほど魔力を抱え込む」


 二回目の五枚でも、山羊毛を越えるものはなかった。三十七種のうち一種だけ。それも一反銀貨二枚で、絹の十分の一だった。


 封じていた価格表を開くと、残った山羊毛は三十七種で最も安かった。布問屋が表地として勧めなかった理由も、毛が不揃いで染め色が沈むからである。高価な絹ほどよい衣になるという王都の常識を、結果だけで嘲るつもりはなかった。光を均一に巡らせる祝祭衣には密な絹が優れ、魔力を抱えず散らす今回の衣には粗い毛が優れる。用途が違えば、上等という言葉の中身も変わる。


「安い布を殿下に着せたと噂になります」と家令はなお懸念した。


「値を隠して高価だと言い換えれば、布の出所を持つ山の人まで隠れます。この布が役に立ったなら、正しい代金を払い、名を出して仕入れます」


 ライナルト様は見本の端に残った問屋印を確かめ、北方の織り手へ追加注文を出すと決めた。ただし王家が一反すべてを買い占めれば、普段それを裏地に使う荷運び人や羊飼いの値が上がる。外套三着分と試験用だけに数量を限り、価格をつり上げない条件まで、家令が注文書へ書いた。


 家令は灰色の見本を両手で受け取り、困ったように眉を寄せた。


「殿下が、これを表にお召しになるのですか」


「王衣にはなりません。儀礼の格式にも合いません」


 私は、燃え残った粗い布を撫でた。硬い毛先が指に引っかかるが、その隙間こそが役に立つ。


「でも、これで一枚縫えば、あなたの隣に人が立てます」


 言ってから、家令を飛び越えてライナルト様の方を見ていたことに気づいた。彼もまた、布より私を見ている。


「誰が立つ」


「誰でもです。家令も、伝令も、陛下も」


 自分を数えなかったのは、わざとではない。誰でもという言葉の中へ入れば、望んだことを認めずに済むからだった。


 彼はそれを指摘せず、三十六枚の焦げ布を一枚ずつ紙へ貼る私を手伝った。彼が距離を書き、私が燃え方を書く。王族の筆跡と三級衣装師の筆跡が、同じ失敗の記録に交互に並んだ。


 指示を出すことに慣れた手が、糊で汚れるのを厭わず焦げ布を押さえていた。一枚だけ上下を逆に貼りかけ、私が止めると、彼は言い訳をせず剥がす。端が少し裂けたので、その傷も「貼付時の損傷」と記した。王弟が手伝った美談にするより、どこで新しい傷が入ったか分かる標本の方が、次に役立つ。


「あなたは、私がした失敗まで残すのだな」


「残します。工程の一部ですから。殿下の失敗という扱いにはしません」


「なら、あなたの失敗だけが特別に重くなることもないか」


 答えようとして、私は糊刷毛を洗うふりをした。婚家で縫った六十九着は、まだ誰にも開いていない。彼はそれを知らずに言ったのだろうが、工程の一部として並べるという考えは、胸の奥に隠した帳面にも届いた。


 最後の灰色だけは貼らず、外套一着分を買うための見本として残した。ただし掌二つ分で耐えたことは、衣一着が耐える証明にはならない。面積が増えれば、周囲から入る魔力も増える。


「『三十一歩まで耐えた』とは結論づけません。次に燃やす候補が一つ残っただけです」


 私がそう書くと、ライナルト様は数字を甘くしなかった。成功と呼ばない人と組めることが、私は少し嬉しかった。


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