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「愛することはない」と言った旦那様と離婚して、王都一の魔導衣装師になりました  作者: 星舟能空


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第25話 十二歩

 伝令の礼装は、胸元から白くなり始めていた。祭りの灯を映した白とは違う、金糸が熱で色を失うときの濁った白だった。


 金糸が限界まで熱を含むと、最初に色を失う。白は清浄の色だと婚礼では好まれるけれど、術式衣に限っていえば、炎が上がる一歩手前の色だった。


「動かないでください。腕も下ろしたままに」


 私は人垣を割って伝令のもとへ戻り、肩章と襟を一目で確かめた。冬祭りの広場では、蜜と香辛料を焦がす匂いに混じって、金属を熱したときの鋭い臭いが立ち始めている。伝令は命令書を抱えたまま、王弟殿下の前で勝手に退くことをためらっていた。


「殿下から離れて。走らず、十二歩以上です」


 命じたのは私だったが、ライナルト様が先に三歩退いた。王族が道を譲ったことで、ようやく伝令は後ろへ下がる。四歩、五歩と距離が開くにつれて、白かった金糸へ薄い黄が戻ったものの、胸元にはまだ熱が溜まっていた。


「息は苦しくありませんか。胸、脇、首の順に、熱いところを教えてください」


 伝令は青ざめた顔で自分の身体を確かめ、熱いのは金糸の重なる胸だけで、皮膚は痛まないと答えた。私はその返事を二度復唱させ、そばにいた祭礼局の書記へ時刻と距離を記してもらう。衣が焼けかけたとき、人は炎だけを覚え、何歩目で何が起きたかを忘れる。あとから原因を都合よく作らせないためには、広場のただ中でも測れることを測らなければならなかった。


 私は飾り襞の裏へ鋏を入れた。布を作り変えず、縫い目だけを断って術式を壊すなら、無資格の施術には当たらない。封じられていた脇の流路が開くと、熱は細い光になって石畳へ落ち、礼装はようやく元の金色を取り戻した。


 祭りを見に来ていた三百人ほどが、私たちを囲んでいた。その中には組合長のボーデもおり、切った箇所を見下ろしている。


「原因は何だ」


 問いは短かったが、この場で答えれば、明日の噂を待たず、今夜から事実として歩き始める。ライナルト様の身体には誓約の紋がなく、周囲へ溢れる魔力が術式衣を焼く。そのことを公にしてよいか、本人から私はまだ選択を受け取っていなかった。


「逃がし口が、飾り襞で塞がれていました」


 私は、見えている傷だけを原因に仕立てた。ボーデは切り開かれた脇を確認し、伝令へ今夜はもう着ないよう告げる。人々は分かりやすい不備を得て散り始めたが、ライナルト様だけは、十二歩より遠い場所から私を見ていた。


 人垣がほどけてから、私は伝令を祭礼局の詰所まで送った。彼は借り物の上衣を肩へ掛けられても、切られた礼装の代金を給金から引かれるのではないかと気にしていた。そこで私は、着用者の動作で傷んだものとはせず、着用を続ければ発火したため診断者が緊急に切開した、と控えへ書く。ボーデもその一文へ組合長の印を押したので、少なくとも今夜の火を、命令どおり走った伝令の落ち度にはされずに済んだ。


「四歩目で急に胸が熱くなりました」と、彼は上衣を返す前に言った。「殿下のおそばへ行くまでは、ずっと何ともなかったのです」


 私は頷いたが、それを証言として使ってよいかも尋ねた。名は伏せてほしい、しかし同じことが起こるなら距離だけは残してほしいという。原因を公にできなくても、起きたことまで消す必要はない。私は彼の希望を記録し、祭りの喧騒の外へ出てから、初めて自分の手が震えているのに気づいた。


 直し屋へ戻ると、私は蜂蜜焼きの包みより先に綴じ表紙を開いた。日付、場所、礼装の工房、白変が始まった距離、切った位置を書き、その下へ二行加える。


 ――公衆への説明、逃がし口の閉塞。


 ――実際の原因、ライナルト・ヴァルデン殿下の周囲に満ちた魔力の流入。ただし本人の同意なく公表せず。


 書いてしまえば、嘘は正しくならない。ただ、自分まで嘘の方を信じずに済む。紙を閉じかけた私へ、ケルナーが左手を差し出した。


「二人目の署名欄を空けるな」


「殿下の秘密です」


「俺に秘密を寄越せとは言っていない。お前が何を書いたかを見た者の名を残せと言っている」


 私は一度だけ迷い、事実を伏せた別紙へ、説明と実際が一致していないことだけを書いた。ケルナーは読み、余白へ日付と名を記す。隠したことまで一人で抱え込むのは、婚家の蔵でしていた仕事と同じだった。


 翌日、公爵邸からは抗議の代わりに、地下室の使用許可証が届いた。末尾に、ライナルト様自身の手で「距離測定のため」とある。


 地下室の石床には、家令が一歩ごとの白線を引いていた。東西三十二歩の端から端まで、数字の札まで立ててある。燃えるものはすべて運び出され、壁際には砂桶と水、それに厚い消火布が三枚用意されていた。


 一歩は人によって違うので、家令の歩幅だけを基準にはしなかった。白線の全長を麻縄で測れば二十三尺と少しあり、私は縄にも一歩ごとの墨印を移す。今後、別の部屋で試験をしても、昨日の「十二歩」を同じ距離として再現できるようにするためだった。出入口には立入札を掛け、扉の外にいる者も術式衣を脱いだ。安全とは、燃える試験片の周りに水を置くことだけでなく、測っていない衣を一枚も紛れ込ませないことでもある。


「昨日の説明を、責めるつもりはない」


 ライナルト様は術式のない麻の上衣で、東の壁際に立っていた。私も魔力糸の入っていない仕事着を選んでいる。燃える可能性があるのは、床に置いた金糸の試験帯だけだった。


「責められないことと、正しかったことは別です。私は、あなたへ訊かずに秘密にしました」


「あの場で訊かれていたら、私は答えられなかった。だから助かった」


「では、『助けたから正しい』にもいたしません。あの診断は訂正できる時が来たら訂正します」


 彼はすぐには頷かなかった。自分が謝れば、私の判断まで引き取ることになると分かっている人の間だった。


「分かった。その時は、私も自分の名を出す」


 責任を半分にするという言葉ではなかった。それぞれの名で、それぞれがしたことを残すという返事だったので、私はようやく試験帯へ向き直れた。


 床へ置いた金糸は、王都の礼装で最もよく使われる太さに揃えてある。私が西端で見張り、ライナルト様には東端から一歩ずつ近づいてもらった。


 二十歩では変化がない。十五歩で、金の光がわずかに薄くなった。十三歩で糸の縁に白が混じり、十二歩まで来ると、白変は進まず一定になった。


「そこで止まってください」


 私は砂時計を返し、百まで数えた。糸は白と金の境を保ったまま、炎にはならない。さらに一歩近づいてもらうと、十も数えないうちに白が芯まで入り、私は消火布をかぶせた。


 同じことを三度繰り返した。糸を替え、置く位置を替え、彼が歩く向きも替えたが、十一歩では焼け、十二歩では耐えた。


「金糸なら、安全側に一歩足して十三歩。目を離さずにいられるなら、十二歩です」


 私が記録へ線を引くと、ライナルト様は十二と記した札を見た。昨日まで、近づいてはならない距離は誰にも分からなかった。分からないものは、王宮ではたいてい最大まで遠ざけられる。


 続けて銀糸と銅糸も一筋ずつ置いた。銀は金より白変が見えにくいため、灯りの角度を変えて表面の曇りを読み、銅は赤熱する前の鈍い褐色を基準にした。銀は十歩、銅は七歩で変化が止まり、それぞれ一歩内側で急に熱を抱えた。同じ魔力を受けても、素材ごとに危険の縁が違う。金糸の十二歩だけを彼そのものの距離にしてしまえば、世界を再び一つの型へ合わせ、人としての彼を見失うことになる。


「王宮では、何歩と決められていたのですか」


「幼いころは三十歩だった。大広間の壁際からなら、兄と同じ部屋にいてよいと言われた」


「その後は」


「測らなくなった。私が先に退けば、事故は起きなかったからだ」


 事故が起きないことと、安全が分かっていることは違う。彼が退き続けた三十一年は、危険を避けた記録ではあっても、危険を測った記録ではなかった。私は三本の糸を別々の封筒へ収め、距離の短い銅糸を見ても、すぐに衣へ使うとは書かなかった。近づける素材が、長く着られる素材とは限らないからである。


「十二歩というのは、思ったより短いな」


「長いです。普通の部屋なら、端と端になります」


「だが、無限ではない」


 その言い方に、私は返事を忘れた。十二歩も離れなければならない事実より、その先まで孤独が果てしなく広がってはいないことを、彼は喜んでいた。


「誰も測らなかったので、全員が無限に遠くにいたのですね」


「あなたが測った」


「まだ金糸だけです。銀糸も、銅糸も、生地も調べます」


「では、十二歩より近くなる可能性もある」


 私は記録へ視線を戻した。職人なら、安全な数字が一つ出たところで喜ぶべきだった。けれど私が考えたのは、次に何を替えれば、彼の襟へ手が届くかだった。


 測定のあと、鉄扉の向こうにある白い衣を見せてもらった。途中で止まった王衣は人の形を保っているのに、胸の中央だけが褐色に焦げている。裾から上がる二十一の細い回路は、すべて胸へ向かい、焦げの手前で途切れていた。


 王衣の周囲には、針箱と糸巻きが作業を中断した日のまま封じられていた。けれど針には番号があっても、誰がどの線を担当したかという札がない。仕立て帳には「共同制作」とだけあり、十九人の職人名は別紙に並ぶものの、二十一の回路と結びついていなかった。焼けた一点だけを見れば一人の縫い損じにできるが、この衣では誰の判断を誰が継いだのかさえ追えない。


 私は白手袋の上から裾の一線を指し、途中で縫い幅が替わる箇所を家令にも見せた。二十一という数が王国の地方数と重なることまでは読める。だが、裾から国土の力を呼び込むのか、胸から二十一地方へ返すのかは焼け落ち、その前の試験片も保存されていない。日常の礼装がライナルト様の身体へ合わず、主に肩や襟、一部は脇や袖口で焼けたことと、この王衣が二十一本を中央へ束ねて焦げたことを、同じ「殿下が燃やした」に畳んではならなかった。


 私は三歩離れた位置から布に残った魔力を読んだ。外から集めようとしたのか、胸を通して国土へ配ろうとしたのか、流れの向きさえ焼損で失われている。確かなのは、二十一という数と、一点へ寄りすぎた線だけだった。


「これを直せるか」とは、ライナルト様は訊かなかった。


 私も「直します」とは言わなかった。今の私が測るべきなのは、三十一年間、一着も自分に合う衣を持たなかった一人の身体だった。


「先に、あなたの寸法を測らせてください」


 十二歩の札を間に置いたまま申し出ると、彼は白い王衣から目を上げ、私を見て頷いた。


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