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「愛することはない」と言った旦那様と離婚して、王都一の魔導衣装師になりました  作者: 星舟能空


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第16話 無料の相場

 ギルベルトが持ち込んだ二十三本の型紙は、ハーロウ家の貸衣装を使った家、原型の写しを購入した家、縁組の際に一部だけ転記した家のものだった。筒の封には急ぎを示す赤紐が結ばれ、どれにも伯爵家の家令が作った一覧が添えられている。仕事の準備だけは周到で、料金欄だけが空白だった。


「二十三家へ、婚姻が無効かもしれないと知らせた」


 ギルベルトは客用の椅子へ浅く腰掛け、膝の上で手袋を握っていた。私が向かいの台へ筒を三本ずつ並べる間も、以前のように早くしろとは言わなかった。


「皆、今すぐ直せと言っている。式をやり直す家もあれば、娘の相続に影響が出ると恐れる家もある。これはハーロウ家から広がったものだ。だから、費用は我が家が持つ」


「費用を持つ、とは」


「君が診て、直せばよい。三年していた仕事だろう。家へ戻れとは言わないし、手柄もこちらのものにはしない」


 以前より譲ったつもりなのだろう。私は料金表を彼の前で裏返さず、診断一件銀貨二枚、再診断は銀貨一枚、術式の本格修補は二級以上へ引き継ぐと書かれた行を指した。


「三級の私にできるのは診断と、規定内の軽微修補です。第十二条を新たに入れて閉環させる縫製は、二級以上へ依頼してください」


「分かった。なら診断だけでいい。二十三件、合わせて銀貨十枚でどうだ」


「四十六枚です」


「同じ型紙を使っているのだぞ。見る箇所も同じではないか」


「同じ家名でも、着る人と布と転記の時期が違います。二十三人分を一人分として診れば、また数えない仕事になります」


 彼は唇を引き結び、工房の壁に掛かった看板を見た。伯爵家なら、店一軒に命じるより買い取るほうが早い金額だが、銀貨四十六枚を惜しんでいるのではない。妻だった私の仕事へ値段があるという考えに、まだ身体のほうが慣れていないのだ。


「君は、関係のない家からも金を取るのか。原因は我が家にある」


「お支払いになるのはハーロウ家なのでしょう。原因の責任を負うことと、私へ無料で働かせることは、同じではありません」


「だが、三年間は」


「三年間、無料でしたので。無料の相場を、私はもう持っていません」


 言い切ると、胸元に残っていた細い糸が切れたような感覚があった。実際には何も光らず、どの術式も動かない。ただ、妻の仕事なら家のものだと扱われた時間を、今日の値引きの根拠にはしないと決めただけだった。


 ギルベルトは怒鳴らなかった。料金表を手に取り、一件ごとの診断書と控えが付くのか、調査の結果修補不要でも同額か、ほかの二級衣装師を紹介できるかを順に訊いた。客として質問を受けると、彼には考える力がありながら、自分の家の論理だけで三年間を過ごしてきたのだと分かる。それは免罪にはならないが、今後、何を学ばせなければならないかは明瞭になった。


「二十三件すべては受けません」


「なぜだ。金は払う」


「いま抱えている予約と、私の手の限界があります。まず三件を診断します。異なる年代と異なる転記元のものを選び、結果をもとに残り二十件の振り分け表を作ります。その先は、ゾンネ様とレーマー様を含む有資格者へ正式に依頼してください」


「ゾンネは審査中だろう」


「診断の照合と控えの説明はできます。できない仕事をさせるつもりはありません」


 私は最古、中央、最新の年から一本ずつ選んだ。ギルベルトには、それ以外を持ち帰り、封を開けず湿気の少ない場所へ保管する受領票へ署名してもらう。職人へ資料を預ける依頼人の立場で、彼は私の作業台に初めて自分の名を書いた。元妻への命令は、そこへ一字も混ぜなかった。


 三本とも、第十一条で終わっていた。一件目は三十九年前の写しで、末尾に不自然な一行ぶんの余白がある。二件目は二十一年前、その余白を詰めるため蔦模様が一段増え、三件目は五年前の新しい型紙で、紙面だけ見れば十一条が最初から整然と配置されていた。


 三件を選ぶ際、ギルベルトは自分に近い家から先にしてほしいと一度だけ求めた。妹の嫁いだ家、最大の融資先、イレーネの母方。私は年代と転記元を優先する理由を説明し、彼に一覧の選定欄へ自分の希望も書かせた。希望を退けた事実だけ残せば、私が公正な人間を演じる記録になる。どの利害を持つ依頼人が、どの順を望み、なぜ採られなかったかまで残して初めて、次に見る者が選び直せる。


 診断の途中、彼は二件目の蔦模様を見て、母が美しいと褒めていたことを思い出した。空白を隠すため増やされた飾りは、それ自体に罪がない。刺した職人も、花を気に入った母も、欠落を知らなかった。私は蔦を醜い印にはせず、診断図では飾りを薄墨、第十二条の流路だけを朱で分けた。美しさを壊さず危険を示す方法も、これから必要になる。


「三本ともない。だが、古いものほど空白が見える」とギルベルトが言った。


「はい。写しを重ねるうちに、欠けた場所まで綺麗に整えられたように見えます。ただし、写し落としと決める前に紙の面を読みます」


 私は三本を順に窓へ持っていき、傾けて光を当てた。羊皮紙の表面は、第十一条の下だけ毛羽の向きが違っている。さらに薄い紙を重ねて炭粉を滑らせると、三本すべてに何かを削った跡が横一行ぶん浮き、両端には刃先が止まった小さな傷が残った。


「写し落としたのではありません。あったものを削っています」


「誰が」


「この紙を削った人と、第十二条を外すと決めた人が同じとは限りません。まず、命令の記録を探します」


 ギルベルトは刃跡へ指を伸ばしかけ、触れる前に手を止めた。資料へ勝手に触れないという客の作法を、ようやく思い出したらしい。


「ハーロウ家が消したのか」


「今ある事実は、あなたの家へ渡った型紙の一部が削られていることだけです。責任を早く引き受けようとして、事実より大きな罪を名乗らないでください。あとで本当の命令者が見つかったとき、また話が歪みます」


「君は、私を庇っているのか」


「記録を庇っています」


 冷たい答えになったが、彼は引き下がった。私は診断書三枚を作り、すべてに二級以上による第十二条の修補が必要と記し、古い一件目には紙と布の補強を先に行うよう条件を添えた。銀貨六枚の請求書を渡すと、ギルベルトは財布からきちんと六枚を出し、領収書を受け取った。


「残りを受ける衣装師を、こちらで探す。断られたら、名前と理由を記録する」


「お願いします。権威で引き受けさせれば、形だけの診断が増えます」


「分かっている、と言いたいが、以前の私は分かっていなかった。今後も分かったつもりになるだろう。記録に残せば、それを君が訂正できるか」


「私だけに訂正させないでください。依頼した二十三家にも写しを渡してください」


 ギルベルトは頷き、二十本の筒を抱え直した。来たときより荷は減っているのに、腕へ掛かる重みを初めて意識したように、持ち方を二度変えた。戸口を出る前、「三年間の分も払うべきか」と問われ、私は即答しなかった。


「お金で終わらせる分と、終わらない分を、先に分けてください。縫った衣装の一覧を作る費用は請求します。妻として私が失ったものを、同じ帳簿へ入れないでください」


 彼が去ったあと、ミナと銀貨六枚を数えた。店代、糸代、私の賃金、ゾンネの控えを写す紙代へ分けると、手元には驚くほど少ししか残らない。それでも、誰にも見えなかった三年より、六枚の行き先を自分で決められる今日のほうが豊かだった。


 私は三枚の診断書の控えを、請求書と同じ番号で綴じた。無料で直した頃は、衣装の持ち主さえ知らず、あとから不具合が起きても追う道がなかった。金を受け取れば、誰がどこまで責任を負ったかを切らずに残せる。次の二十件を別の職人が診れば、その人の番号が続き、私の仕事と混ざらない。受領日と引継日も同じ欄へ置き、預かった時間だけが無記名にならないようにした。


 閉店後、洗濯屋の主人が孫の緑の外套を着せて通りかかり、左右の袖が同じ重さになったと窓越しに手を振った。私はそれを成功例として勝手に使わず、明日、結果確認の紙へ印をもらいに行く予定を帳簿へ書く。代金をもらい、さらに着る人の日常へ戻った結果まで確かめて、一件の仕事が終わる。その終わりを持てることも、無料の相場にはなかった。


 最後に、削り跡を写した紙へ日付を入れ、ゾンネとレーマーへ照会を出した。誰が悪いかを決める前に、いつ、何のために、標準から一行が消されたのかを調べる。最初の大口仕事は、二十三着の縫い直しより先に、刃を入れた命令の古さを測るところから始まった。


 照会の送料と閲覧料も、私は請求書の予定欄へ加えた。真相を探す熱意だけで紙は運ばれず、書庫も開かれない。調査に値段を付けることで、ギルベルトは結果だけでなく、分からない時間にも責任を持つ客になった。


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