中央討伐隊
【本文】
封鎖開始の朝、中央再建評議会の車列が県道へ現れた。
装甲車二台、輸送車四台、隊員三十二人。指揮官は戸倉ではなく、討伐隊長の倉橋だった。命令書には《冠位個体の核を破壊し、資源化する》とある。
相馬は地域網の観測記録と、地上隔離槽を破壊すれば侵食が流出する危険を示した。倉橋は未確認の保守音声より中央命令を優先すると答える。
湊たちは道路を武力で塞がない。試験場へ至る二経路のうち、黒粒子濃度、橋の荷重、周辺六十四人の避難記録を公開し、安全条件へ署名するなら観測地点まで同行できると提案した。
倉橋は砲弾を持ち込まない条件を拒む。だが装甲車は沈んだ橋を渡れず、迂回路は鹿の群れ信号と重なる。
討伐隊は徒歩八人だけを先行させ、残りを橋の南へ置いた。銃は携行するが、爆薬は車内封印となる。
地域網側も武器を同じ記録へ載せた。
敵と味方を決めたのではない。同じ山へ入る者が、何を持ち、誰の判断で使うかを先に固定した。
先行八人にも黒線、耳鳴り、通信断の中止条件を渡した。倉橋は中央の規則で動くと答えたが、相馬は事故時の救助を地域網へ求めるなら共通条件が必要だと記録する。討伐隊の食事と水は持参分を使い、体育館の四日分へ算入しない。負傷者が出れば病院は診るが、そのことを入域許可の交換条件にはしなかった。地域網住民には車列の到着を掲示し、自衛隊到着や安全確定という誤った噂を訂正した。
先行者の寝床は体育館と分け、持参テントを橋南側へ張った。生活圏へ武装したまま入らない境界も維持した。
記録は双方が保持した。
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