問答無用(5)
王都ベルサーユの片隅に、高い塀に囲まれた屋敷があった。門はアダマンタイト製であり、象の突進ですら跳ね返す代物だ。塀もまた頑丈であり、高さは十メートルを超えている。この塀をよじ登り、中に侵入できる者など、まずいないであろう。
ここがグラーヴェル伯爵の別宅であることは、限られた者しか知らない事実である。そして、この高い塀と頑丈な門は、中にいる者を逃さないという役目をも担っている。
そう、ここには伯爵が集めた少年少女たちが囚われているのだ。
門をくぐると、まず静かな庭園が広がっている。花壇には色とりどりの花が植えられ、地面は芝生だ。ここが人を囚えている場所だとは、誰も思わないだろう。
屋敷の中も同様だ。廊下は広く、床は磨き上げられている。窓も大きく、光は十分に差し込んでいた。
しかし、窓は開かない。取っ手はあるが、内側からは動かない構造になっているのだ。
人の生活の痕跡は至るところにある。だが、人の気配だけがない。笑い声も、話し声も、足音も聞こえなかった。
地下にある居住区の部屋は、快適なものだった。清潔な寝台、温かな照明、きちんとした食事。ここだけを見れば、孤児院か、慈善施設のようにすら思える。
ただひとつ違うのは、扉に鍵がかかっていることだ。
そして、屋敷の最奥にあるグラーヴェル伯爵の私室だけは、他と決定的に異なっていた。
甘ったるい香水の匂い。悪趣味な彫像。壁一面に飾られた少年少女の肖像画。視線を感じさせるほどの大きな鏡。
屋敷で何が行われているか、この部屋が雄弁に物語っていた。
今日、この屋敷に新しい少年が入ることになったのだが、他の者とは待遇が違っていた。
王妃の腹違いの妹であるシレーヌ・ロランからプレゼントされた奴隷少年ジャック。彼は、伯爵がこれまで見たこともないほど美しい少年であった。
しかも、シレーヌは彼の家財道具一式を特別に取り寄せたのだ。その中には、巨大な木箱もあった。中に何が入っているのかは不明だが、ジャックは全てを屋敷に運んで欲しいと駄々をこね、伯爵はその願いを了承した。
それらの物を運び込むため、ロラン家の下男たちも来ている。ピーターや伯爵のボディーガードたちは、彼らのことを怪しんでいた。
「伯爵、大丈夫? あのシレーヌって、なんか信用できない気がすんだよね」
ピーターはそんなことを言ったが、伯爵は聞く耳を持たなかった。
「くだらんことを言うな。相手は、仮にも王妃の妹なのだぞ。下手なことを言って、王妃の耳に入ったらどうするのだ」
そんなことを言っているが、実のところ伯爵がジャックにのぼせ上がっているのは皆もわかっていた。何を言っても、聞き入れないだろう。
ピーターは、フゥと溜息を吐いた。
「ま、どうでもいいか。あんな連中、何か仕掛けてきても簡単に返り討ちにできるけどね」
そんなことを言いつつ、ピーターは空を飛び回っていた。
一方、シレーヌはてきぱきと指示を出し荷物を運び入れた。さらに屋敷の召使いたちには、引っ越し祝いと称して高級なワインを振る舞っていた。
「さあ皆さん、これは我がロラン家とグラーヴェル家の友好の証です! じゃんじゃん飲んでください!」
そう言いながら、召使いたちにグラスを渡しワインを注いでいく。召使いたちは、勧められるままグビグビと飲んでいった。
どのくらいの時間が経ったのだろう。
伯爵とボディーガードたちは、ようやく異変に気づいた。
ワインを飲んでいた召使いたちが、みんな眠りこけているのだ。いくら酒を飲んだとはいえ、眠るには足りない量である。
しかも、シレーヌの姿がない。
「おいおい、シレーヌはどこに行ったんだ?」
伯爵が、眠りこけている召使いたちを見回した時だった。突然、巨大な木箱が粉々に砕ける──
「どうやら、上手くいったようですね」
木箱から現れた者は、そんなことを言った。身長は二メートルを超え、逞しい体を作業服に包んでいる。
だが、肉体よりも遥かに恐ろしい点があった。その顔である。大男の顔は、あちこちに縫ったような傷痕があるのだ。まるでツギハギのようである。
「な、なんだお前は!?」
叫んだ伯爵を、大男ことボルトは睨みつけた。
「闇の処刑人だ。お前を、地獄に送り込むために来た」
ボルトが言った時、その場に現れた者がいる。ピーターだ。
「どうせ、こんなことだろうと思ってたよ。まあ、いいや。暇つぶしに遊んでやるよブサイク。伯爵、あんたはさっさと逃げな」
そう言うと、扉を指さした。すると、伯爵の隣にいたジャックの表情が変わる。
「きゃー! 人殺しが来たぁ! 怖いよう! 怖いよう!」
喚きながら、ひとりで走り出したのだ。あっという間に、扉から出ていってしまった。
「おいジャック! どこに行くんだ!?」
伯爵は、慌てて後を追う。そうなると、ボディーガードたちも付いて行かざるを得ない。あっという間に、広間から消えてしまった。
後に残されたのは、眠りこけた召使いたちとピーター、それにボルトだ。
「さて、邪魔者はいなくなった。じゃあ、たっぷり遊んであげるよ。その後は、夢の世界へとご招待だ。覚めない夢を見せてあげる」
自信たっぷりの口調で言った後、ピーターは芝居がかった態度でお辞儀をする。
「大した余裕だな。だがな、ここではお前の得意な空中殺法も使えんぞ」
ボルトが凄む。そう、ここには天井がある。ピーターの飛行能力が使えないのだ。彼にとって、不利な状況ではある。
しかし、ピーターはせせら笑った。
「何言ってんの? こんなの、ハンデにもならないよ。悪いけど、君じゃあ僕を捉えることなんかできないよ。バカだねえ」
言った直後、ピーターは剣を抜く。すると、ボルトは両拳を挙げ構える。
「もはや問答無用! 臆さぬならば、かかって来い!」
その言葉が合図となり、戦いが始まった──
一方、ジャックは長い廊下を駆けていく。その逃げ足は早く、肥満体型の伯爵には追いつくことができない。
「ジャック……いい子だから、待っておくれ」
伯爵は、荒い息を吐きながら後を追った。ジャックの姿は見えなくなってしまったが、この先は行き止まりなのだ。
いずれ、ジャックは壁にぶつかる。そこで、なだめすかして連れて行こう。入り込んだ賊は、ピーターに任せればいい……そんなことを考えていた時だった。
「伯爵様、わたくしのプレゼントはお気に召したかしら?」
後ろから声が聞こえてきた。振り返ると、そこに立っていたのはシレーヌだ。抜身のレイピアを片手に、じっと伯爵を見つめている。
その瞳には、冷ややかな殺意が浮かんでいた。
「伯爵、もう逃げ道はないのん。引っかかったのんな」
とぼけた声を発したのはジャックである。その手には、刃の細い短剣が握られていた。突き刺すことに特化したものである。
今や、変態の玩具であった美少年の仮面は剥がれ落ちていた。突き刺し魔として恐れられた快楽殺人鬼の素顔が剥き出しになっている。
「お嬢、周りの雑魚共は任せな」
そんなことを言いながら、シレーヌの前に立ったのはインジャン・ジョーだ。両手にトマホークを持ち、ボディーガードたちを睨みつけている。
トマホークの研ぎすまされた刃が、ギラリと光った。
「シ、シレーヌ、あんた何を言ってるんだ?」
まだ事態が飲み込めていない伯爵を、シレーヌは鼻で笑った。
「まだ、おわかりにならないようですね。では、教えてさしあげますわ。わたくし、闇の処刑人ですの。今宵は、あなたの処刑執行のため推参しました」
ボルトとピーターの戦いは、一方的な展開であった。
ピーターの剣さばきは変幻自在であり、軌道が全く読めない。斬撃が来た、と思った時には既に切りつけられているのだ。
さらに、ピーターの動きは尋常でない速さだ。斬撃を入れた次の瞬間には、もうその姿は消えている。ボルトは拳を振るうが、全く届いていない。
床には、ボルトの流した血が転々と付着していた。彼の着ている服は、ピーターの斬撃によりあちこちが切り裂かれている。
その太い両腕で顔面はガードしているが、腕も胴も足も傷だらけである。並の人間なら、とうの昔に死んでいるだろう。
「どうしたの? あんた、デカいだけで全然歯ごたえないねえ。顔がブサイクな癖に戦いも弱くちゃ、取り柄が何もないじゃん。可哀想だねえ」
そんなことを言いながら、なおも切りつけるピーター。ボルトは、今や防戦一方だ。顔面をガードしながら、ジリジリ後退している。
その時、ピーターの顔が歪んだ。
「あれ? 伯爵んとこにも誰か行ってるの? なるほど、陽動作戦か。じゃあ、あんたをさっさと片付けて伯爵んとこ行かなきゃ。あんな奴でも、一応は雇い主だからね」
言った直後、ピーターの顔に凄絶な表情が浮かぶ。
「じゃあね! ブサイクおじさん!」
直後、剣が突き出された。切っ先は、ボルトの心臓を襲う──
「な、何だこれ?」
ピーターは愕然となっていた。
今、ピーターの剣の切っ先はボルトの左胸に突き刺さっている。だが、動かないのだ。ボルトの発達した胸筋が、ピーターの刃をしっかりと咥え込んでいる……。
「その程度の腕力では、私の胸筋を貫き通すことなどできんぞ」
そう言うと、ボルトはニヤリと笑う。
そこで、とんでもないことが起きた。眠りこけていた召使いのひとりが、いきなり立ち上がったのだ。その手には、ピストルが握られている。この時代には、存在しないはずのものである。
召使いは、銃口をピーターに向ける。直後、銃声が轟いた──
「う、嘘……何これ、聞いてないよ」
そんなセリフを吐いたピーター。その額には、黒い穴が空いている。
次の瞬間、ピーターの体に異変が起こる。全身が痙攣したかと思うと、肉体がかき消えてしまったのだ……。
「さて、哀れなる英雄の処刑は完了しました。次は、後始末ですな」
言ったのは、召使いの格好をしたモリアーティである。彼は、この一瞬をじっと待っていたのだ。
「貴様ら! こ奴らを皆殺しにしろ!」
叫んだ伯爵だったが、その表情はみるみるうちに変わっていく。
腕利きのボディーガードたちは、ジョーのトマホークとジャックの短剣で次々と倒されてしまったのだ。
両手のトマホークを使い、野性の力と技で正面から叩き潰すジョー。
小さな体で素早く動き攻撃を躱し、一瞬の隙を突いて短剣を急所に突き刺すジャック。
対照的な戦い方でありながらも、ふたりの呼吸は見事なまでに合っていた。互いの弱点をカバーしつつ、互いの攻撃をサポートしているのだ。ボディーガードたちには為す術もない。あっという間に全滅させられてしまった。
「残るは伯爵様だけですわ。お覚悟を」
言いながら、近づいてきたのはシレーヌである。すると、伯爵の顔が歪んだ。
「き、貴様ら! 私に手を出して、ただで済むと思っているのか! 貴様ら全員、極悪人として裁かれるのだぞ! 火あぶりの刑だ!」
こんなことを叫んだ伯爵を、シレーヌはせせら笑った。
「いかにも、わたくしは極悪人です。火あぶりにされても仕方ありませんわ。ただし、あなたのようなケダモノを狩れるのも極悪人だけですからね」
そう言うと、シレーヌはレイピアを構える。
「では、処刑を執行します」
冷たく言い放った直後、レイピアが突き出される。
その切っ先は、伯爵の心臓を貫いた──
その後、彼らは囚われていた子供たちに金を握らせ家へと帰した。その金は、屋敷からかき集めたものである。
召使いたちは眠りこけているが、朝になれば目覚める。伯爵が死んだことを知れば、彼らも何も言わず王都を出ていくだろう。
何せ、召使いたちも綺麗な体ではない。間接的ではあるが、犯罪に加担していたのだから──
「お嬢、ちょっといいか?」
帰り道、不意にジョーが聞いてきた。
「なんですの?」
「前から言おうと思ってたんだがな、あんたは俺たちのボスだ。何も、自分の手を汚すこたぁねえよ。ボスはボスらしく、手下の俺たちに命令だけすればいい。手を汚すのは、俺たちの役目だ」
「そういうわけにはいきません。わたくしも処刑人です。皆の手を汚させ、自分だけ綺麗な場所にいる……そんな都合のいい真似は、ロラン家の者として許されません」
シレーヌの声からは、はっきりとした意思が感じられた。
対するジョーは、切ない表情を浮かべつつも頷く。
「そうか。わかった」
翌日、王都ベルサーユは大変な騒ぎとなっていた。
大通りの真ん中で、グラーヴェル伯爵の死体が発見されたのだ。死体の胸には杭が打ち込まれており、杭には紙が巻きつけられている。
紙には、こう書かれていた。
(この者、大勢の幼い少年少女たちを毒牙にかけ殺害せし大罪人!)
噂は、あっという間に広まっていった。もちろん、セーラの耳にも入る。
聞いた瞬間、セーラの胸にある疑念が湧いてきた。美少年を伯爵に差し出していたシレーヌ……その翌日、伯爵が死体となって発見されたのだ。
これは、偶然なのだろうか。




