騎士無用(5)
その日、ベルサーユでとんでもないことが起きた。
朝、シレーヌとジャックが登校のため大通りを歩いていた時のことだ。
前から、異様な雰囲気の集団が進んでくる。年齢も服装もまちまちな者だが、共通点がひとつある。全員が怒っていることだ。
特に先頭にいる者たちは、凄まじい形相で叫ぶ。
「ハーパーは、レオン男爵の変態的嗜好を白日のもとに晒した! だから殺されたのだ! こんなことでいいのか? 我々は、今こそ団結し民衆の力というものを見せるべきではないのか!」
さすがのシレーヌも唖然となった。そもそもハーパーは、これまで出所のわからない怪しげな記事を書いていた。正直、殺す値打ちもないような男であった。
それが、レオン男爵の醜聞(不確かなものだが)を書いた途端に消されたのだ。
確かにおかしいとは思う。だが、問題はそこではない。たかが瓦版屋の死が、ここまで大きな運動になっている……これは、もはや異常事態だ。
「これは、裏に扇動している者がいるわね。その者の目的が善であれ悪であれ、簡単に収束とはいかない気がするわ」
シレーヌが険しい表情で言った。すると、ジャックがニヤリと笑う。
「んなもん、僕らは関わらなくていいのんな。政治運動みたいなのは嫌いだっチャ。どうせ、僕みたいなのは切り捨てられるだけなのん。さっさと行きましょ。ほーれ、はんはんはーん、はんはんはーんと」
同じ頃。インジャン・ジョーもこの行進を見ていた。
彼の胸には、不安が浮かんでいた。この行進に参加している者たちの目には、危険な光がある。かつていた世界で、リンチに参加していた者たちと同じだ。
こういう連中は、正義は我にありと信じている。その気持ちは、時として狂気に変わる。いずれ、憲兵隊が派遣され警告するだろうが、行進の者たちがあっさり引っ込むとは思えない。
おそらく、血を見ることになるだろう。
「おいおい、この国はどうなっちまうんだ?」
呟きながら、ジョーは踵を返した。まずは、モリアーティに相談だ。下手をすると、仕事どころではない事態になるかもしれない。
屋敷に戻ったジョーだったが、ふと見るとボルトとハックが雑草を引っこ抜いているではないか。あのハックを、屋敷に出入りさせていいのだろうか。
お前は何をやってるんだ? という言葉が出かかったが。今はそれどころではない。ジョーは、足早に屋敷へと入っていった。
「行進ですか。それは何名くらいでした?」
モリアーティの問いに、ジョーは顔をしかめつつ答える。
「ざっと見たところ、三十人はいた。そいつらが、恐ろしい剣幕で大通りを突き進んでるんだ。あれはヤバいぞ」
「そうですね。話を聞く限り、群衆の目的はレオン男爵個人の断罪よりも、政府のやり方が気に入らない……というものにすり替わっています。内乱罪の適用により、憲兵ではなく軍隊が出てくるかもしれません」
「だいたいな、レオン男爵のやったことなんてセコい……というか、ただの変態趣味なんだよ。裸の女に料理を乗せ、フォークで突っついたってバカ話なんだよ。まともな奴なら、見向きもしねえ。そんな三文記事を、ハーパーは非人街で無料で配ったんだ。貴族が調子に乗ってる、とか何とか言ってな。その翌日には首を斬られた。そして今じゃあ、この大騒ぎだ。俺には、何がなんだかさっぱりだぜ」
ジョーが言い終えた時、ボルトが屋敷内に入ってきた。ふたりの様子を見て、ただならぬ事態が起きたことを察し声をかける。
「いったい何事ですか?」
「その前に、あのガキはどうした?」
鋭い目つきで尋ねたジョーに、ボルトは表情を歪めつつも答える。
「庭の草むしりをさせ、僅かではありますが手間賃を与え帰らせました」
「なあ、わかってんのか? 俺たちはな、いつギロチン台に立つかもわからねえ身だ。あんなガキを出入りさせたら、何が起こるか……いちいち説明するまでもねえよな?」
ジョーの言葉に、ボルトはうつむいた。
「大丈夫です。私も注意は払っております」
「注意、か。だがな、万一の時は俺がガキを殺す」
◆◆◆
「我々は、ハーパーさんの死を無駄にしないぞ!」
「腐敗しきった貴族社会を、今こそ叩き潰す!」
「世の中の土台を作っているのは我々だ! 貴族は、その上前をはねているだけだ!」
そんなことを叫びながら、群衆は大通りを進んでいく。
しかし、彼らの前に立ちふさがる者がいた。憲兵隊である。
「君たち! おとなしくしたまえ! まずは話しあおうじゃないか!」
叫んだのはモンドだが、彼の腰は引けていた。切った張ったの展開になったら、逃げるつもりなのが見え見えだ。
他の憲兵たちはというと、さすがにモンドよりはやる気がありそうだった。しかし、表情には戸惑いの色があった。いったいなぜ、こんなことになっているのか……とでも言いたげである。
一方、群衆たちに引く気配はなかった。
「我々は暴力など用いていない! まず話を聞いて欲しいだけだ! レオン男爵の醜聞を暴いたハーパーが、翌日に殺された。にもかかわらず、強盗の仕業で捜査は打ち切りという話だ! どういうことだ!」
「こちらには、こちらの事情がある。一般市民には、教えることができない情報もある。とにかく、我々憲兵隊はハーパーの事件を行きずりのならず者の犯行と断定した。そして、真犯人は国を出ている可能性が非常に高い」
どうにか冷静にさせようと、モンドが笑顔を作り説明した。だが、転がり始めた巨岩は、そう簡単には止まらない。今の群衆も同じ状態であった。彼らを突き動かしているのは、それまでの生活で積もり積もっていった怒りや不満である。さらに、ハーパーの死の真相を暴くという大義名分も得てしまった。
こうなると、話し合いでは止まらない。
「では、ハーパーさんを殺した犯人が、行きずりのならず者であると結論づけるに至った過程を説明しろ!」
叫んだのは若者だ。風貌や物腰から、他の者より教養はありそうである。
すると、他の者たちも騒ぎ出した。
「そうだそうだ!」
「理由を言え!」
「我々には、知る権利がある!」
そんなことを言いながら、再び前進を開始したのだ。こうなると、もはや言葉による説得は不可能……とモンドは判断した。
直後、彼は動いた。隣にいる若い憲兵に、そっと耳打ちする。
「俺はすぐに本部に行って、状況を説明し応援を要請する。後は任せたぞ」
「は、はい?」
怯えながらも聞き返した若い憲兵だったが、モンドはそれを無視して走り出す。
あっという間に、彼の姿は見えなくなってしまった。残された憲兵隊は、どうすればいいのかわからず顔を見合わせる。今、ここにいる者の中で現場の指揮を取った経験のある憲兵はいない。
一方、群衆は吠える──
「この木っ端役人が!」
「てめえら、俺たちの払った税金で飯食ってんだろうが! 俺たちに感謝の気持ちはねえのか!」
「俺たちゃな、汗水たらして必死で働いて、やっと金がもらえんだぞ! お前らみたいに、街を適当に見回って終わり……なんていう気楽な仕事じゃねえんだよ!」
次々と浴びせかけられる罵声に、憲兵隊の顔つきも変わっていった。それまで、彼らは群衆の勢いに戸惑っていた。また、一般市民を殺すような事態も避けたかった。話し合いで、穏便に終わらせられないものか……とも思っていたのだ。
しかし、侮蔑的な言葉を立て続けに投げかけられ、次第に感情の炎が燃え上がり出していた。若い憲兵の中には、剣を抜いた者までいる。それも、ひとりやふたりではない。
そこで、新たな火種を投入した者がいる。
「見ろ! 憲兵は剣を抜いたぞ! これでわかっただろう! 彼らは国家権力の犬であり、我々と話し合う気などない! 力で黙らせる気だ! さらに、彼らの飼い主である国家権力は腐敗しきっている! 今、王宮に入り込み、王や王妃らに国政のアドバイスをしているのは……ラスプーチンという若いまじない士だ!」




