騎士無用(1)
ルフラン国の王都ベルサーユは、場所によって恐ろしいほどの格差がある。
特に非人街と呼ばれている区画は、王都とは思えない状態だった。道の右側を見れば物乞いが寝そべっており、左手を見れば違法な薬を売る店がある。漂う空気からして異質だ。様々なものの入り混じった匂いが漂っている。
そんな場所で、奇妙な事件が起きていた。
「さあさあ! 寄ってらっしゃい見てらっしゃい! レオン男爵様の裏の顔が、この瓦版にあますところなく書かれている! 値段はただだ! そら、持ってけ泥棒!」
叫びながら、瓦版を撒いているのはハーパーだ。この男、普段はしょうもない噂話や適当な与太話を書き連ねて売りつけている男だ。
それが今では、非人街にて無料で瓦版を配っているのだ。その上、男爵のスキャンダルが書かれているらしい。事実ならば、とんでもない話である。
そんなハーパーの周囲には、人が集まり瓦版を次々と手に取っている。もらえるものは、なんでももらう……そんな人間が多いのだ。
たまたま通りかかったインジャン・ジョーは、首を捻りながら彼に近づいていった。
「おいハーパー、何やってんだ?」
「よう、ジョーじゃないか。あんたも持ってってくれよ。こいつを読めば、この国の貴族社会がいかに腐っているかわかるぜ」
言いながら、瓦版を手渡してきた。
ジョーは、さっと目を通してみた。書いてある内容はといえば、レオン男爵が町娘を屋敷に連れ込んだ。そして裸にして体の上に料理を乗せ、フォークでつついてケガをさせた……などというものだ。
ジョーは苦笑していた。
「おいおい、何だこれは。レオン男爵は、こんなアホなことしてたのか」
「おうともよ。この国の貴族にはな、ロクな奴がいねえんだ。そろそろ、俺たちも立ち上がる時なんじゃねえのか」
「立ち上がるって何だよ。お前、下手なこと言ってると憲兵にしょっ引かれるぞ」
「へへへ、だからここでバラ撒いてんだよ。非人街なら憲兵も来ないだろ」
「でもよ、憲兵が来ない代わりに金にもならねえ。意味ないだろう」
「あのな、俺は金のためにやってんじゃない。この国の未来のためにやってんだ」
ハーパーの口から出た言葉には、さすがのジョーも顔をしかめた。あまりにも、彼らしからぬセリフだ。
「お前、何言ってんだよ? 頭でも打ったのか?」
「違うよ。ジョー、よく聞け。この国の貴族が贅沢三昧してられんのはなぜだ? 俺たち庶民が汗水たらして働いているからだぞ」
「い、いや、俺は汗水たらしてねえなあ」
冗談めいた言葉で話題を逸らせようとしたが、ハーパーは止まらなかった。
「このままだと、ルフランは滅びてしまう。今こそ、民衆が立ち上がらねばならないのだ。その時は、お前も力を貸してくれ!」
そんなことを言いながら、ジョーの手をガッチリとつかんできたのだ。
さすがのジョーも困惑していた。ハーパーの目の色には、何かに憑かれた者に特有の光がある。こんな男ではなかったはずなのに……。
「わ、わかった。ちょっと落ち着け。な?」
「ということは、力を貸してくれるのか? お前のような腕の立つ男が加わってくれれば、こちらとしても実に心強い!」
「ちょっと待て。こちらにも心の準備というものがある。まずは考えさせてくれ」
ジョーはそんなことを言いながら、半ば逃げるようにしてその場を離れていった。
やがて彼の姿が見えない位置まで来ると、ジョーはその場で座り込み一息ついた。
正直、わけがわからなかった。ハーパーは、これまではしょうもないネタが書かれた瓦版を扱っていた。「人の顔をした犬あらわる!」などという類のものだ。政治的な話などとは無縁であった。
いったい何が起きたのかは不明だが、今はどうしようもない。ひとまず屋敷に帰ることにした。
「革命ですか……」
ジョーから話を聞いたモリアーティは、思案げな表情で呟いた。
「ああ。ハーパーの奴、そんなことを言ってやがったんだ。あんたはどう見る? 近々、ヤバいことが起きるのか?」
「私にはわかりません。ただ、近ごろ妙な空気が漂っているのも確かです」
「どういうことだよ?」
「夜中になると、地下に集まる者たちがいるとか。まあ、それ自体は珍しいことではありません。ただ、これまでは悪党が集まっていました。それが今では、堅気の商売人らが集会を開いているらしいのですよ」
「なんだそりゃ? 堅気の連中は、朝早くから仕事しなきゃなんねえだろ。夜中に集まって何すんだよ……」
そこで、ジョーの顔が歪む。その理由に思い至ったのだ。
「おい、まさか本当に革命を起こそうとしてるのか?」
「今の段階では、何とも言えません。調べてみないことには……」
「そうだよな」
言いながら、ジョーは何気なく窓の外を見た。途端に表情が変わる。
「おい、あのガキ何してんだよ?」
ジョーの言うガキとは、ハックのことである。今は庭で、ボルトと共に雑草を刈っているのだ。
「見ての通りの草刈りです」
「いや、それはわかるよ。あいつ、庭の草刈りまでするようになったのか?」
「はい」
「いいのかよ?」
「お嬢様は、好きなようにやらせておけと言っておりました」
「好きなように、って言われてもな……」
ジョーは、複雑な表情で頭を掻く。その姿を見て、モリアーティはクスリと笑った。
「まあ、いいではありませんか。万一の時は、私が必ず始末します。その時は、誰にも文句は言わせません」
◆◆◆
その日の夜、ハーパーは満足げな表情で家への道を歩いていた。
大量に刷った瓦版を、全て撒き終えることができた。非人街には、お上のやることに不満を持つ者が多い。そのため、貴族たちのスキャンダルには飛びついてくる。
もっとも、彼の最終目的はスキャンダルを広めることではない。ルフランの腐敗しきった富裕層を叩き潰し、富を正しく分配することだ。
前から、ひとりの男が歩いてきた。町中だというのに鎧を着ており、腰には剣をぶら下げている。筋骨隆々とした体格であり、髪は金色で肌は白い。
何者だ? と思った瞬間、男は剣を抜いた。マズい、と思った時には遅かった。
男の剣の一振りで、ハーパーの首は飛ばされていた。
刀身についた血を拭き取ると、男は剣を鞘に収めた。振り返りもせず歩いていく。
しばらくすると、前方から黒い馬が走ってきた。いや、馬のように見える何か、と言った方が正確だろう。
なにせ、その生物には首から先がないのだ。
首なし馬は、男の前で立ち止まった。何とも気味の悪い状況だが、男は何のためらいもなく馬にまたがる。
すると、馬は恐ろしい速さで駆け出した。現世の生物には、ありえないほどのスピードでベルサーユを進んでいく。
やがて、街外れにある古い屋敷に到着した。途端に、首なし馬は消えてしまった。暗闇に溶けてしまったかのように、一瞬にして消え去っていたのである。
しかし、男に動揺する素振りはない。平静な表情で、屋敷へと入っていく。
屋敷の中に、明かりはついていなかった。外よりも暗い。にもかかわらず、男はすたすた進んでいく。
やがて、男はひとつの部屋に入っていった。すると、中から声が聞こえてきた。
「お帰りなさい。どうだった?」
女の声だった。若いのか年輩なのか、声だけでは判断できないものだ。
「わざわざ聞くまでもなかろう。実につまらん。レオンの奴、こんなくだらん仕事をさせおって……」
言いながら、男は乱暴に鎧を脱ぎ捨てた。と、彼の体に触れるものがあった。女の手だ。
「もう、そんなこと言わないの。ガウェインはワガママなんだから」
言いながら、女の手はガウェインなる男の体をまさぐる。すると、ガウェインは女を抱き寄せた。
しかし、女には首がついていなかった。




