孤児無用(5)
「おやおや、これはどういう訳ですかな」
モリアーティは呟いた。
彼の目の前には、薄汚い格好の少年が立っている。昨日、屋敷を訪れたハックという孤児だ。
そのハックは、夜になって屋敷に現れ言ったのだ。
「や、約束を守るために来た!」
困惑しながらも、モリアーティは聞き返す。
「はて、約束とはどんな約束ですかな?」
「俺は、この屋敷の姉ちゃんに約束したんだ。ベンを助けてもらう代わりに、この屋敷の周りを毎日掃除しに来るってな。だから来たんだよ」
「なるほど。そのような約束をしたのですか。しかし、どうせ来るなら明るいうちに来てはどうです?」
「こっちだって、そうしたかったよ。でも、小さい子たちが寝るまで見ててやんなきゃならなかったんだよ」
「そういうことですか。わかりました。お嬢様は既に寝ていますが、明日私から言っておきましょう。では、明かりと掃除用具を持ってきます」
そう言うと、モリアーティはランプと箒を持ってきた。
「さあ、これで屋敷の周りを掃いてください。言っておきますが、私は子供だからと言って容赦はしません。手抜きは許しませんよ」
「わかってるよ!」
ハックは掃除を開始する。屋敷の周りを、箒で掃いていく。
周囲は闇に包まれており、空には月が出ている。通りには街灯が設置されているが、屋敷までは明かりが届かない。ランプがあるとはいえ、かなり不便だ。
そんな中、ハックはどうにか掃除をしていく。普段は、ボルトが掃除を担当していた。彼もまた、昼間に出歩けない見た目ゆえに夜中に掃除をしていた。
無論、そんなことをハックが知るわけもない。彼は、ひたすら塀の周りを掃いていく。
己に待っている非情な運命も知らずに──
◆◆◆
その頃、カークスは目を開けていた。
殺し屋時代に磨かれた彼の勘は、今も衰えていなかった。先ほどまで子供らと共に眠っていたのだが、危険を察知し目を覚ましたのだ。
何者かが、こちらに迫っている。敵意と殺意とを感じる。しかも、恐ろしく強い何者かが……。
カークスは立ち上がった。まさかと思うが、シレーヌの気が変わり、自分を始末しに来たのか?
だが、現れたのは違う者たちであった。
「やあやあ、不法占拠せし鬼どもが! このモモタロウが成敗してくれる!」
突然、妙な声が聞こえてきたのだ。カークスは、すぐさま表に出る。だが、途端に彼は顔を歪めていた。
目の前には、四人の男が立っていた。いずれも異様な雰囲気を漂わせており、真っ直ぐにこちらを見つめている。カークスの巨体を恐れる様子はない。
「なんだ貴様ら? 何しに来た?」
カークスは、できるだけ冷静な口調で尋ねた。目の前にいる男たちは、ただのチンピラではない。相当な手練だ。自分ひとりでは、勝ち目はない。
ならば、取引を申し出るしかない。
「私の名はモモタロウだ。貴様らは、ここを不法占拠していると聞いた。しかも、大勢の男たちにケガを負わせたとも聞いた。その罪、許しがたい。したがって、退治しに来たのだ」
先頭に立つ男が答えた。長い黒髪を後頭部で束ねており、腰には細長い剣をぶら下げている。背は高く逞しい体つきだ。
しかし、それよりも気になるのは後ろの三人である。どうも、普通の人間とは違うものを感じるのだ。
自分ひとりでは、勝ち目は薄い。ならば、子供たちを連れ逃げるしかない。
「わかった。子供たちを連れて、ここを離れる。それならば文句なかろう」
だが、モモタロウは首を横に振る。
「ふざけたことをぬかすな。不法占拠の時点で、貴様らの罪は成立してしまった。つまり、今の貴様らは悪だ。一度悪に染まった者は斬らねばならん。これこそが、私の神聖にして侵さざるべき掟だ」
とんでもないセリフを吐いた直後、腰の剣を抜いたのだ。月に照らされ、刃がギラリと光る。
さらに、後ろに控えていた男たちにも変化が生じていた。みるみるうちに、人の形が崩れていく。そして、獣のような姿へと変貌していったのだ。
さすがのカークスも驚きを隠せない。これまで裏の世界で何人もの人間と戦ってきた。だが、こんな者は初めて見た。
「お前たち! この巨大な鬼を始末しろ!」
モモタロウが叫ぶ。と同時に、三匹の獣人たちはカークスに襲いかかっていった──
まず飛びかかってきたのは巨大な猿だった。凄まじい勢いで、爪の生えた手を振り上げる。だが、カークスのカウンターパンチが顔面に炸裂する。さすがの巨猿も、たまらず吹っ飛んでいった。
そこに突っ込んで来たのは狼男だ。素早い動きで懐へと飛び込み、足に噛みつく。強靭な顎で、カークスの肉を引きちぎろうというのだ。
カークスは激痛をこらえながら、拳を振り上げ狼男に叩きつける。だが、とんでもなくしつこい奴だ。人間なら一撃で撲殺できるはずの打撃をくらっているのに、離れようとしない。
さらに、上空から新手が攻撃してきた。今度は鳥人間だ。急降下してきたかと思うと、鉤爪の生えた手で顔面を襲う。
カークスは、反射的に顔面をガードした。すると、今度は巨猿だ。背後から体当たりを食らわせてきた。
これにはたまらず、カークスもバタリと倒れる。と、相手方の動きが変わった。彼の巨体を三人がかりで持ちあげ、建物から引き離しにかかったのだ。咄嗟のことに、カークスは何もできず道に放り出されてしまう。
そこでカークスは悟った。奴らは、まず子供たちに手をかけるつもりなのだ。
叫び声をあげ、建物に戻ろうとしたカークス。しかし、またしても人狼の邪魔が入る。足に噛みつかれ、前のめりに転倒した。さらに、巨猿が上からのしかかり押さえ込む。
起き上がろうとしたカークスの目に、恐ろしいものが飛び込んでくる。
こちらに歩いてくるのは、返り血を浴びたモモタロウであった。その手には、幼子の生首が握られている──
「ハッハッハ! 不法占拠せし悪しき鬼の首、このモモタロウが討ち取ったり!」
だが、カークスの耳にその声は届いていなかった。
モモタロウが掲げていたのは、ベンの首である。昨日、事故に遭い皆に心配をかけた。幸いにして命に別状はなく、カークスは胸を撫で下ろしたのだ。
目の前には、そのベンの生首がある。恐怖に歪んだ表情を浮かべていた。
「中にいた子供は、全員討ち取ったぞ! 子供といえど罪は罪! 悪は悪だ! 悪即斬! これが、我が掟よ!」
満足げな表情で、モモタロウは吠える。その端正な顔は返り血にまみれ、目には異様な光が宿っている。
カークスは、思わず天を仰いだ。
「俺が心から愛した者たちは、みな死んでしまったのか……」
口から出たのは、そんな言葉であった。すると、モモタロウはニヤリと笑う。
「安心しろ。今すぐ、貴様もあの世に送ってやる。地獄で会うがいい」
そう言うと、生首を投げ捨て剣を構える。上段の構えだ。
しかし、カークスは彼のことなど見ていなかった。抵抗する素振りもない。ただ、天を睨んでいる。
次の瞬間、カークスは叫んだ。
「俺は恨むぞ! 神よ、貴様を絶対に許さん!」
その時、鳥人間がカークスの髪をつかんだ。強引に頭を下げさせる。
直後、モモタロウが剣を振り下ろす。
カークスの首は、一撃で切り落とされた。
「さて、鬼退治も終わったぞ。これを、シャイロックの元に持っていくのだ」
モモタロウは建物に戻ると、意気揚々と生首を回収していった。ほとんどが幼い子供のものであった。皆、恐怖と苦痛に顔を歪めている。
しかし、モモタロウは何も感じていないらしい。手下の獣人たちも同様である。躊躇うことなく、生首を袋に詰めていく。
その様は、戦場のようであった。




