孤児無用(3)
その日の夜、シレーヌは地下室に皆を集めた。昼間の出来事を、包み隠さず話す。
「……というわけです。カークスは今も生きていますが、孤児たちと共に生活しており害はなさそうです。わたくしは、見逃すことにしました」
「おいおい、ちょっと待ってくれよ。そいつは甘いぜ」
言ったのはインジャン・ジョーだ。その目には、冷酷な光が浮かんでいる。
シレーヌは、冷ややかな表情で言い返す。
「どういう意味です? わたくしの言うことに従えないと?」
「ひとつ覚えておけ。一度、裏街道に足を踏み入れちまった奴はな、そのまま裏街道を歩くしかねえんだよ。なまじ表街道を歩こうとすると、蹴っつまずいてケガをする」
ジョーの言葉に、モリアーティは僅かに表情を歪めた。ボルトはというと、黙ったまま下を向いている。ジャックは、我関せずとばかりにナイフをいじっていた。
皆、何も言わない。しかし、ジョーの言うことを支持しているような空気だ。唯一、シレーヌだけが納得いかない様子だった。
「では、カークスをどうしろと?」
「あいつは、殺ししか能がねえ男だ。そんなバカが、ガキ共とこの先も上手くやっていけるとは思えねえ。第一、あいつは俺たちの裏の顔を知っている。今すぐ殺すべきだと思うがね」
そこでジョーは、すっと立ち上がる。
「お嬢、万一のことがあったとしよう。その時、あんたはどうケジメを取る?」
「わたくしの命で償います。それでどうです?」
彼女の決意を聞き、ジョーはニヤリと笑う。
「そうか。そこまで腹を括れてるなら、俺はもう何も言わねえ。好きにしな」
そう言うと、ジョーは地下室を出ていった。すると、待ってましたとばかりにジャックが口を開く。
「本音を言えば、僕もインジャンに賛成なのんな。リンゴは、一度ジャムになってしまえば二度とリンゴには戻れないのん。リンゴジャムとして生きるしかないっチャ」
対するシレーヌは、クスッと笑った。
「フフフ、面白いたとえね。でも、その通りなのかもしれない。ただ、わたくしは敢えて彼を信じてみたい」
「ま、僕はどっちでもいいのん。お嬢様と一緒なら、地獄も平気なのんな」
そんなことを言ったジャックだったが、今度はボルトが口を開く。
「私のような人造人間は、死んだらどこに逝くのでしょうね。やはり、皆さんと同じように地獄でしょうか?」
「それは、死んでみないとわかりませんな。何はともあれ、念の為にカークスは見張っていた方がいいかもしれませんな」
モリアーティの言葉に、一同は頷いた。
翌日、ジョーは物陰に隠れて孤児たちの住処を見張っていた。
彼は、カークスを全く信用していない。なにせ、一度は非人街で襲撃を受け殺されかけたのだ。その時、ジョーはカークスの目を見ている。
あれは、裏の世界しか知らない者の目だった。ジョーは、そんな目をした者を大勢見てきている。
「おいカークス、妙な真似をしたら俺が始末するぞ」
呟きながら、建物を睨みつける。
今のところ、宿泊施設からは誰も出てこない。孤児たちは皆、建物の中に潜んでいるようだ。自分たちのしていることが、違法だという自覚はあるらしい。
聞いた話によれば、かなりの数の孤児がいるらしいが、今はしんと静まりかえっている。声を出さないように言われているのか。
しばらく見ていると、状況は変わった。突然、建物に数人の男たちが現れたのだ。年齢も服装もまちまちだが、ひとつだけ共通している部分がある。全員、公序良俗を尊ぶタイプには見えないことだ。街のチンピラ、という言葉がよく似合う男たちである。
チンピラたちは、建物の前で喚き出した。
「隠れても無駄だ! いるのはわかってんだぞ!」
「おいガキ共! お前らは不法占拠してんだよ!」
「今すぐ出て来ないと叩き出すぞ!」
「出てこいよオラァ!」
しかし、誰も出てくる気配はない。しんと静まり返っている。
すると、チンピラの中でも、ひときわ喧嘩っ早そうな男が吠える。
「出てこないなら、こっちから行くぞ! ガキだからって容赦しねえからな!」
直後、ズカズカと入っていく。続いて、他のチンピラたちも入ろうとした時だった。
突然、男の体が飛んでいく。ものすごい腕力の持ち主が、入ってきたチンピラを放り投げたのだ。
続いて出てきたのは、熊のような体格の大男である。言うまでもなくカークスだ。二メートルを超える巨体を揺らしながら、ゆっくりと出てくる。
チンピラたちの表情が変わった。まさか、こんな大男が出てくるとは思っていなかったらしい。カークスを前に、男たちは後ずさっていく。
物陰で見ているジョーの前で、カークスは口を開けた。金属製の牙を見せつける。次いで、ガチンと噛み合わせた。憲兵たちは、これを見て怯み去って行ったのだ。
しかし、チンピラたちは違っていた。彼らにも、引けない事情があるらしい。その場で踏みとどまり、カークスを睨みつける。
「ざけんじゃねえぞ! でけえからって調子に乗るな!」
ひとりの男が、ナイフを抜き構える。その時、カークスが動いた。巨体に似合わぬ素早さで間合いを詰め、蹴りを叩き込む──
ナイフを抜いた男は、その一撃で吹っ飛んでいった。決して小さくはない体躯の持ち主であったが、文字通り飛ばされて地面に倒れる。その一撃で、意識を失ってしまったらしくピクリとも動かない。
チンピラたちは、恐怖で顔を歪める。だが、カークスの方はこれで終わらせるつもりはない。続いて、もうひとりの男の襟首をつかむ。
直後、力任せにぶん投げた──
男は飛んでいき、地面に打ちつけられた。呻き声を漏らしたが、起き上がる気力はもはやないらしい。
カークスは、さらに追い打ちをかけようとする。殺そうと思えば簡単であったはずだ。
しかし、そこに乱入した者がいた。ハックだ。飛び出してくると同時に叫ぶ。
「カークス! 殺しちゃ駄目だ!」
驚くべきことが起きた。その声を聞き、カークスの動きが止まったのだ。自身より遥かに小さな子供の指示に、律儀に従っている。
一方、チンピラたちは蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。カークスの圧倒的な強さを目の当たりにし、戦意を喪失してしまったのだ。
後に残っているのは、地面に倒れているふたりの男だけである。カークスは、じろりと睨みつけた。
「今度来たら、この程度ではすまないぞ。さっさと消えろ」
その一部始終を、ジョーは物陰から見ていた。
実に奇妙な光景であった。あの大男のカークスが、ハックの言うことに従っているのだ。
どうやら、孤児たちとの生活はカークスに何かをもたらしたらしい。また、子供たちと暮らす時間は、カークスにとって何物にも換えがたい宝であるようだ。
ジョーは訳がわからなかった。あの人殺ししか知らない大男が、こうも簡単に生き方や価値観を変えられるものなのだろうか。
だが、事態はさらにおかしな方向に転がっていく。
突然、カークスの顔が歪んだ。ある一点を凝視している。そこには、会いたくない何者かがいるようだ。
ジョーは、その視線の先にいる者を見てみた。途端に飛び上がりそうになる。
向こうから歩いてきたのは、なんとシレーヌであった。普段、ミンチン学園に行っている時と同じく黒い上着とズボンに白いシャツ姿である。完全な男装スタイルだ。
いや、それ以前に今は昼である。学園の授業は、まだ終わっていないはずだ。となると、シレーヌは学園を早退して、ここにやって来たということになる。
言うまでもなく、彼女は丸腰だ。そんな状態で、あのカークスと対面しようというのか。
「お嬢、あんた何を考えてんだ?」




