孤児無用(2)
予想外の事態に、モンドは引きつった表情で下がっていく。
おそらく、孤児たちを追い出すだけの楽な仕事と思っていたのだろう。ところが、出てきたのはゴリラのような大男だ。しかも、憲兵など怖れていないらしい。彼らを見下ろす目には、危険な光がある。やるなら、いつでも来いと言わんばかりだ。
対照的に、憲兵らは完全に怯んでいる。戦う気はないが、かといって逃げるわけにもいかない。どうするのか、指揮権を持つモンドに丸投げしているのだ。
シレーヌは、そっとレイピアの柄に手をかけた。モンドは、一応は処刑人の協力者である。彼に万一のことがあったら、今後の仕事がやりづらくなる。
「ジャック、最悪の場合はここで奴を殺します。いいですね?」
囁いた時、状況は一変する。カークスは口を開け、金属の牙を見せつけた。
さらに、ガチンと噛み合わせる。やる気なら、この牙で噛み切るぞ……という脅しだ。
すると、モンドはサーベルを鞘に収めた。
「ま、まあ、俺たちだって鬼じゃない。お前らの事情も鑑み、今回は大目に見てやる。だがな、できるだけ早いうちに出ていってくれよ」
そう言うと、モンドは平静を装い去っていく。他の者たちも彼に続いた。
すると、ジャックがプッと吹き出す。
「本当に情けない奴なのん」
「ああ見えて、やる時はやる男なのですよ。それより、もう少し様子を見てみましょう。ひょっとしたら、何か目的があるのかもしれません」
シレーヌらが様子を窺っていると、カークスはすぐに引っ込んでしまった。ここから見えるのは、子供たちの姿だけだ。
元殺し屋の大男と、孤児たちが共同生活をしている理由は何なのだろう……とシレーヌが考えていた時、ひとりの子供が施設から走り出てきた。年齢は十歳になるかならないか、というところだろう。いかにもヤンチャそうな顔立ちである。
少年は階段を走って下りようとしたが、途中で足を踏み外してしまった。バランスを崩し、階段を転げ落ちていく。
そのまま道に倒れたが、ピクリとも動かない。他の子供たちは、何が起きたのかわからず呆然となっている。
その瞬間。シレーヌは走った。倒れている少年のそばでしゃがみ込むと、体に手を這わせていく。
「心臓は動いてる、呼吸もしている……でも安心はできないわね」
そう言うと、シレーヌはジャックの方を向いた。
「ジャック! 馬車を止めて!」
「なんでそんなことするのん?」
「この子を屋敷に連れていきます。モリアーティなら、そこらのヤブ医者より見立ては確か。彼なら完璧な処置を施せるでしょう」
すると、ジャックは溜息を吐いた。
「まったく、お嬢様はお人好しなのん。そんな見知らぬガキ助けるくらいなら、たまには僕のほっぺにチューでもして欲しいのんな」
ブツブツ言いながらも、ジャックは馬車を止めに行った。
その時、施設内から年かさの少年が出てきて、シレーヌのそばにしゃがみ込んだ。
「ベンは大丈夫なのか!?」
「わかりません。まずは、医者に診せて判断を仰ぎましょう」
「でも、俺たち金がないんだ!」
「わたくしが貸してあげます」
その言葉に、少年の顔が歪んだ。
「貸すってどういうことだよ? 後で、俺たちに人殺しでもさせる気か?」
この問いに、シレーヌは拳をギュッと握りしめた。やりきれない思いを、どうにか耐える。この少年たちは、人の善意など信じられない世界で生きて来たのだ。
彼らのような孤児たちがひもじい思いをしている時、親切なおじさんが現れ「ご馳走してあげるよ」と言う。だが、ご馳走の後に待っているものは……変態の慰み物になるか、悪事を手伝わされるか、あるいは新しい薬品の実験台にされるか。
この少年も、同じ手口で犯罪の片棒を担がされた経験があるのだろう。そう、このベルサーユには善人などほとんどいない。大半は、悪人もしくは極悪人だ。
「ならば、毎日わたくしの屋敷の周りを掃除してもらうとしましょう。ただし、屋敷の中に入ってはいけません。いいですね?」
どうにか怒りを抑え、冷静な口調で言った時だった。
背後に人の気配を感じ、振り向くとカークスが立っていた。シレーヌへの敵意はなく、倒れた少年を見てオロオロしているのだ。
シレーヌは、ジロリと睨みつける。
「あなたには聞きたいことがありますが、それは後にしましょう。今はまず、この子を医者に診せなくてはなりません」
「だったら、俺が連れて行く!」
言うと同時に、カークスは手を伸ばした。しかし、シレーヌはその手を叩く。
「やめなさい! こういう時は慎重に運ばないと、死んでしまう可能性があるのですよ!」
怒鳴りつけると、カークスは申し訳なさそうに手を引っ込めた。かつて戦った時、殺意を剥き出しにして襲いかかってきた姿が嘘のようだ。
シレーヌはまだ意識の戻らないベンを見守りつつ、カークスの変貌について考えていた。コンビクト族は、幼い頃より殺し屋になるための教育を受け育っていく。逆に言えば、殺し屋以外の生き方を知らない。
そんな男が、更生などできるのだろうか?
その時、馬車が現れた。シレーヌは、カークスに指示する。
「いいですか、できるだけ頭や首が揺れないよう、慎重に馬車に乗せるのですよ。わたくしが頭の方を持ちます。あなたは足の方を持ってください」
そう言うと、ベンの小さな体をそっと馬車に乗せた。直後、客室から顔を出し、年かさの少年を見る。
「ベンを今から医者に見せます。そこのあなた、付いて来なさい」
「えっ? そいつも連れて行くのん?」
素っ頓狂な声をあげたジャックに、シレーヌは頷いた。
「仕方ないでしょう。この子が意識を取り戻したら、連れて帰らせなくてはなりません。さあ、来なさい」
その後、ベンは屋敷のベッドに寝かされた。モリアーティが、慎重な手つきでベンの体に触れていく。
「ふむ、心音および脈拍に異常なし。首も折れていません。今は意識を失ってはいますが、もうじき目を覚ますことでしょう。お嬢様、さすがですな」
そう言うと、モリアーティは少年をじろりと睨みつける。
「君、名前は?」
「ハ、ハック……」
今にも消え入りそうな声で答えたハックを見て、モリアーティは溜息を吐いた。
「やれやれ。私は、治すことは専門ではないのですがね。お嬢様の気まぐれにも、困ったものですな」
「あの、ベンは助かるんですか?」
おずおずと尋ねたハックに、モリアーティは冷たい態度で答える。
「はい、問題ないでしょう。こちらのベンくんが目を覚ましたら、さっさと屋敷から連れ出してください。ここは、あなたのような子供の来る場所ではありません」
その言葉は、単なる金持ちの嫌味ではなかった。別な意味があったのだが、ハックはそうは思わなかったらしい。悔しそうな表情で俯いた。
モリアーティの方は、そっと立ち上がる。シレーヌに、意味ありげな目線を送り部屋から出ていった。
続いて、シレーヌも部屋を出た。すると、モリアーティが近づき囁く。
「お嬢様、あの子供たちが妙な真似をしたら……おわかりですね?」
「わかっています。万一の時は、わたくしの手で彼らを始末します」
「それを聞いて安心しました」
一方、室内では……奥歯を噛み締めるハックに、ジャックがそっと近づく。
「モリアーティは、言い方はキツイけど君らのことを心配してるのん。だから、気にするなッチャ」
「ふん。どうせお前も、俺たちのことをバカにしてんだろ」
ふてくされた態度のハックの腕を、ジャックはナイフでつついた。
途端に、ハックは飛び上がる。
「い、いてえな! 何すんだよ!?」
思わず大声をあげた。すると、その声に反応しベンの目が開く。
途端に、ハックの表情が変わった。
「ベン! 大丈夫か!」
「う、うん……大丈夫」
そう言うと、ベンは周りを見回した。
「ここ、どこ?」
とぼけた口調のベンを見て、ジャックは溜息を吐く。
「呑気な奴なのん。君を助けるため、いろんな人が動いたのんな」




