問答無用(3)
「あのう、シレーヌさん……」
授業が終わり、帰ろうとしていたシレーヌに声をかけてきた者がいる。誰かと思えば、学園長のミンチンだ。
「あら、学園長先生。どうかしましたか?」
慇懃無礼な態度で言葉を返したシレーヌだったが、直後に表情を変える。
「実は、明日うちにグラーヴェル伯爵が来ることになっていますの。それで。その……」
そこで、ミンチンは口ごもる。
何が言いたいかはわかっていた。この学園は、グラーヴェル伯爵の寄付を得ている。それも、かなりの額だ。その見返りに、何を得ているか……これは、ミンチンの他は限られた者しか知らない。
そのグラーヴェル伯爵が、視察に訪れる。となれば、学園最大の問題児であるシレーヌには、できれば休んで欲しい。それが無理なら、せめて視察の間だけでもおとなしくしていてくれ。それが、ミンチンの願いなのだ。
普段のシレーヌなら、待ってましたとばかりに視察の邪魔をしていただろう。
しかし、今回は違う。虎の穴は、殺しの依頼があれば速やかに動く。おそらく、今夜のうちに襲撃があるだろう。
それが成功するか失敗するか、結果いかんで自分たちのやることも変わってくる。もし自分たちがやらねばならないとしたら、事前に伯爵と顔を合わせたくはない。
グラーヴェル伯爵は、最低の変態である。さらに臆病者でもある。しかし、臆病者というのは仕留めるのが難しい。その上、伯爵は敵意に対する嗅覚も優れている。
万一、事前に接触して、こちらの敵意を嗅ぎつけられたらマズい。
「そうですか。では、明日は休むとしましょうか」
言った途端、ミンチンの表情がパッと明るくなった。
「ま、まあ! 明日はお休みになりますのね! それは残念ですわ。シレーヌさんが休まれると、学園もへい、いえ火が消えたように静かになりますから……」
残念だ、などと言いつつも喜びを隠しきれていない。その上、今確実に「学園も平和になる」と言おうとしていた。
この女、悪党としても三流以下だ。本物なら、演技も完璧にこなす……そんなことを思いつつ、シレーヌは会釈した。
「そう言っていただけて、光栄ですわ」
そう言うと、シレーヌはさっと向きを変える。足早に学園を後にした。
屋敷に帰ると、モリアーティが恭しい態度で出迎える。
「お帰りなさいませ」
「虎の穴が殺しの依頼を受けたそうだけど、奴らがどうしてるかわかる?」
尋ねたシレーヌに、モリアーティは首を傾げて見せた。
「さすがに、それはわかりかねますな。ただ、念のためグラーヴェル伯爵の屋敷をジョーに見張らせています」
「さすがね」
その夜。
グラーヴェル伯爵は、数人の従者を連れて外を歩いていた。
何をしているのかと言うと、運動を兼ねた散歩である。日頃の不摂生がたたり、腹がだいぶ出てきたし、体のあちこちも弱ってきた。
医師や魔道士たちは伯爵の体を診察し、健康のために運動しなさい。でないと早死しますよ……とアドバイスした。伯爵は現在四十であり、この年齢で死にたくはなかった。
かといって、昼間の目立つ時間帯に運動をするのは嫌だ。何より、人目につきたくない。
したがって、人通りの少なくなった夜に散歩をするようになったのである。
そんな伯爵を尾行しているのは、インジャン・ジョーである。闇に紛れ、そっと後を付いて歩いていた。
今夜は、何もなさそうだ……と思った時だった。ジョーの野性の勘が異変を察知する。
従者を引き連れ歩いていた伯爵が、裏道に入り込んだ時だった。ジョーの目は、伯爵の上方に潜む刺客を見つけていた。大木の幹にへばりつき、伯爵が通るのを待っている。
その下を伯爵が通り過ぎようとした時、刺客は迷うことなく飛び降りたのだ。その手には短剣が握られている。
落下の衝撃だけでも、かなりの威力である。これで動きを止め、手にした短剣で伯爵にトドメを刺すつもりなのだ。
しかし、そこに飛んできた者がいた。緑色の風が吹き、空中で刺客をつかんで引き離す。その時間は、瞬きする間もないほどだ。さすがのジョーも唖然となっていた。
しかし、緑色の風ことピーターは動き続けている。刺客の手にしていた短剣で、彼の喉を切り裂いた。直後、スッと地上に降り立つ。油断なく辺りを見回した。
同時に、従者たちも動いた。全員で伯爵を取り囲むと、剣を抜き構える。うちひとりは、持っていた角笛を吹いた。
その時、他の刺客たちも姿を現した。黒装束に短剣と、暗殺に特化したスタイルの者たちだ。全部で四人いる。彼らは、一斉に伯爵を追った。
しかし、彼らの前に立ちはだかったのはピーターだ。
「ここんとこ退屈してたんだよね。さあ、遊んであげるよ!」
陽気な声と共に、ピーターは剣を抜き襲いがかる──
「なんだあいつ……」
ジョーは、思わず呻いていた。
現れたのは、虎の穴の刺客だ。そこらのチンピラと違い、プロの殺し屋である。それが、十数える間もないくらいの時間で全滅させられてしまったのだ。
一方、ピーターは涼しい顔である。息も乱さず、剣に付いた血を拭っている。
「あーあ、僕の剣が汚れちゃったじゃないか。汚いなぁ」
その時、伯爵が近づいてきた。顔に笑みを浮かべ、刺客の死体を蹴飛ばす。
「このクズ共が。私を殺そうなど、百年早いわ。生まれ変わって出直せ、ゴミカス」
そんなことを言いながら、死体をもう一度蹴飛ばした。さらに、ピーターの肩にそっと触れる。
「ピーター、助かったぞ。頼りにして愛しているよ」
言うと同時に、手はさらに下りていく。ピーターの尻を、そっと撫でた。
すると、ピーターは露骨に嫌そうな顔で手を振り払う。
「ちょっとお、僕そっちの役目は御免だよ」
「ああ、すまんすまん」
伯爵が言った時だった。王都の憲兵が、こちらに向かい駆けてきた。角笛の音を聞き、事件を察知したのだ。
「おい、大丈夫か!」
乱暴な口調で近づいてきた憲兵だったが、伯爵の顔を見るなり態度を一変させる。
「は!? これはグラーヴェル伯爵様! 失礼しました!」
「構わんよ。今、暴漢に襲われたのだ。しかし、我が忠実なる部下たちが始末してくれた」
「はっ、そうでしたか。して、この男たちは何者ですか?」
「知らんな。どうせ、身の程知らずのバカ者であろう」
そんなやり取りを、ジョーは暗がりに潜み見ていた。
もう、これで充分だ。まずは、シレーヌに報告しなくてはならない。ジョーは、音もなくその場を離れた。
屋敷に戻ると、ジョーは皆を集めた。地下室で見たままを報告する。
「ジョー、あなたから見てピーターの腕前はどうだった?」
尋ねたシレーヌに、ジョーは渋い表情になった。
「言いたくはねえが、俺はあいつとやり合って勝てる気はしねえよ。剣の腕よりも、動きの速さが厄介だ。その上、空まで飛ぶとなると……」
そこで、ジョーは両手のひらを天井に向ける。お手上げ、という意味のジェスチャーだ。
すると、室内の空気が変わった。自信家のジョーがここまで言うのは珍しい。ピーターの強さは、相当のものということだ。
さらに、モリアーティが口を開く。
「しかも、この襲撃で伯爵も警戒を強めるでしょう。夜中の散歩が、唯一狙えるチャンスでした。しかし、こうなると散歩も中止するでしょう。となると、作戦を変えねばなりませんな」
皆の表情が険しくなった時だった。場の雰囲気をぶち壊すようなセリフがジャックから飛び出る。
「ねえインジャン、僕とピーターとどっちが可愛いのん?」
「はあ!? んなこと知るか!」
怒鳴りつけたジョーだったが、ジャックは涼しい顔で言い返す。
「だってさ、伯爵はピーターのケツ撫でてたんだよね。てことは、男にも興味があるのんな。なら、僕が伯爵を落としてみせるのん。ピーターなんかにゃ負けないっチャ」
そう言って、ジャックはニヤリと笑った。途端に、皆の表情も変わる。ジャックが、何を言わんとしているか理解したのだ。
やがて、モリアーティが頷いた。
「なるほど。幼子を毒牙にかける蛇には、可愛いリスを生贄として差し出すわけですな。もっとも、ジャックさんはリスの皮を被ったマングースですがね。伯爵という毒蛇を狩るには、マングースこそ相応しい」




