問答無用(2)
翌日、シレーヌはミンチン学園にいた。彼女は、一応ここの生徒なのである。
しかし、その態度は傍若無人そのものであった。
「あなたたち、そこをどいてくださらない? それとも、わたくしに蹴り倒されたいの?」
廊下で立ち話をしていた女生徒ふたりは、その言葉に慌てて脇に引っ込む。
空いたスペースを歩いていくのは、異様な格好をしたシレーヌだ。男のような黒いズボンを履き、黒いコートを肩にかけている。喋り方は、一応は令嬢のものだが……服装と、致命的に合っていない。
何より、ミンチン学園は王都ベルサーユでも屈指の名門校なのだ。そんな学園に、男のような身なりで登校している……普通なら、有り得ない光景であろう。
しかし、学園でシレーヌに物申せる者などいなかった。生徒はもちろんのこと、教師ですら彼女には逆らえなかったのである。
「また、シレーヌが来たわ。見てよ、あの格好」
ひとりの女生徒が、横にいた友人にそっと囁く。すると、友人も顔をしかめ頷いた。
「全く、どうしようもない不良娘だわ。まあ、しょせん私たちと違い、卑しい生まれですものね」
一方、男子生徒は違ったタイプの陰口を叩いていた。
「見ろよ、シレーヌだぜ」
「惜しい。あの性格と格好さえ何とかすれば、なあ……」
「本当だよ。あれを落とせば、一気に王族の仲間入りだぜ」
「そうそう。顔だって悪くないし、ちゃんとすれば引く手あまたなのにな」
そんな陰口など、どこ吹く風のシレーヌは教室に向かい足早に歩いていく。だが、その足は途中で止まった。
「いつまでやっているの! この役立たず!」
「す、すみません!」
怒鳴り声と、謝罪の言葉が耳に入る。シレーヌは、声のした方をジロリと睨みつけた。そこでは、中年女が若い少女を叱りつけている。
中年女は、ゴテゴテと飾り付けられた派手なドレスを着ていた。耳には金のピアス、首には黒真珠のネックレスをぶら下げている。指には、これまた宝石の付いたリングをしていた。全て合わせればかなりの額だろうが、致命的に似合っていない。
一方、叱られている少女はメイド服を着ており、美しく整った顔立ちをしていた。髪は黒く、瞳からは知性と気品とを感じさせる。
だが、少女の美しい顔も中年女からの叱責のため歪んでいた。今にも泣き出しそうだが、中年女の口撃は止む気配がない。
「お前という娘は……いつまで、お姫様気分でいるんだい!」
「いえ、そんなつもりは──」
「何! この私に逆らう気!」
見ていたシレーヌは、チッと舌打ちした。これまた、令嬢には有り得ない仕草である。
だが、続いての行動はもっと有り得ないものだった。彼女はツカツカ近づいていくと、持っていたカバンを床に叩きつける。
直後、その口からとんでもない言葉が出た。
「セーラ、あんたの汚らしい姿を見たせいでカバンが落ちてしまったわ。拾って持ってきなさい」
そう言うと、再び歩き出した。セーラは、呆然とした表情でシレーヌの後ろ姿を見ている。
と、そこで中年女が怒鳴った。
「何をしているの! シレーヌさんに言われた通りしなさい!」
その声に、セーラはカバンを拾い上げ後を追った。一方、中年女は憎々しげな表情を浮かべ呟く。
「シレーヌ……なんて女かしら。王妃の腹違いの妹でなければ、さっさと追い出してやるのに」
この中年女の名は、ラビニア・ミンチン。ミンチン学園を経営しており、学園長としての立場に強い誇りを持っている。シレーヌのことは追い出したいのだが、彼女が王妃の妹であるがゆえに逆らうことができなかった。
セーラは、カバンを両手で持ちシレーヌの後を付いて行く。
だが、突然シレーヌの足が止まった。くるりと振り返ると、軽蔑の眼差しでセーラを見つめる。
「あらあら、あなた泣いてるのね。知ってる? 涙の成分はヨダレや鼻水と同じなのよ。人前で泣くのは、人前でヨダレを垂れ流しているのと同じこと」
確かに、セーラの目からは涙が流れていた。しかし、彼女は首を横に振る。
「な、泣いてなんかいません!」
言い返したものの、涙はさらに溢れてくる。
そう、セーラにとって、これは屈辱的なことなのだ。何せ、彼女はつい三ヶ月ほど前までは、この学園の生徒だった。それが今では、奴隷のごとき扱いである。
そんなセーラだったが、シレーヌは容赦する気配がなかった。フンと鼻で笑う。
「どうせ、あなたは泣けば誰かが助けてくれる……そんな都合のいいことを考えているのではないかしら?」
「そんなこと、思ってません!」
負けじと言い返すセーラだったが、その間にも涙が溢れ出ている。
シレーヌは、嘲るような笑みを浮かべた。
「ひとつ忠告しておくわ。この学園にはね、泣いたからって同情してくれる人間なんかいない。むしろ、相手が泣けばさらに攻撃してくるロクデナシしかいないのよ。泣いてる暇があるなら、手と足を動かしなさい」
「そんなこと、わかってます……」
それきり、何も言えなくなっていた。今にも、その場で泣き崩れてしまいそうだ。
シレーヌは、不快そうな表情のままセーラに近づいて行った。カバンをひったくり、彼女を睨みつける。
「あなたの汚らしい涙で、カバンが汚れてしまいました。もう、ここまででよくてよ」
言った時、シレーヌの表情が歪む。廊下に設置された窓に、見覚えのある顔が見えたのだ。金色の髪、白い肌、綺麗な顔立ち……そう、ジャックである。
わざわざ学園に来たということは、モリアーティからの伝言だろうか。となると急用である。
シレーヌは、泣いているセーラを無視して窓に近づいた。すると、囁くような声が聞こえてきた。
「お嬢様、ちょっと困ったことになったのん。誰かが、変態伯爵の始末を虎の穴に依頼したっチャ。このままだと、先を越されちまうのん」
虎の穴とは、王都ベルサーユを縄張りとする裏の仕事人の集団だ。シェリー・カーンという女が首領を務めており、腕利きの殺し屋も数多く所属している。
ジャックの言う通り、放っておけば虎の穴の殺し屋がグラーヴェル伯爵を仕留めにかかるだろう。だが、シレーヌは平然としていた。
「構いません。ああいう社会のクズがひとり減るのは喜ばしいことです。それに、虎の穴の殺し屋に仕留められる程度の相手なら、わたくし達が手を降すまでもありませんわ」
シレーヌは、小声で答えた。傍から見れば、窓から空を見上げて、独り言を言っているようにしか見えないだろう。
「そうなん? つまんないけど、お嬢様がそう言うなら仕方ないのんな。じゃ、僕は帰るっチャ」
「待ちなさい。帰る前に、ひとつ仕事を頼みます」
「何? 何?」
「後で、あそこにいるセーラを笑わせてちょうだい」
それだけ言うと、シレーヌは教室へと入って行った。
◆◆◆
やがて始業を告げる鐘が鳴り、授業が始まった。そんな中でも、セーラは廊下の掃除をしていた。
耳をすませば、授業の音が聞こえてくる。彼女も、少し前までは生徒として授業を受けていたのだ。
セーラは、優秀な生徒であった。彼女にとって、授業は新しいことを学ぶ喜びを味わえる時間である。しかし、今はその喜びすら奪われてしまった。
また、瞳から涙が溢れてくる。セーラは、そっと涙を拭いた。その時、とんでもない声が聞こえてきた。
「はんはんはーん、はんはんはーん」
奇怪な鼻歌だ。こんな鼻歌を歌う者など、生徒にいただろうか。
いや、それ以前に……授業が始まっているのに、廊下でこんな鼻歌を歌っているようなバカは、ミンチン学園には入れないはずだ。
セーラは、そっと周囲を見回す。途端に唖然となった。
小柄な少年が、こちらに向かい歩いてくる。白いシャツを着て、紺色のベストとズボンという服装だ。顔は美しいが、口から漏れ出ている鼻歌があまりにも奇怪であった。
固まっているセーラに、美少年はどんどん近づいてくる。直後、とんでもない行動に出た。滑るような動きで、セーラの周りをぐるぐる回り出したのだ。しかも、鼻歌はまだ続いている。
あまりに奇妙な光景に、セーラは思わず笑ってしまった。すると、少年もニッコリ微笑む。そのまま、滑るような動きで再び廊下を進み出した。
そして、すぐに視界から消えてしまった。




