巨鬼無用(9)
「待ってください! あなた正気ですか!?」
驚愕の表情を浮かべて言ったボルトに、ジョーは小さく頷く。
「ああ、あいにく狂っちゃいねえ。正気だよ。俺が殺られたら、あとのことは頼む。とにかく、俺は今こいつと一対一でやりてえんだよ」
「どういう風の吹き回しだ?」
聞いてきたベオウルフに、ジョーは笑みを浮かべ答える。
「あんたを見てたらよ、伝説のホワイト・バッファローを思い出したんだよ。是非とも挑んでみたくなった。それだけのことだ」
「お嬢様!? いいのん!?」
納得いかない様子のジャックは、シレーヌの腕を引っ張った。しかし、シレーヌは首を横に振る。
「わたくしには止められません。仕方ないですね。勝手になさい」
「お嬢、感謝するぜ」
ジョーは軽く会釈すると、ベオウルフに向き直る。
次の瞬間、両手にはトマホークが握られていた。
「いくぜ英雄」
「来い。力の限り相手になってやる」
広間の中央で、ふたりは構えた。
ベオウルフの大剣は、刃が長い。さらに、刀身の厚みもある。普通の戦士では、振るだけで疲れてしまうだろう。ましてや、これを実戦で使うなど、ありえない話だ。
しかし、ジョーは知っている。ベオウルフは、この大剣を軽々と振るう。木の幹に打ち込み、切り倒してしまった姿を間近で見ているのだ。
ジョーの額から、一筋の汗が落ちる。
「どうした? 来ないのか? ならば、こちらから行くぞ!」
吠えた直後、ベオウルフが動いた──
考えるより先に、体が反応していた。
ジョーは後方に飛び退き、ベオウルフの一撃を躱す。しかし、斬撃の風圧により髪がたなびいた。恐ろしい威力だ。
しかも、斬撃は一度では終わらない。斜めの袈裟斬りが来たかと思いきや、すぐさま次の攻撃が襲う。大剣の刃が、鞭のような速度で次々と放たれるのだ。
ジョーは、どうにか紙一重の差で避けていく。しかし、避けるのがやっとだ。反撃の糸口はつかめない。
「どうした! 貴様は戦いに来たのだろうが! これではつまらんぞ!」
怒鳴ると同時に、ベオウルフは大剣を振り下ろす──
その時、ジョーの瞳が光った。
ベオウルフの斬撃を、両手のトマホークで横方向へと受け流す。と同時に、右足が放たれた。体の回転を利かせた後ろ回し蹴りだ。
ジョーの右足は、ベオウルフの顔面に完璧なタイミングで炸裂する。普通なら、ここで終わっていただろう。
だが、ベオウルフのタフさは並の兵士を超えるものだった。強烈な後ろ回し蹴りを食らいながらも、僅かによろめいただけだ。すぐさま反撃していく。こちらも足が伸び、ジョーの腹を蹴飛ばした。
凄まじい威力の蹴りを食らい、ジョーはふっ飛ばされた。だが、瞬時に受け身を取り立ち上がる。トマホークを構え、低い姿勢で睨みつけた。
見ている者たちの間にも緊張が走る。特に、ジャックはいても立ってもいられない……そんな様子だ。
「このままじゃ、インジャンが死んじゃうのん」
低い声で言いながら、ナイフを抜いた。しかし、彼の手をつかんだ者がいる。
「待ちなさい。ジョーを信じるのです。彼は、勝ち目の全くない戦いに挑むほどの愚か者ではありません」
そんな中、ベオウルフも大剣を構える。ニヤリと笑った。
「器用な真似をするな。だが、その程度の技では俺を倒すまでには至らんぞ」
「そうらしいな」
答えたジョーの額から、汗がぽたりと垂れた。ベオウルフの恐ろしさを、まざまざと理解したのだ。
そもそも、もともとの才能からして段違いなのだ。そんな者が、心技体の全てを極限まで鍛え抜いている。人間の領域など、とうの昔に超えている怪物だ。
腕力や打たれ強さはオーガー並、剣の技はいにしえの達人レベル……まともに戦ったら、どうあがいても勝ち目はない。
だが、今さら逃げるわけにはいかない。どうせ死ぬなら、前のめりに討ち死にだ──
「行くぜ英雄!」
叫んだ直後、ジョーがトマホークを投げつける。ベオウルフは、いとも簡単に大剣で弾き飛ばした。
「フッ、小賢しい真似を!」
吠えながら、ベオウルフは低く構える。
そう、ジョーにはもうひとつトマホークがある。片方を投げつけ、そちらに注意を向けさせる。直後に接近し、もう片方で仕留める……二刀流ならではだ。
しかし、こんな戦法は戦場で何度も見てきた。今さら、ベオウルフほどの男が引っかかるはずもない。
しかし、そこからは予想外の展開が待っていた。ジョーは、もう片方のトマホークをも投げつけたのだ。
「何ぃ!?」
ベオウルフは、完全に意表を突かれた。まさか、得物を二本とも投げてくるとは思わなかったのだ。咄嗟に大剣で弾き返したものの、体勢は完全に崩れている。
そこに、ジョーは接近していく。地面に滑り込むような体勢で間合いを詰め、瞬時にベオウルフの右足をつかんだ。
右足首を脇に挟むと同時に、己の両足をベオウルフの左足へと引っ掛ける。
直後、一瞬で薙ぎ払った──
「なんだと!」
声と共に、ベオウルフは仰向けに倒れた。
一方、ジョーは動き続けている。ベオウルフの右足首を脇に挟み、一気に関節技を極める。
一瞬の後、関節の砕ける音がはっきりと聞こえた。ベオウルフの足首は完全に破壊されたのだ。常人ならば、これで終わるはずだ。
しかし、この英雄は止まらなかった。
「まだだ! まだ終わらんぞ!」
吠えると同時に、ベオウルフは左足だけで起き上がった。右足首の関節を破壊されたにもかかわらず、強引に立ち上がってきたのだ。
こんな状況にもかかわらず、ジョーは感動に近い感情を覚えていた。常人ならば、痛みのあまり立つことなどできなかったはずだ。ところが、ベオウルフは立ち上がってきた。右足を砕かれながらも、戦意を失っていないのだ。さらに、勝負を諦めていない。
ベオウルフが、上から拳を振り上げた。その瞬間、ジョーも動く。下から、思い切り蹴り上げたのだ。
足の一撃が顔面に入り、ベオウルフは後方に倒れた。左足だけでは、衝撃に耐えられなかったのだ。倒れた拍子に、床に後頭部を強打する。それでも立ち上がろうと足掻くが、脳震盪を起こしており上手く動けない。
一方、ジョーは既に立ち上がっていた。ブーツに仕込んでいたナイフを抜き、再びしゃがみ込む。
「あんた、最高の勇者だよ。本来の実力では、俺の遥か上をいってたぜ。だがな、俺も負けるわけにはいかねえんだ」
低い声で呟き、瞬時に喉をかき切った。
ベオウルフの目が、かっと開かれる。ジョーを凄まじい形相で睨みつけた。
だが、次の瞬間に体は消え去ってしまった。後に残されたのは、彼の使っていた大剣だけだ……。
「クソ、埋葬すらしてやれねえのかよ」
顔を歪めるジョーに、近づいていったのはジャックだ。ナイフの先で、腕をちょんとつつく。
当然ながら痛い。ジョーは思わず飛び上がった。
「痛えな! 何しやがんだ!」
「危なかったのん! 心配したのんな!」
怒鳴り返すジャックに、ジョーは困惑し他の者たちを見る。
「な、なんだこいつ? どうしたんだ?」
「うるさい! 心配したのんな!」
なおもナイフを振り上げるジャックの手を、後ろからつかんだのはシレーヌだ。
「続きは屋敷でやりなさい。今は、他にすることがあるでしょう」
しばらくして、おっとり刀で駆けつけた憲兵らが見たものは死体の山であった。中でも、ひときわ目立つものがゾンダーだ。
(この者、慈善家の仮面を被り大勢の命を奪った極悪人!)
こんな紙が、胸に杭と共に打ち付けられていた。
「これは仕方ねえなあ。そのベオウルフとかいう奴が乱心の果てに暴れ出し、大勢の死人を出して逃げた……こんなところか」
とぼけた表情でモンドが言うと、周りの憲兵たちも頷いた。




