巨鬼無用(8)
「妙ですねえ。情報によれば、グレンデルは人食い鬼ゆえ、普段は地下に閉じ込められていると聞きました。なぜ階段を上がって来るのでしょう。しかも、足音はふたつ聞こえます」
呟いたのはボルトだ。確かに、足音はふたつ鳴り響いている。巨体の持ち主に相応しい、重々しいものだ。
「二匹の人食い鬼……となると、母親のアンジェラも召喚されている可能性もあります。これは厄介ですな。いったん引くのも手かと」
モリアーティが言った時、状況は一変した。
それまでは、ドスッという踏みしめるような足音だった。ところが、突然ダダダダ……という連続音に変わったのだ。
音から察するに、人間など比較にならない重量なのは明らかだ。しかも、その速度は異常に速い。音はどんどん近づいている。
「あれでは、逃げても追いつかれるでしょう。ならば、この踊り場で迎え討つしかありません」
レイピアを構えたシレーヌの言葉が終わるか終わらないかのうちに、階段を駆け上がり姿を現したものがいた。暗いためはっきりとは見えないが、巨大なのは確かだ。一応は人型をしているが、体つきはゴリラに近い。
そのものは、高く跳躍しボルトへと飛びかかる。しかし、ボルトは冷静に迎え撃った。ギリギリのタイミングで躱すと同時に、カウンターのパンチを叩き込む。
巨大な影は、ボルトのパンチをまともに食らった。城壁にすら打ち砕いてしまいそうな衝撃を受け、影は階段を転がり落ちていった。
ところが、パンチを放うのと同じタイミングで突っ込んできたものがいた。これまた、巨大な体の持ち主だ。ボルトに強烈な体当たりを食らわし、一気に床へと引き倒す。
さらに、ボルトの顔面めがけ岩のような拳を振り下ろす──
人間ならば、この時点で殺されていただろう。しかし、ボルトはこの程度では死なない。それだけでなく、瞬時に何が起きたか判断し対応していたのである。
ヒグマですら打ち倒せそうな一撃だったが、ボルトは両腕で顔面をガードし防いでいた。彼の傷だらけの顔には、焦りも恐れもない。仲間が対応してくれると信じていたからだ。
そこで、モリアーティの声が飛ぶ。
「お嬢様! 明かりを!」
直後、彼は前転する。一方、シレーヌはその一言だけで意図を理解したらしい。恐れる様子もなく襲撃者に接近し、ランプを突き出す。
ランプの光に映し出されたもの……それは、緑色の奇妙な生物だった。ボルトよりも大きく、体毛は濃い。人間と凶暴な肉食獣とを強引に掛け合わせたような顔だ。
しかし今、その顔は歪み動きが止まっている。ランプの光が、僅かとはいえダメージを与えているのだ。
そこで銃声が轟く。しかも、立て続けに三発だ。続いて、バタリと倒れる音が響く。
撃ったのは、無論モリアーティだ。彼は、人食い鬼にほぼ密着する位置に飛び込み発砲した。それも、耳の穴を狙ったのである。
下手をすれば、自身もつかまれ捻り殺されてしまうところだ。しかし、異常に硬い皮膚を持つ人食い鬼を仕留めるには、この手しかなかったのだ。
人食い鬼は、自分が何をされたのかもわからぬうちに死んでしまった。
その時、下から恐ろしい叫び声が聞こえてきた。ボルトは素早く立ち上がり、後ろに飛び退き構える。人食い鬼は、あと一匹残っているのだ。
直後、もう一匹が上がってきたが、その行動は予想外のものだった。シレーヌらには目もくれずに動き、倒れている人食い鬼の体を抱き上げたのだ。
その口から、嗚咽のような声が漏れる。
シレーヌらは、呆然となっていた。
仲間の亡骸を抱き起こし、悲しみのあまり泣き叫ぶ鬼……あまりにも哀れな光景だ。鬼のような怪物に、このような感情が存在するとは、この場にいる誰しもが思っていなかった。
その姿は、我が子を失った母を思わせた──
異様な空気に包まれていた時、のっそりと動き出した者がいた。
「これは、私の役目でしょうな」
ボルトが低い声で呟くと、泣いている鬼へと近づいていく。
首をつかみ、一瞬でへし折った──
「すみませんね、嫌な役回りをさせてしまって」
そっと声をかけたシレーヌに、ボルトは小さく頷いた。
「いえいえ。それより、まだベオウルフが残っています。急ぎましょう」
その後、シレーヌたちは手分けしてベオウルフを探した。だが、どこにもいない。
「そいつ、ヒビって逃げ出したんじゃないのん?」
ジャックが言うと、ジョーがじろりと睨む。
「んな訳ねえよ。あいつは、そんな奴じゃねえ」
「このままだと、ゾンダーらの死体が信者らに見つかります。仕方ないので、今回は退散するとしましょう」
モリアーティが低い声で促す。
そう、今は他の信者たちも眠っている。だが、そろそろ見回りの者が来る頃だ。もしゾンダーらの部屋を見れば、何が起きたかは一目瞭然である。騒がれ、憲兵らを呼ばれたら面倒だ。
「わかった。引き上げよう」
ジョーが、渋々ながらも頷いた時だった。突然、恐ろしい声が聞こえてきた。
「貴様ら! とっとと失せろ! でないと斬り殺すぞ!」
続いて、響き渡るのは悲鳴だ。何者かが、施設内で暴れているらしい。バタバタと走り去っていく足音も聞こえる。
「あれ、ベオウルフの声だぞ……」
唖然となり呟いたのはジョーだ。他の者たちも、何が起きているのかわからず混乱している。
その間にも、ベオウルフの乱行は続いていた。喚き声は、どんどん近づいて来ている。そして、悲鳴や逃げ去る足音は小さくなっていった。
「どうやら、そのベオウルフ殿は我々のためにお膳立てをしてくれたようですな」
モリアーティの言葉に、皆はようやくベオウルフの目的を理解した。彼は、他の信者たちを全て追い払ってくれたのだ。
そして、現れたのは……予想通りベオウルフであった。普段と同じく、粗末な皮の服を着たスタイルだ。大剣を肩に担ぎ、悠然とした態度で進んできた。
身構えるシレーヌらに向かい、涼しい表情で口を開く。
「ちょっと来てくれ。ここは人目につきやすいのでな。お前らに相応しい場所を用意してある」
そう言うと、ベオウルフは歩き出した。シレーヌたちは、思わず顔を見合わせる。
「どうするのん?」
尋ねたのはジャックだが、ジョーが即座に答える。
「英雄がこう言ってるんだ。せっかくの申し出、受けようじゃねえか」
そう言うと、ベオウルフに続き歩き出す。こうなると、シレーヌたちも付いて行くしかなかった。
やがて、ベオウルフは施設の最上階へと辿り着いた。何もない殺風景な部屋だが、広さはかなりのものだ。
続いて彼は、壁に設置してあるレバーを引く。すると、分厚い鉄板が上から降りてきて、階段を塞ぐ。
「何だこいつは?」
尋ねたジョーに、ベオウルフが答える。
「いざという時のための仕掛けだ。これで、誰も上がってこれなくなった。ここなら、思う存分に殺り合えるぞ。終わったら、そこの扉を開けろ。地下に通じる隠し階段がある。ゾンダーら一部の者しか知らない」
そう言うと、反対側にある扉を指さした。
「へえ、凝った造りだね。お膳立て、ありがとさん」
軽い口調で言うと、芝居がかった態度で頭を下げるジョー。だが、次の瞬間に空気は一変する。
ベオウルフの表情が変わったのだ。先ほどとは、醸し出している空気がまるで違う。どうやら、戦闘モードに入ったらしい。
シレーヌたちの顔つきも変わる。
「確かに強そうなのん。でも、僕たちが一斉にかかれば終わりなのんな」
ジャックがナイフを振りつつ言った時だった。不意にジョーが前に進み出る。同時に、ジャックを手で制した。
「いや、待ってくれ。こいつは、俺にやらせてくれ」




