巨鬼無用(7)
翌日、『希望の家』の施設内はちょっとした騒ぎになっていた。
「面倒なことになったな。あのバカ女は、何を言い出すかわからんぞ」
「本当だな。まず、皆でゴマすって御機嫌を損ねないようにしよう。何を言われようがヘラヘラ笑い、どうにかやり過ごすしかない」
「そうだな。あれは狂犬だ。まともに相手にしてたら、こっちの身が持たんぞ」
信者たちは、苦い表情で語り合う。
話題に上がっていたバカ女とは、シレーヌのことである。明日、教団内を見学させてもらいたい。できれば、教祖であるゾンターとも話がしたい……との申し入れをしてきたのだ。
少しばかり急な話ではあるが、それはまだいい。問題なのは、シレーヌが何をしでかすかわからないことだ。
三ヶ月ほど前、とある貴族のパーティーに招かれたシレーヌは、飾られている美術品の数々を鼻で笑い、こんなことを言ったのだ。
「価値があるという評論家連中の言葉を鵜呑みにし、金にものを言わせ買い込んだという感じですわね。俗物の匂いがプンプンしますわ。そろそろ、その目玉をえぐり出して新しいものと交換なさってはいかがです?」
こんなことを面と向かって言ってくる性格に加え、王妃の義理の妹という後ろ盾もある。万一、関係者とトラブルになり、それが王妃の耳に入る……それだけは避けなくてはならなかった。断るという選択肢もあったが、そちらの方がダメージは大きい。
結局、避けようのない天災として、その日一日をやり過ごすことにしたのだ。
教祖であるゾンダーはというと、自ら指揮をとり施設内の清掃や模様替えに励んでいた。さらに、信者の中でもよりすぐりの美少年や美青年に、シレーヌを接待させるつもりだ。
何事もなく終われば万々歳だが、上手くいけばシレーヌが教団の活動に興味を持ってくれるかもしれない。その時は、きっちりと利用させてもらおう。ゾンダーは頭の中で計算をめぐらせつつ、施設内を動き回っていた。
その慌ただしさゆえ、教団と無関係な人間も紛れ込んでいたのだが、信者たちは気づいていなかった。
ベオウルフはというと、この騒ぎを完全に無視し外で剣を振っていた。
やがて夜になり、ゾンダーは主だった幹部らと食事をとりつつ、明日の最終調整へと入っていた。
「いいか、これをピンチと思っては駄目だ。むしろ、チャンスと捉えるべきだ。ここでシレーヌから好印象を得れば、今後において大きなプラスになる」
ゾンダーは、得意げな顔で持論を語っている。その時だった。
「よう、皆さん。こないだ、ある人からあんたたちへの伝言を頼まれちまったんだよ。ちょっと黙って聞いてくれ」
そんなことを言いながら、ズカズカ入ってきたのはインジャン・ジョーだ。マントを羽織り、フードを目深に被ったスタイルのため、顔は見えていない。
それでも、信者でないことは一目でわかったようだ。用心棒役の信者が、すぐさま立ち上がる。
「ここは、お前のような者の来る場所ではない! さっさと失せろ!」
「そういう訳にもいかないんだよ。まずは伝言からだ。チュールって瓦版屋が、あの世で待ってるぜ……だとさ。意味わかるか?」
放たれたジョーのセリフに、一同の顔つきが変わる。どうやら、ここにいる者は事情を知っているらしい。
ならば、後は簡単だ。ひとり残らず全滅させるだけである。
「そして、もうひとつ用事がある。チュールを殺した奴を仕留めろ、という依頼が来た。今の反応を見るに、お前ら全くの無関係というわけではなさそうだな。だったら、全員死んでもらうぜ」
直後、ジョーは疾風のごとき速さで襲いかかった──
ジョーの投げたトマホークが、ひとりの信者の喉元に突き刺さる。一番最初に立ち上がり、出ていけと叫んだ者だ。おそらく、有事の際は真っ先に飛び込んでいくタイプなのだろう。単細胞という見方もあるが、怖いのは勢いだ。
集団を相手にした場合、下手に勢いづかせると面倒なことになる。ならば、先手攻撃で威勢のいい者を仕留める。これが、集団を相手にした時のジョーなりのセオリーである。
彼のセオリーは、この場面でも力を発揮した。他の者たちは、接近してくるジョーに為す術がない。警備担当と思われる信者は、次々と倒されていく。
「な、なんだ貴様らは!?」
喚いたのはゾンダーだが、これはお話にもならないミスだった。彼らが何者かと問うている暇があったら、さっさと逃げるべきだった。時間にすれば僅かな差ではある。しかし戦場では、その「僅か」なものが明暗を分ける。
「何者って、君を殺しに来た者に決まってるのんな。あんた相当なアホ。あの世でチュールによろしく伝えるっチャ」
そんなことを言いながら、ゾンダーの延髄に短刀を突き刺したのはジャックだ。
ゾンダーは、ジャックの言葉に何も返せぬまま倒れた。途端に、場の空気が変わる。
「そ、そんなバカな。我らの尊師が、死ぬはずがない……」
ひとりの信者が、そんなことを呟き呆然となっている。他の者たちも同じだ。今、腕利きの殺し屋ふたりの襲撃を受けているにもかかわらず、視線は死体となったゾンダーに向けられている。糸の切れた操り人形のようだ。
哀れな話ではあるが、ジョーとジャックは感情を動かされたりはしなかった。そのペースは、変わることはない。ただ、全滅までの最善手を打っていくだけだ。
その頃、地下へと向かう階段を降りていく者たちがいた。シレーヌとモリアーティとボルトだ。ランプ片手に、闇の中を慎重に進んでいく。
「モリアーティ、グレンデはどの程度の強さですか?」
尋ねたシレーヌに、モリアーティは渋い表情て答える。
「様々な伝承や物語を調べてみましたが、作者によって解釈がバラバラなのですよ。作家という人種は、読む者を楽しませるために話を盛る傾向がありますからな。さらに、有名になるため独自色を出す者も少なくありません」
「困ったものですね。あまりにも酷い嘘を書いた作家には、頭蓋骨に穴を空ける法律でもできればいいのに」
真面目な顔で恐ろしいセリフを吐いたシレーヌに、モリアーティは苦笑した。だが、そこで先頭を歩いていたボルトが立ち止まる。
「近いですよ。妙な匂いもしますし、微かではありますが音も聞こえます。不意打ちを食らわぬよう、気をつけて行きましょう」
シレーヌは頷き、レイピアを抜いた。モリアーティも拳銃を取り出すと、点検しつつ口を開く。
「グレンデルの伝承ですが、共通点がふたつあります。人間の頭をねじ切る怪力と、皮膚が硬く普通の剣では傷つけられないこと。もうひとつは、光を怖がっており、強い光を浴びると弱体化することです。この地下の暗さから判断するに、光が弱点なのは間違いないでしょう」
その時、恐ろしい唸り声が響き渡る。もちろん人間の声ではないが、獣のそれとも異なる。
さらに、階段を上がるような足音。こちらも、ドスッドスッという異様な音だ。
「どうやら、向こうから来てくれるようですね。おふたりは、いざとなったら撤退しジョーさんとジャックさんを連れてきてください」
そう言うと、ボルトは拳を構える。伝説の人食い鬼に、素手で立ち向かうつもりなのだ。
「いえ、撤退の時は三人同時です。あなたひとりを置いて、おめおめと逃げるなどできません」
ムッとした表情で言ったシレーヌだったが、ボルトは静かな口調で返していく。
「おそらく、グレンデルの走る速度は人間よりも上です。我々三人が背中を向けて逃げれば、グレンデルは後ろから一撃で撲殺するでしょう。お嬢様かモリアーティさんのいずれかが死ぬでしょう。もしくは両方が死ぬ可能性もあります」
「となると、まずはボルトさんが初手を止める。この選択肢が、もっともダメージを小さくできるわけですな」
最後に締めたのはモリアーティだぅた。そこで三人は口を閉じ、鋭い表情で下から上がってくる者を待ち受ける。




