巨鬼無用(4)
「はんはんはーん、はんはんはーんと……あれ?」
後ろから聞こえていたジャックの鼻歌が、不意に止まった。何事かと、シレーヌは辺りを見回す。途端に、拳をグッと握りしめていた。
入口のところには、憲兵のモンドが来ていた。入る許可をもらおうとしているのだろうか。
もっとも、彼の前に立っているのはミンチン学園長である。声こそ聞こえないが、醜い表情で口を動かしているのはわかった。おそらくは「ここは、あなたのような身分の卑しい人間の入れる場所ではありませんのよ!」などといった罵詈雑言を浴びせかけているのだろう。
その間にいるのはセーラだ。ひょっとしたら、彼女も巻き添えになっているのかもしれない。
どちらにしても、見ているだけで暴れだしたくなる光景だ。
「どうするのん?」
聞いたジャックに、シレーヌは振り向かぬまま答える。
「本当に、あの女は存在自体が害悪ですわ」
直後、大股でつかつかと進んでいく。ジャックはというと、一定の距離を保ちつつ、素知らぬ顔でついていく。
近づくにつれ、声も聞こえてきた。さらに、状況も飲み込めてきた。
「いえ、ですから私は、こちらのお嬢さんに言伝を頼もうとしただけです。その際、たまたま敷地内に少し足が入ってしまっただけなんですよ」
「ふざけないで! たとえ一歩でも無断で足を踏み入れたなら、立派な不法侵入ですわ! だいたい、何の用件ですの!?」
「いえ、言伝を頼むだけですから、あなたはどの人の耳にわざわざ入れる必要はないかと判断しまして……」
「あなた、わたくしをバカにしているの!? なぜ、こんな下働き風情に言えることが、学園長であるわたくしに言えないのですか!?」
怒鳴り続けるミンチンに、さすがのモンドもお手上げという表情である。だが、そこでシレーヌが登場した。
「あら、憲兵のモンドさんではありませんか。この前は、どうもありがとうございました」
丁寧な口調で語りかけるシレーヌに、モンドも笑みを浮かべてペコペコ頭を下げ出した。
「あ! これはこれはシレーヌ様! いつもお世話になっております!」
そんなふたりに、ミンチンは何も言えなくなっていた。ここで会話の邪魔をすれば、後で何てくるかわからないからだ。
一方、セーラはシレーヌよりも、彼女の近くをウロウロしている少年に目が釘付けになっていた。そう、セーラの頭の中では、ジャックは変態伯爵グラヴェールに売り飛ばされた哀れな美少年……のはずだった。
しかし、ここではノホホンとした態度でふたりの会話を聞いているのだ。シレーヌを恨む様子はみじんもない。変態に何かされたような雰囲気もない。
その時、セーラは思い出した。グラヴェールが、無様な死体となって広場に放置されていたことを──
まさか、この人が殺した?
いや、そんなこと有り得ない。
殺すだけなら、ひとりでもできる。でも、死体を広場まで運ぶのは無理だよ。
セーラがそんなことを考えている時、モンドはさりげなくシレーヌに接近していた。
「ちょっと話がある。チュール絡みだ。ミンチンだけは追い払ってくれ」
その瞬間、シレーヌはミンチンを睨みつけた。
「で? ミンチン先生は何の用件でここにいますの? 街の平和を守る憲兵さんに罵詈雑言を浴びせるためだけに、ここにきたのですか? 学園長とは、随分と暇な仕事なのですね。この子でも務まりそうですね」
言いながら、シレーヌが指差したのは……なんとジャックであった。
途端に、ミンチンの頬が赤く染まる。この女の美少年好きは、業界では有名だ。かつては、生徒にも手を出していたらしい。
「あ、あ、あの……き、君ほどこのクラスだったかしら?」
ミンチンは、先ほどまでの態度が嘘のように、笑顔でジャックに話しかけている。だが、恋する乙女のように声が上ずっていた。
「さあ、行くわよ」
耳元で囁くと、シレーヌはモンドと共に校庭の隅に行った。大木が生えており、ここなら人に見られない。仮に見られたところで「モンドの奴、シレーヌに小遣いでもせびっているのか」くらいにしか思われないだろう。
「まずひとつ。チュールは、宗教団体『希望の家』を調べていた。これは間違いない。おそらく、チュールを殺ったのは希望の家が独自に飼ってる私兵だよ」
「宗教団体か……ちょっと厄介ね」
「あと、もうひとつ大事な話がある。これだ」
そう言って、モンドが懐から取り出したのは、五枚の金貨であった。
途端に、シレーヌが不機嫌そうな表情になる。
「何これ? どういうこと?」
「実はな、チュールの奴はこうなることを予想してたみたいなんだよ。で、死ぬ前に両親にこの金を渡した。俺が死んだら、闇の処刑人に依頼してくれ……ってな」
「あなたは、ふざけているのですか? 仕事の最中、頭でも打ちましたか?」
シレーヌの鋭い口調に、モンドの表情も変わる。
「いや、ふざけちゃいねえよ。俺は真面目だ」
「では、このお金は返却すべきです。息子を失い、嘆き悲しむ両親からお金までむしり取る気ですか?」
その時、モンドは溜息を吐いた。
「頼む。ちょっとだけ黙って、俺の話を聞いてくれ。お嬢さんのあんたにゃわからんだろうが、一般人で金貨五枚を貯めるのは大変なんだよ」
途端に、シレーヌの目がスッと細くなった。
「何を仰っしゃりたいの? その舌、引き抜いてさしあげましょうか?」
凄みのある声だが、モンドは引かなかった。
「まあ待ってくれ。一般人が金貨五枚を貯めて、人を殺してくれと頼む……そこには、必死の思いがある。血と汗と涙と時間を費やして貯めた金で、死んだ者と生きている者の恨みを晴らしてくれ……この金を受け取るってことは、依頼人の思いも背負うことなんだよ」
そこでモンドは、顔を上げシレーヌを見つめた。
「そんなの、わたくしは知りませんってわけか? わたくしは金持ちだから、貧乏人から金など受け取りません……そんな気持ちで、この稼業をやっているのか? しょせん、金持ちの道楽か?」
「違います!」
叫んだシレーヌの声は震えていた。瞳は、少し濡れている。
モンドは、再び目を逸らした。
「あんたは凄いよ。その若さで、何もかもがバラバラな連中を仕切ってる。俺にはできない芸当だ。お世辞でも何でもなく、本気で尊敬してるよ。だがな、ひとつだけ忘れないでくれ。弱者に対する、弱者の思いやりをな」
言われたシレーヌは、無言のまま下を向いていた。
やがて、頭を下げ口を開く。
「ごめんなさい。わたくしが間違っていました。このお金は受け取ります。受け取った以上は、相手が何者であろうとも、この世から滅します」
「おいおい、そんなに素直に謝られると困るな。いつも通り、相手をボロカスに言って追い払うあんたでいてくれよ」
そこで、モンドはニヤリと笑った。シレーヌも笑みを浮かべる。
「だったら、早く仕事に戻りなさい。でないと、昼行灯だの木っ端役人だのと言われますよ」
◆◆◆
同じ頃、宗教団体『希望の家』の施設内では、異様な空気が漂っていた。
「ベオウルフくん、先日、私が何を命令したか覚えているかな?」
ニコニコしながら、ベオウルフに尋ねたのは『希望の家』の代表者であるゾンダーである。年齢は四十代、身長はやや高めでスラリとした体型だ。顔立ちは整っており、いつもにこやかな表情で信者たちに挨拶している。その見た目のせいか、信者以外からも人気はあった。
しかし、ベオウルフは知っていた。この男は、人の命を売り物としてしか見ていない。
「先日とは、いつのことだ?」
面倒くさそうに聞き返すと、周りの信者たちから怒りの視線が飛んできた。だが、ベオウルフは完全に無視している。
「君は、記憶力に問題があるようだね。では、順を追って説明しよう。私は、瓦版屋のチュールを殺せと命令した。君は了解した。覚えているよね?」
「ああ、何となく覚えている」
やる気ゼロの言葉に、ゾンダーの顔つきが強ばる。しかし、どうにか冷静さを保ち話を続ける。
「ところが、チュールを殺したのはグレンデルであって、君ではないそうだね? どういうことだい?」
「あんな男ひとりを殺すのに、俺が行くまでもないと判断した。だからグレンデルにやらせた。あいつも、久しぶりに外に出られて人を殺せたし、さらに食べることもできた。少しはスッキリしただろう」
のらりくらりとした態度に、ついにゾンダーの怒りが爆発した。
「いい加減にしろ! お陰で、ベルサーユの都は大騒ぎになっているのだぞ! あちこちで鬼の目撃情報が相次ぎ、軍隊が動くとの噂もあるんだ! この始末、どう責任を取るつもりだ!?」
「逆に聞きたいのだが、その始末の責任、どう俺に取らせるのだ? 言ってみてくれ」
あくまでマイペースなベオウルフに、さすがのゾンダーも何も言えなくなっていた。
すると、ベオウルフは立ち上がる。
「お前の話は、本当につまらん。それで、よく教団をまとめていけるな」




