巨鬼無用(1)
その時、シレーヌは不機嫌そうな表情で学園の廊下を歩いていた。
ハイドの襲撃により、精神的ショックを受け入院していたミンチン学園長。正直、そのままいなくなって欲しかったが……今朝から職務に復帰したのだ。
しかも、今は目の前でセーラをいたぶっている。人間は、一度恐ろしい体験をすると性格が変わることがある。だが、この女の性格は全く変わっていない。
「セーラ! あなたは本当に気が利かないわね! 周りを見るということができないの!?」
「す、すみません」
セーラは青い顔で謝っているが、ミンチンは謝った程度で許すような女ではない。むしろ、怒りの炎がさらに燃え上がるタイプだ。
「いつまでお嬢様の気分でいるの!? お前は、ここの下働きなのよ! それすら自覚できないの!?」
「してます!」
セーラは我慢できず、言い返してしまった。これはマズい展開である。ミンチンに、絶好の攻撃材料を与えてしまったのだ。
「はあ!? 自覚!? お前のどこに自覚があるのかしら!? それとも育ちが悪すぎて、自覚という言葉すら習っていなかったのかしら!?」
聞いているセーラの体は震えており、今にも泣き出しそうだ。
シレーヌは、もう我慢できなくなった。カバンに入っていた小型ナイフを取り出す。ナイフといっても、日常生活の中で使うような物だ。
そのナイフを、いきなり投げつける──
ナイフは、ミンチンの顔スレスレのところを飛んでいき壁に刺さる。次いで、シレーヌが近づいていった。
「あっ、ごめんあそばせ。ちょっと手が滑ってしまいました」
冷めた表情でそんなことを言いながら、ふたりの間に割って入る。
いくら相手が王妃の妹といえど、さすがにナイフを投げられてはミンチンも黙っていられなかった。
「シレーヌさん! 当たったらどうするのです!?」
「当たってないですよね。なら、よろしいのではないかしら」
有無を言わさぬ口調で言うと、シレーヌはセーラを睨みつける。
「朝からあなたの顔を見たら、気分が悪くなったわ。だから、ちょっとこっちに来なさい。わたくしの気分を良くしてもらうわ」
そんな訳のわからないことを言うと、セーラをその場から連れ出したのだ。
「クソ、シレーヌの奴……いつか、思い知らせてやるわ」
毒づいたミンチン。一方、セーラはキョトンとなっていた。気分を良くしてもらう、などと言われても、何をすればいいのかわからない。手を引かれるまま、シレーヌについて行った。
セーラを校庭に連れ出すと、シレーヌはプイッと横を向いた。
「気が変わったわ。もう、あなたなんかに用はありません。さっさと仕事に戻りなさい」
そんなことを言った時だった。校庭の片隅に、見知らぬ男がいるのを発見する。頭に黒い布を巻いており、メガネともアイマスクともつかないものをかけている。そのため、顔の判別ができない状態だ。その上、中肉中背の体を黒いマントに包んでいる。年齢の判別は難しいが、おそらく二十代から三十代だろう。
こんな奇妙な格好をした男が、学園の関係者であるはずがない。いや、それ以前に……この男からは危険な匂いがする。身のこなしや佇まいが、常人とは違う。
ジャックほどではないにしろ、シレーヌも危険人物を見分ける目は持っている。あの男、おそらく裏社会の人間だ。
しかも、その裏社会の人間が手招きをしているのだ。
無視するか? という思いが頭を掠めた。だが、向こうはわざわざ学園まで来たのだ。放っておいたら、屋敷に乗り込んでくるかも知れない。シレーヌは、周りに気を配りつつ男との距離を詰めていった。
両者の距離が二メートルほどになった時、男は大げさな仕草でお辞儀をした。
「はじめまして。私は……シャルルという者です。最近、この辺で商売をするようになりましてね。一応、挨拶をしておこうかと」
シレーヌの眉間に皺が寄る。裏社会、商売、そして挨拶とくれば……このシャルルという男、こちらの正体をつかんでいるということだ。
「はて、商売ですか? わたくし、商売などしておりませんよ。まだ学生の身分ですし」
そう答えたシレーヌに、シャルルはクスリと笑った。
「そうですか。ではまあ、そういうことにしておきましょう。ただね、闇の処刑人と名乗る連中が最近派手にやってるようなんですよ。腕の立つ連中を揃えているのでしょうな。手口は鮮やか、お見事としか言いようがないですね」
「闇の処刑人? そんなもの、わたくしは知りませんわ。どうせ、三流の売文屋が考えたものではないかしら?」
「そうかもしれません。しかしね、私は彼らのファンなんですよ。そして、このベルサーユには危険な連中がうようよいますからね。処刑人の派手な活躍を妬む奴は、かなりの数いるようです。さらには、彼らを殺して名前をあげよう、なんて物騒な連中も出てくる可能性があります。闇の処刑人には、してもらわねばならないことがたくさんあるんですよ。だから、早死にはして欲しくないですね……あ、処刑人が本当にいれば、の話ですがね」
敵ではなさそうだが、味方とも言い切れない。この男の目的が見えてこないのだ。それに、このまま無意味な会話を続けることもできない。誰かに見られたら困る。
「その闇の処刑人は、あなたに応援されても迷惑じゃないかしらねえ。それに、この学園は関係者以外立入禁止よ。さっさと出ていかないと、学園の警備員を呼ぶわ。そうしたら、面倒なことになるのじゃなくて?」
「つれないですな。噂通りの御方だ。では、引き上げるとしますが……最後に、もうひとつだけ。さっきは学園長に逆らって、あの娘を助けていましたね」
言いながら、シャルルが指差したのはセーラだ。水の入ったバケツを両手で持ち、辛そうに歩いている。彼女は体も大きくないし、力も弱い。水を運ぶだけでも大変なのだろう。
「助けた? バカなことを言わないでくださいます? わたくしは、あんな者がどうなろうと知ったことではありません。ただ、ミンチン学園長の怒鳴り声を聞いていたら不愉快になっただけ。わたくしの精神衛生のため、あの下働きを連れ出したのです」
すました顔で言ったシレーヌ。すると、シャルルは下を向いた。
「あの少女は、いつもあんなことを言われているのですか?」
「さあ、どうでしょうね。わたくしも、あんな者に構っているほど暇ではないのです。気になるなら、ご自分で調べたらどうです? では、失礼」
そう言うと、シレーヌは背中を向け立ち去ろうとする。だが、いくらも歩かぬうちに足を止めた。
「そうそう、ひとつ教えてさしあげます。あの子の名前はセーラです。先日、学園にてセーラを毒牙にかけようとした変態がいました。ところが、その変態は中央広場にて死体で発見されました。セーラに妙な真似をしたら、あなたも同じ目に遭うかもしれなくてよ」
鋭い口調で言い放ち、その場を離れていく。すると、ジャックが姿を現す。物陰に隠れ、ふたりのやり取りを聞いていたのだ。
「ジャック、今の奴をどう思う?」
「うーん、よくわかんないけど敵ではないと思うのんな。ただ、ちょっと嫌な感じがするのん。あれは、根がクソ真面目だっチャ」
「どういうこと?」
「いや、クソ真面目な奴って、悩んだ挙げ句にとんでもないことやらかすのがいるのんな。あいつも、そのタイプだと思うのん」
◆◆◆
その夜──
瓦版屋のチュールは、仕事場にてひとりで作業をしていた。既に夜はふけ、大半の人間は眠っている時間帯だ。にもかかわらず、彼はひとりで忙しなく
動いている。
なぜなら、チュールにとって一世一代のネタが入ったのだ。明日中には完成させ、配らなくてはならない。
今のチュールは作業に没頭しており、神経をそちらに集中させている。そのため、間近に迫る危機を察知することができなかった。
その時、仕事場のドアが飛んでいった。鉄製の頑丈なドアが、板切れのように吹っ飛んでいったのである。
次いで、室内に入ってきたものは……怪物、としか言いようのない生物であった。体つきは人間に近いが、ヒグマほどの身長があり、顔は牙が剥き出しで体毛は濃い。腕は異常に長いが、足は短くゴリラのような体型である。
チュールは、恐怖のあまりその場に立ちすくんでいた。だが、怪物の方は躊躇がない。手を伸ばし、チュールの頭をつかむ。
次の瞬間、チュールの首は引きちぎられた。




