悪女無用(8)
闇夜の中、睨み合う両陣営……だが、そこに場違いな声が響き渡る──
「ヒャッハー! 天使の顔を持つ突き刺し魔、砲丸の美少年ジャック参上!」
ふざけた名乗りと共に、屋根から登場したのは、言うまでもなくジャックだ。ジョーのすぐ横に飛び降りると、すぐさま黒衣の男を襲う。
そう、ジャックは掘っ立て小屋の屋根に、ずっと潜んでいたのである。ジョーもまた、これを計算に入れて掘っ立て小屋へと近づいていったのだ。
さすがのコンビクト族も、この展開は予想していなかった。反応できず、動きが止まる。
ジャックはくるりと前転しつつ接近し、手近にいた敵の太ももに短剣を突き刺した。
途端に、大量の血がほとばしる。ジャックの一撃は、動脈を切り裂いたのだ。
残る三人は、すぐさま反撃しようとする。しかし、その態勢が整わぬうちに、ジョーとジャックが間合いを詰めていく。この隙を逃すふたりではない。
コンビクト族の男たちは、次々と倒れていった──
しかし、スケードとカークスに怯む気配はない。今度は、スケードの山高帽がジョーを襲う。かろうじて逃れたものの、飛び道具相手ではうかつに飛び込めない。
一方、カークスはなおもシレーヌを狙っている。肉食動物のように、金属製の牙で噛みつきを狙っている。シレーヌも左右に躱しつつレイピアの一撃を叩き込んでいくが、止まる気配はない。
その時、大きな声が轟いた。
「遅れてすみません! 少々、道が混んでいたもので!」
直後、巨体に似合わぬスピードで走ってきたのはボルトだ。傷だらけの顔面を黒い布で覆ってはいるが、その肉体から感じられる迫力は消えていない。
さすがのスケードも、これは勝てないと踏んだらしい。すぐさまクリムヒルドに叫ぶ。
「お逃げください! もう我らの負けです!」
しかし、クリムヒルドはヒステリックに叫んだ。
「逃げるですって!? お前たちは殺しのプロじゃなかったの!? さっさと始末しなさい!」
戦況が全くわかっていない。このとんでもない言葉に、スケードは表情を歪め言い返そうとした。
しかし、そこで銃声が轟く。弾丸が心臓を貫き、スケードは口を開けたまま己の胸を見た。
直後、バタリと倒れた──
「あなたは、仕える相手を誤りましたな」
呟いたのはモリアーティであった。冷たい目で、スケードを見下ろしている。
カークスは、シレーヌへと突進していった。だが、そこに立ちふさがった者がいる。
「あなたの相手に相応しいのは、私でしょうな」
低い声で言ったのはボルトだ。しかし、カークスはお構いなしである。口を開け、噛みつきを狙う。
しかし、ボルトの一撃が放たれた。強烈なパンチに、カークスの巨体は後方へと吹っ飛んでいく。カークスも大きいのだが、軽々と飛んでいったのだ。
カークスは立ち上がったが、その表情は変わっている。こんな威力のパンチをくらったことがなかったのだろう。こいつ強いぞ! とでも言いたげだ。
それでも、カークスの戦意は消えていなかった。再び突進し、噛みつきを狙う。しかし、またしてもパンチ一発で吹っ飛ばされていった。
カークスはすぐに立ち上がったが、今度は違う表情が浮かんでいる。なぜだ? という疑問の顔つきだ。
すると、ボルトがクスリと笑った。余裕の表情である。お前に負けることは有り得ない、とでも言いたげだ。
その表情が、カークスを怒らせたらしい。恐ろしい形相でボルトへと突進する。金属製の牙が、ボルトを襲った。
しかし、先に当たったのはボルトのパンチであった。カークスは吹っ飛ばされ、ゼーレ川へと落ちる。
直後、川底に沈んでいってしまった。
「あなたは噛みつきに頼りすぎでした。噛みつきより、パンチの方が先に当たる……子供でもわかる理屈ですよ」
ゼーレ川を見下ろし、ボルトが憐れむような顔つきで言った。
「嘘……何よこれ? こんなこと、あるはずがない」
クリムヒルドは、表情の消えた顔で呟いた。今、目の前で何が起きているのか、まだ把握できておらず思考が追いついていないのだ。
クリムヒルドには、ホワイト家という後ろ盾に加え、コンビクト族という腕の立つ私兵もいる。国王でもない限り、自分を止められる者はいないだろう……そう思っていたのだ。
ところが、今になって現実を知ってしまった。彼女は、しょせん悪女レベルである。しかし、今回相手にしてしまったのは、裏の世界に潜む本物の極悪令嬢だったのだ。
半ば本能的に、後ずさりをするクリムヒルド。だが、その首に腕が巻き付く。そのままバックチョークで絞め落とされてしまった。
さらに、シレーヌは丸薬を飲ませる。クリムヒルドは、深い眠りについてしまった。
翌日、クリムヒルドが目を覚ましたのは、憲兵の詰め所である。留置場のような施設も併設されていた。
当然、クリムヒルドは烈火のごとく怒った。
「わたくしを誰だと思っているのです!? さっさと出しなさい!」
「ところが、そうはいかないのですよね」
答えたのはモンドだ。いつもの適当男な雰囲気は、完全に消えている。
クリムヒルドは、ドンと鉄格子を蹴飛ばした。令嬢にあるまじき振る舞いである。
「どういうことです!? わたくしが罪を犯したとでもいいたいのですか!?」
「ええ、そうなんですよ。実は、あなたのそばには死体がありました。それも六人です。いかに貴族といえど、こうなると揉み消しも難しいですよ」
「六人?」
クリムヒルドは愕然となった。その六人の死体は何者だろう。
だが、そこで昨日の記憶が蘇る──
「あれをやったのはシレーヌ・ロランです! わたくしが証言します! いかに王妃の妹君とはいえ、これでは言い逃れできませんわ!」
自信満々に言い放ったクリムヒルドだったが、続いてのモンドの言葉に顔が青ざめる。
「そうもいかんのです。被害者は、妙な毒薬を飲まされていたんですよ。調べたところ、悪魔の足という珍しいものです。これが、気絶しているあなたのそばで発見された……これは、どう考えてもあなたが怪しいですよね」
「わ、わたくしがそんなことするはずないでしょう! だいたい、貴族のわたくしが、なぜそんなバカなことをしなくてはならないのですか!?」
なおも言い返すクリムヒルドだったが、次の言葉がトドメとなった。
「それがですね、ホワイト家の奥方であるヘレン・ホワイトさんが、あなたに悪魔の足を飲まされ死にかけた……と、証言しております」
それから一週間後。
ヘレンは、ロラン家の屋敷で洗い物をしていた。そこに、モリアーティが現れる。
「もう、元気になられたようですな」
「ええ、お陰様で」
「それは良かった。ところで、念のために確認すべきことがあります。もし、我々のやったことを然るべき筋に教えた場合、あなたの命はありません。これは、脅しではありませんよ」
冷たい口調だった。しかし、ヘレンは怯まなかった。真っ直ぐにモリアーティの目を見つめる。
次の瞬間、とんでもない言葉が飛び出た。
「わたくしを仲間にすれば、その心配もないのではありませんか?」
これには、さすがのモリアーティも返す言葉が出ない。一方、ヘレンは止まらなかった。
「わたくしを、ここに置いてはいただけませんが? 何でもします。人を殺せというなら、殺します」
その表情は真剣そのものであった。さらに、ある感情も読み取れる。モリアーティが、久しく見ていなかった感情だ。
モリアーティは、すっと目を逸らした。
「駄目です。あなたは、ここを離れなさい。でなければ、力ずくでも追い出します」
「そんな……なぜですか!?」
「あなたは、何もわかっていない。我々は、どんなに言い繕ったところで、悪人であり人殺しです。我々の未来にあるのは闇と虚無です。何も見えず、何もつかめない場所。最期は、そんな穴の底で朽ちていくだけです。そんなところに、あなたを引き込むことはできません」
その重々しい言葉に、ヘレンは後ずさる。彼女は、自分の考えが甘かったことを悟った。今になって、ようやくモリアーティらの背負うものの大きさを知ったのだ。
彼らの、血塗られた運命を──
少しの間を置き、ヘレンは口を開く。
「では、あなたはなぜそんなことをしているのですか?」
その声は震えていた。目には、涙が浮かんでいる。
対するモリアーティは、彼女の顔を見ることなく答える。
「この仕事は、誰かがやらねばならない……私は、そう信じているからです」




