悪女無用(6)
翌朝、シレーヌは登校した。
ミンチン学園長は、まだ入院中だ。そのためかどうかは不明だが、心なしか教師たちの顔も明るい。働いているセーラの表情も、普段よりは楽そうだ。
そんな中でも、シレーヌの態度は変わらない。廊下をずかずかと歩いていく。と、そんな彼女にそっと近づいてきた者がいる。
「シレーヌさん、ちょっとお話がありますの」
誰かと思えばクリムヒルドだ。こうして見ると、本当に可愛い顔である。世間慣れしていない若い男なら、一瞬で落ちてしまうだろう。
シレーヌはというと、ニコリともしなかった。冷たい表情で口を開く。
「何か用かしら? 用なら、早く済ませてくれない?」
つっけんどんな口調である。対するクリムヒルドは、悲しそうな表情になった……いや、悲しげな表情を作った。
「そんな冷たいことをおっしゃらないでくださいな。わたくし、あなたに耳寄りな情報を持ってきましたのよ」
聞いたシレーヌは、ジロリと睨みつけた。
クリムヒルドは、いったい何を考えているのだろうか。もしや、ヘレンが屋敷にいるのがバレたのか?
どんな話かは不明だが、耳を傾けてみるとしよう。
「どんな情報かしら?」
尋ねたシレーヌに、クリムヒルドは小声で囁く。
「インジャン・ジョーとは、どういうご関係ですの?」
その瞬間、シレーヌは笑いそうになった。
確かに、ジョーはまともな職に就いてはいない。犯罪を生業にしている、と見られても仕方ない男ではあった。
そんなゴロツキが、屋敷に出入りしている。しかも、ホワイト家の内情を聞きまわっていた。それだけのことで、こちらの弱みを握った気になっているらしい。
バカバカしい、その一言で一蹴し立ち去ろうと思った。だが、すんでのところで考えを変える。
「イザベル王妃の妹君が、街でも名うてのゴロツキと交友関係がある……これは、あまり知られて欲しくないことですわよねえ?」
クリムヒルドは、鼠をいたぶる猫のような態度でネチネチと攻めてくる。
シレーヌの方は、無言のままやり過ごしていた。しかし、頭の中では冷静に考えを巡らせている。おそらく、クリムヒルドはこの機に乗じて何か仕掛けてくるだろう。
その仕掛けを、逆に利用させてもらう。
「ところで……明日の夜、ホワイト家の別宅にてパーティーを開きますの。ゼーレ川のほとりにありますから、水面を眺めながらのお食事などどうです?」
「わかりました。そのご招待、お受けしますわ」
◆◆◆
ロラン家の屋敷では、ヘレンが忙しなく動き回っていた。朝食の支度に始まり、シレーヌが登校すると屋敷内の掃除だ。さほど大きくもない屋敷ではあるが、ひとりで掃除するとなると大変だ。しかし、彼女はものともしていない。
見かねたモリアーティが、そっと声をかける。
「ヘレン様、あなたは客人なのですよ。そんなに動かれては、我々が困ってしまいます」
「でも、何もしないでいては……」
「いいから、ここに座っていてください。それに、あまり屋敷の中をウロウロされると、見てはいけないものを見てしまうこともありますからな」
その言葉に、ヘレンはハッとなり動きを止める。
そう、彼らはヘレンとは違う。裏の世界に生きている者たちなのだ。いつかは、袂を分かつ日が来る。
そんなことを思った時だった。不意に、めまいが彼女を襲う。足元がふらつき、そのまま後ろに倒れる──
だが、そこでモリアーティが動いた。さっと近づき、ヘレンを抱きかかえる。
「あなたの体調は、万全には程遠い。何せ、昨日まで生死の境をさまよっていたのです。今、あなたのすべきことは家事ではありません。いずれ、この家を出て平穏な暮らしに戻る時のため、まずほ体調を整えることです」
モリアーティの口調は丁寧で優しかった。ヘレンは、頬を赤らめつつも頷く。
そこに現れたのはジャックだった。陽気に鼻歌を歌いながら、部屋に入ってくる。
「はんはんはーん、はんはんはーんと……あれ、僕なんかお邪魔みたいなのん? ごめんねモリアーティ」
そんなことを言ったかと思うと、さっと姿を消す。
ヘレンは、何を言っていたのかと困惑した。だが、直後に自分とモリアーティがどんな体勢にあるか思い至ったらしい。慌てて離れる。
一方、モリアーティは苦笑するばかりだった。
「ジャックさんは、普段は空気を読まない御方ですが……こういう時に限って、余計な気を回すところがあるのですよ」
そう言ったモリアーティに、ヘレンはそっと口を開く。
「ありがとうございます」
「いえいえ。家の中の事故というのは、存外多い。思ってもいなかったような事態をもたらすこともありますからな。充分にお気をつけください」
言ったかと思うと、すっとドアの方に目線を移す。
「ジャックさん、そこで盗み聞きをしている暇があるのでしたら、ヘレン様にお茶をお出ししてください」
その途端、ジャックがバツの悪そうな表情で顔を出す。
「あれ、バレてたのん? 今、お茶入れるのんな」
そんなことを言って、パッとキッチンに行く。すると、入れ替わるかのように現れたのはインジャン・ジョーだ。
「おい、外に変なのがウロウロしてるぜ。あれがコンビクト族じゃねえのか。とっ捕まえて、ボコって吐かせる。だからよ、拷問の準備頼むぜ」
拷問と聞いて、ヘレンの顔が青くなる。だが、モリアーティは冷静に答えた。
「いえ、今はまだやめておきましょう。お嬢様が帰ってから、皆で話し合い決めるのが無難です」
「なんでだよ? うっとおしくて仕方ねえよ。今も、外をうろうろしてやがんだぜ」
「今、下手に手を出しては命取りです。相手はただのチンピラではありません。ホワイト家は、今も絶大なる力を持っています。対する我々は、闇に生きる者であることを忘れてはなりません」
「そうだよな。わかった」
ジョーが答えた時だった。突然、ジャックの鼻歌が聞こえてきた。
「はんはんはーん、お嬢様のお帰りなのん。はんはんはーん、はんはんはーん」
やがて、シレーヌがリビングに入ってきた。その姿は、普段とはまるで違う。みすぼらしい町娘のような格好である。
「お嬢、そんな格好でどこに行ってたんだよ」
ジョーの問いに、シレーヌは苦笑した。
「いえね、尾行をまくのにちょっと手間取ってしまいました。それよりも……」
そんなことを言いつつ、シレーヌはヘレンの方をチラリと見る。
「今回の件、あなたにも協力してもらいます。いいですね?」
「きょ、協力!? どういうことですか!?」
思わず立ち上がって叫んだヘレンだったが、シレーヌのひと睨みであっさりと座り込む。
「黙って、わたくしの指示に従えばいいのです。嫌とは言わせませんよ」
「で、作戦はどうするのです?」
ボルトの問いに、シレーヌは静かな口調で答える。
「今日、わたくしはクリムヒルドからパーティーの招きを受けました」
「パーティーだと? 何だそりゃ?」
ジョーが尋ねたが、シレーヌはフウと溜息を吐きつつ答える。
「おそらく、わたくしに悪事の片棒を担がせようと思っているのでしょう。愚かな女です。でも、構いませんわ。そのパーティーで、クリムヒルドは地獄を見ることになります」
「ねえねえ、どうするのん!? どうするのん!? 刺していいのん!? 刺していいのん!?」
目を輝かせ聞いてきたジャックの頭を、シレーヌはポンポンと優しく叩いた。
「ちょっとおとなしくしていなさい。物事には順序というものがあります。急かす男は嫌われますよ」
そう言うと、シレーヌはニヤリと笑う。
「闇に染まるには、それ相応の覚悟が必要。パーティーの時、クリムヒルドにわたくしの覚悟を教えてさし上げましょう」




