悪女無用(4)
「どうされたのですか!?」
帰ってきたモリアーティに対し、ボルトは慌てた様子で尋ねた。
だが、それも当然だろう。モリアーティは今、今にも死にそうな女性を屋敷に運び入れたのだ。女性は死人のような顔色で、ぐったりしており呼吸も弱い。
モリアーティはというと、いつになく険しい表情で口を開く。
「ボルト、申し訳ないですが彼女を私の部屋まで運んでください。できるだけ静かにお願いします」
「わかりました」
ボルトは、軽々と彼女を担いで歩いていく。一方、モリアーティは真剣な表情で何やら呟きつつ後に続いた。
室内に入ると、ボルトはベッドに女性を寝かせた。モリアーティは傍らで、彼女の額に手を触れたり、手首の脈を計ったりしている。
やがて、棚からひとつの小瓶を取り出した。中には、黒い丸薬が入っている。
モリアーティは、その丸薬を女性の口に入れる。途端に、女性の顔が歪んだ。しかし、モリアーティは容赦しない。もう一粒の丸薬を指で砕き、水と共に無理やり流し込んだ。
「これを飲まないと、あなたは助からないのですよ! さあ、飲むのです!」
半ば怒鳴るような声だ。その上、額には汗が滲んでいる。普段は汗ひとつかかずに仕事を片付けるモリアーティにしては珍しい。
丸薬を飲み終えると、女性はぐったりとなる。そのまま、寝息を立て始めた。
「大丈夫なのですか?」
尋ねたボルトに、モリアーティは首を横に振る。
「わかりません。今日一日、持ちこたえることができたら助かります。しかし、その前に死んでしまう可能性もあります。正直、五分五分……といったところですね」
「そうですか。しかし、なぜ屋敷に運び入れたのです? もし何者かが我々の裏の顔に気づいたら、必ず口を塞がねばならない……それは、モリアーティさんがいつも言っていることですよ」
これまた、ボルトらしからぬ厳しい口調である。
「まず第一に、彼女はホワイト家の屋敷から出てきました。したがって、彼女はクリムヒルド嬢について何か知っているかもしれません。そして第二に……万一のことがあれば、私が彼女を殺します」
「わかりました。あなたがそう仰るなら、私はこれ以上何も言いません」
言った時だった。屋敷の扉が開く音が聞こえた。ボルトが玄関に向かうと、そこにいたのはインジャン・ジョーであった。体のあちこちに掠り傷を作っており、息は荒い。
「どうかしたのですか?」
尋ねたボルトに、ジョーは苦笑しつつ答える。
「どうもこうもねえよ。非人街に行ったら、コンビクト族とかいう連中の手荒い洗礼を受けたぜ。ありゃあ、とんでもねえ奴らだな」
「襲われたのですか?」
「そうだよ。それも三人がかりだぜ。まともにやり合ったら、勝ち目がねえから逃げてきたよ」
「そうでしたか……」
「本当、あのコンビクト族はヤバいな。特に、カークスとか呼ばれてた奴は恐ろしいよ。パワーはお前と同レベルで、しかも俺のトマホークを噛みつきで受けやがった。ただ、お前と違い頭は空っぽだからな。まだ付け入る隙はあったよ」
言いながら、ジョーは苦笑しつつしゃがみ込む。カークスという大男の強さを、改めて思い出していたのだ。
ボロボロのものとはいえ、掘っ立て小屋を一瞬で壊してしまう腕力に加え、あの金属の牙……まともに相手にするには、一対一でもキツい。
そんなことを思っていたジョーだったが、ボルトの言葉にハッと我に返った。
「実は今、ここにお客様が来ています」
「はあ!? 客ぅ!?」
慌てて立ち上がったジョーに、ボルトは頷いた。
「はい。モリアーティさんが連れてきました。何でも、ホワイト家の屋敷から逃げてきたとか。毒を飲まされており、今はモリアーティさんの部屋で眠っています」
「お前、なんで止めなかったんだ?」
鋭い語気でジョーは尋ねた。その顔は、怒りの感情が露わになっている。
それも仕方ないことだった。この屋敷に、客を招くことなどまずない。ましてや、客を泊めることなど、あってはならないのだ。
シレーヌ以下、この屋敷の住人たちは、全員が闇の処刑人である。逆に言うなら、処刑人でない者は、屋敷に住むことは許されない。部外者を泊めることもタブーとなっている。
そのルールを、よりによってモリアーティが破るとは……。
「モリアーティさんには、モリアーティさんなりの考えがあってのことと思います。それに、あの方は言っていました。万一の場合、私が彼女を殺します……と。モリアーティさんがそう言った以上、私には止める権利はありません」
ボルトは、冷静な口調で返していった。対するジョーは、口元に歪んだ笑みを浮かべる。
「そうかい、それが紳士のやり方か。だがな、お嬢はなんと言うかね」
「もし、お嬢様が殺せと言うなら、責任を取って私が彼女を殺します。もっとも、その前にモリアーティさんが始末してくれるでしょう」
やがて、シレーヌとジャックが学園から帰ってきた。ボルトとジョーは、これまでのいきさつを語る。
「そんな訳でよ、クリムヒルドがロクでもねえ極悪姫だってのははっきりしたよ。ただ、問題はモリアーティの部屋で寝てる女だ。お嬢、どうする?」
ジョーの問いに、シレーヌは表情ひとつ変えず答える。
「今のところは生かしておきましょう。ホワイト家の情報が聞けるかもしれないしね」
次の日の朝、女は無事に目を覚ました。
「あの、ここは……」
尋ねる女に、モリアーティは微笑んだ。
「助かったのですね。本当に良かった。もう少し薬の投与が遅かったら、あなたは今ごろ天国の住人となっていたことでしょう」
その言葉に、女はきょとんとした表情になり周りを見回した。
次の瞬間、安心した顔つきになる。
「ここは、ホワイト家の屋敷ではないのですね。良かった……」
心底からホッとしている様子であった。そんな彼女に、モリアーティは落ち着いた口調で尋ねる。
「私の名はモリアーティ、こちらで執事の真似事などしております。失礼ですが、あなたのお名前は?」
「わ、私は……」
それきり、女は口ごもった。何やら、言いたくないことがあるらしい。
すると、モリアーティの表情が険しくなった。
「ひょっとして、あなたはヘレン・ホワイト様でないのですか?」
「えっ!? なぜそれを!?」
女は叫んだが、直後にあっという表情で口を塞いだ。図星だったらしい。
フッと笑みを浮かべたモリアーティは、優しい口調で語り出す。
「落ち着いて聞いてください。私の記憶が確かなら、ヘレン様はルードビッヒ・ホワイト公爵の奥方様です。そのあなたが昨日、寝間着のままホワイト家の屋敷より逃げ出してきました。しかも、猛毒『悪魔の足』を飲まされた形跡があります。ここから察するに、あなたは屋敷で命を狙われた……違いますか?」
その問いに、ヘレンは驚きのあまり手のひらで口を覆う。言いたいことはある、しかし、ここで言ってしまっていいのか……という葛藤が感じられた。
「屋敷で何があったのか、教えていただけませんか? 正直に教えていただけるのならば、私はあなたの味方として、全身全霊であなたを守ります。が……」
そこで、モリアーティの顔つきが変わる。優しい執事の仮面が剥がれ落ち、冷酷な処刑人の顔が現れた。
「私を信用できず、屋敷で何が起きたか語れないというのであるならば、今すぐここから出ていっていただきます。さあ、どうしますか? 決めるのは、あなたです」
モリアーティの言葉に、ヘレンは視線を落とす。彼女の中で、まだ葛藤が続いているようだった。
もっとも、モリアーティにはわかっていた。ヘレンは、必ず落ちる。ここで急かす必要はない。
少しの間を置き、ヘレンは顔をあげた。
「わかりました。何があったか、お話ししましょう」




