悪女無用(1)
ハイドとの死闘から、二日が経った。
事件の後始末は、憲兵のモンドが上手くやってくれた。「この事件は、ジキルという治癒魔道士の作った薬の副作用により起こった痛ましい事故である。ジキルは、薬の副作用により死亡した」と発表し事態を収拾する。
学園はというと、ハイド事件などなかったかのような状態である。ミンチン学園長がショックを受け入院している以外は、通常通りであった。
生徒たちは、いつもと変わらぬ様子で登校している。事件のことは噂になってはいるが、特に影響はないらしい。
可哀想なのはセーラであった。彼女は理由も知らずにさらわれ、恐ろしい思いをした。事実、彼女の腕や足には今も痣がついている。そう、セーラもれっきとした被害者のひとりなのである。
にもかかわらず、今日も朝から仕事をさせられているのだ。もっとも、口うるさいミンチンがいない分、少しは気が楽かもしれない。
そんな中、シレーヌも登校していた。彼女は、いつも通りとはいかなかった。普段なら、顔をあげて廊下の真ん中をズカズカ歩いていくのだが、今日はそうもいかなかった。ジキルを救えなかった……いや、人間として死なせてあげられなかったことが、まだ心に残っている。
しかし、そんな重苦しい空気をかき乱す者がいた。
「はんはんはーん、はんはんはーん」
校庭を歩いていた時、聴こえてきたのは陽気で狂気めいた鼻歌だ。音源はというと、言うまでもなくジャックである。シレーヌは、怒るより先に笑ってしまった。
「その趣味の悪い鼻歌、なんとかならないのかしら」
冷たい口調で言ったが、ジャックはこれしきで止まるような少年ではない。
「何言ってるのん。お嬢様も一緒に歌えば、男にゃモテるし偏頭痛も治る。沖のカモメも喜んで飛んでくるのんな。さあ御一緒に、はんはんはーん、はんはんはーん」
「そのおぞましい鼻歌をやめないと、次の仕事はひとり寂しく屋敷でお留守番よ」
途端に、鼻歌はピタリと止んだ。代わりに、哀れな声が聞こえてきた。
「そんなこと言わないで欲しいのん。僕はずっと人を刺さないでいると、蕁麻疹になっちゃうのんな……って、アレは何だっチャ?」
ジャックの言うアレとは、校庭の真ん中を歩いてくる少女だ。
その少女は、とても美しかった。雪のように白い肌と血のように赤い唇、漆黒の髪を持つ。着ているものは、白と赤を基調にした高級なロングドレスだ。そのドレスは、皆が羨むほどの美貌を一層際立たせている。
周囲には数人の生徒たちを連れており、にこやかな表情を浮かべ歩いていた。まるで、女王のようである。
「ああ、あれはね。転校生らしいわ。クリムヒルド・ホワイトという名の、いけ好かない女よ」
「お嬢様、アレはいけ好かないどころじゃないのん。アレ、何人も殺してる顔だっチャ」
真顔でそんなことを言ったジャックを、シレーヌは睨むような目で見つめる。
「それ、冗談だったら怒るわよ」
「冗談じゃないのん。あの女は、血の匂いプンプンさせてるっチャ。僕らと同類なのんな。いや、僕らよりタチ悪いかも」
ジャックは真剣な表情で言った。裏の仕事に臨む時と同じ表情である。つまり、冗談ではないということだ。
「まさか、同業?」
「いや、それは違うのん。奴は、僕らとは違うのんな。生かしといたら、ロクなことしないっチャ」
その言葉に、シレーヌは立ち止まった。クリムヒルドの様子を、じっと見つめる。
彼女は優しげな表情を浮かべ、女生徒らと語り合いながら歩いている。一見すると、童話に登場するお姫様のようであった。
だが、シレーヌは知っている。ジャックという少年、悪党を見抜く目と殺しの腕は確かだ。となると、裏の顔があるのか。
「ジャック、念のためクリムヒルドを見張ってちょうだい。学園にいる間だけでいいわ」
「僕、嫌なのん。僕の役目は、お嬢様をガードすることなのんな。あんな女、僕の好みじゃないっチャ」
露骨に嫌そうな顔で言ったジャックに、シレーヌはそっと近づいていく。
「お願いよ、ジャック。あなたにしか頼めない仕事なの」
言いながら、そっと頭を撫でる。途端に、ジャックの表情がだらしないものになった。
「もう、いけずぅなのん。そんなこと言われたら、やる気になるっチャ」
そんなことを言ったかと思うと、ジャックはそっと動き出した。クリムヒルドの後を付いて行く。
授業が終わり、生徒たちは帰途についた。クリムヒルドも、礼儀正しく皆に挨拶していく。
「皆さん、御機嫌よう」
そんなことを言いながら、外に出ていった。ジャックも、物陰に潜み後をつけていく。
しばらく歩いていくと、クリムヒルドの前に馬車が止まる。
綺麗な馬車だった。客車は白く塗りたてられ、ところどころに純金の金具が使われているのだ。特に目立つのは、客車の左右に付けられた金具である。ドラゴンを模したデザインであり、見事なものだ。
その上、大きな宝石があちこちに付けられている。この宝石ひとつの値段だけでも、憲兵の一月から二月分くらいの給料をはたかねばならないであろう。
馬車から降りてきたのは、ずんぐりとした体格の中年男であった。山高帽を被り、黒いスーツを着ている。目は細く、口ひげを生やしている。
中年男は、油断なく辺りを見回していた。だが、不意に帽子に手を伸ばす。
次の瞬間、ジャックの隠れている場所に投げつけた。ジャックは、咄嗟に体勢を低くする。
帽子は、レンガの塀に傷をつけ、持ち主の元に戻っていった。威力もさることながら、自動的に戻っていくのも凄い。魔法の品のようだ。
息を殺し身を隠しているジャックの耳に、声が聞こえてきた。
「スケード、どうかしたの?」
クリムヒルドのものだ。学園にいる時とはうって変わって、冷酷そのものである。これが本性なのであろう。
「はい、薄汚い鼠がうろちょろしていたようなので、少しばかり脅かしておきました。また来るようなら、今度は仕留めます」
「どうせ、どこかのバカ貴族が送り込んだゴミ鼠でしょう。気にすることなどないわ」
そう言うと、クリムヒルドは馬車に乗り込む。
直後、馬車は走り去っていった。
その後、ロラン家の地下室ではジャックの声が響き渡っていた。
「あいつら、すっげームカついたのん! 僕のこと、薄汚い鼠だのゴミ鼠だの言ってたのんな! 絶対に殺すっチャ! 百回くらい殺すのん!」
そんなことをいいながら、人間ほどもある藁人形に短剣をブスブス刺している。帽子を投げられたことよりも、鼠と言われたことに腹を立てているのだ。
「ふむ。そのような者を配下に置いているとなると、まともな貴族とは思えませんな。少し調べてみる必要がありそうですね」
モリアーティの言葉に、インジャン・ジョーが頷いた。
「だったら、俺はチョイと悪党連中に聞いてみるぜ。明日は、非人街に行ってみるよ」
「そんな面倒なことしなくていいのん! 僕がさっさと殺してやるのんな!」
物騒なことを口にするジャックを、シレーヌはジロリと睨みつける。
「ジャック、わたくし達が滅するのは悪人だけよ。個人的な私怨では動かない。忘れたの?」
「でも、あいつは絶対に人殺しなのん。僕にはわかるのんな」
むくれたジャックの肩に、ボルトがそっと触れる。
「まあまあ。まずは、悪事の証拠集めといきましょう。お楽しみは、後にとっておくのもオツなものですよ」
「わたくしも、学園の生徒たちから話を聞いておきます。それまでは、おとなしくしているのですよ」
シレーヌに言われ、ジャックは渋々ながらも頷いた。
「わかったのん」




