薬品無用(7)
「クソ! ざけんな!」
喚き、手を伸ばすハイド。しかし、ジャックはその手を避けてヒョイと飛び降りた。しかも、降りると同時に足を滅多刺しだ。
「このネズミが! 調子に乗るな!」
ハイドの咆哮と同時に、拳が放たれた。ジャックを瞬時に肉塊に変える一撃だ。しかし、ジャックはさっと飛び退く。
直後、ハイドの傷は癒えていった。
「何度刺そうが無駄なんだよ、このクソチビが!」
怒鳴ったハイドだったが、ジャックはニヤリと笑ったのだ。
今、ジャックが刺した回数は十や二十ではない。にもかかわらず、ハイドには何のダメージにもなっていないのだ。まともな兵士なら、とうの昔に逃げ出しているか、心をへし折られ腑抜けになっていただろう。
だが、ジャックは違っていたのだ──
「うわぁ、たーのしいのん! 刺しても刺しても元通り! これなら、僕が死ぬまで刺し続けられるのんな!」
楽しそうな顔で、こんなセリフを吐いたのだ。ハイドの獣じみた顔に、初めて動揺の色が浮かんだ。
「な、なんだこいつ……」
最強の肉体を手に入れたはずのハイドが、計算外の存在に出くわしたのだ。自分よりも遥かに小さく、弱いはずの生き物が、臆することなく自分と向き合っている。
ジャックは、ハイドに生じた隙を逃さなかった。くるりと前転して接近し、またしても足を刺しまくる。
「ヒャッハー! おんもしろいのん!」
狂気の叫びをあげるジャックに、ハイドは怯みながらも対処しようとした。
そこで銃声が響き渡る。モリアーティがピストルを撃ったのだ。放たれた銃弾は、ハイドの肩に当たった。しかし、すぐに弾丸は押し出される。
その時、モリアーティが叫ぶ。
「先ほどと比べ、治るのに時間を要しております! こ奴、不死身ではありませんぞ!」
「刺し続ければ、剣でも殺せるということですね!」
声と共に、シレーヌもレイピアで襲いかかる。シレーヌとジャック、ふたりがかりの斬撃がハイドの体を切り刻んでいった──
「クソ、殺してやる!」
ハイドは、なおも拳を振り回した。シレーヌとジャックは、パッと飛び退き間合いを空ける。
その時、凄まじい勢いで現れた者がいた。黒い覆面を被り、黒の上下に身を包んだ大男……そう、ボルトである。
「お嬢様、すみません。準備に手間取ってしまいました」
ボルトはシレーヌに頭を下げると、ハイドと向き合った。
「こいつの相手は、私しかいませんな。行くぞ!」
その声が合図だったかのように、二匹の怪物の戦いが始まった。シレーヌらは、両者の迫力に圧倒され、戦いに加わることなどできなかった。
ハイドの拳が、ボルトの肉体に炸裂する。さらに、また一撃。息つく間もない連打を浴び、ボルトはじりじりと下がっていく。両腕で顔面をしっかりガードしてはいるが、ハイドの打撃は凄まじい威力だ。ガードの上からでも、容赦なくダメージを与えていく。
「どうしたんだ!? 俺の相手をしてくれるんじゃなかったのか!」
吠えながら、ハイドはなおも拳を振るっていく。力任せに拳を振りあげ、ボルトへと叩き付けた。相手を倒すというより、心の奥底に眠る負の感情をぶつけていたのだ。それは、ジキルだった頃に育まれていったものだろうか。
一方、ボルトは冷静そのものであった。太い両腕で顔を覆い、体を丸め、さらに体を捻りながら急所への決定的なダメージを避ける。
これは、格闘技における防御の技術だ。無論、普通の人間がハイドの打撃を防御したところで何の意味もない。ガードした腕ごと砕かれ、即死だろう。
だが、ボルトは彼と同等の腕力を持つ。また、肉体の頑丈さも同じくらいのレベルである。だからこそ、格闘の技術が活きてくるのだ。
やがて、一瞬の隙を突きカウンターパンチを叩き込む。体の捻りを利かせ、全身のパワーを拳に乗せた一撃だ。
ハイドは、そのパンチをまともにくらった。城壁ですら壊せる一撃を受け、耐えきれず吹っ飛んでいく。
ハイドの巨体は、診療所の壁に叩きつけられた。と、その体がみるみるうちにしぼんでいく。ボルトの一撃により再生能力を失い、薬の効果が切れてしまったのだ。
彼らの目の前にいるのは、
「あれ……この人、お薬の先生なのんな」
ジャックが、場にそぐわぬトボけた声を発した。一方、シレーヌは信じられないという表情だ。
「どういうこと? この人が、あの化け物だったというの?」
彼女の問いに答えたのはモリアーティだ。
「そのようですな。薬もしくは魔法で変身してたものと思われます」
その時、ジキルは目を開けた。上体を起こし、周りを見回す。
次の瞬間、その口から声が漏れる。
「殺してくれ……」
「殺す前に、ひとつ聞かせて。あの化け物に、どうやって変身したの?」
シレーヌの問いに、ジキルは顔を歪め答える。
「アレは……病気や怪我を治すために作った、はずだった。ところが、違う効果が出た。アレは、飲んだ者を怪物に変えてしまう薬だった」
言ったかと思うと、ジキルは立ち上がった。そして、シレーヌに訴え始める──
「アレは麻薬と同じだ! 飲み始めたら、止められない! 頼む、私を殺してくれ! 人間でいられるうちに、人間のままで殺してくれ!」
涙ながらに叫ぶジキルだったが、シレーヌは動くことができなかった。
この男が、根っからの悪人であるようには思えない。ジャックの話によれば「お薬の先生」として、この非人街で診療所を開き貧しい人々を格安で治療していたという。
そんな人間を、殺していいのだろうか? シレーヌの頭に、そんな疑問が浮かんだのだ。
しかし、そこで想像もしていなかった事態が起こる。
「うっ、や、やめろ……そんな、嘘だ。なぜ……なぜ出てくる!」
突然、ジキルは叫んだ。狂ったように悶えたかと思うと、彼の肉体は再び変化する──
皮膚の色は緑色に変わり、肉体は膨れ上がる。髪は瞬時に伸び、体毛も濃くなっていく。そう、先ほど倒したはずのハイドが、再び彼らの前に現れたのだ。
「嘘、そんな……」
呆然となり呟くシレーヌ。そこに、疾風のごとき速さで現れた者がいる。ジョーだ。セーラを送り届けた後、すぐさま引き返してきたのである
「なんだよ! またこいつ変わりやがったのか!」
叫んだジョーに、モリアーティが答える。
「そのようです! こうなったら、皆で今度こそ地獄に送ってやりましょう!」
その声と同時に、皆は身構える。しかし、ハイドは向きを変えた診療所へと飛び込んで行ったのだ。
「あいつ! 何する気なのん!?」
言いながら、ジャックは後を追う。皆も診療所へと入っていった。
すると、そこには薬瓶を持ったハイドがいた。それも、両手に持っている。
「お前らぁ! 見てろ! これで更なる力を得てやる!」
叫んだ直後、ハイドは両手の薬を一気に飲み干した。
すると、その肉体はさらに大きく膨れ上がっていく──
「どうだ! お前ら、お前ら、お前らぁ、えっ、な、な、うおぉぉ!」
叫び、頭を抱えるハイド。床に倒れ、のたうち回る。バッタンバッタンと床の上を跳ねる姿に、シレーヌらは為す術もなく見守るしかない。
やがて、その動きが止まる。ジキルは、ハイドとなったまま息絶えていた。
「どうやら、薬の量が体の限界を超えたようですな。しかも常用するうちに、薬の作り上げた人格が本人をのっとってしまったようですね。哀れな話です」
モリアーティが呟いた。その時、ジョーが口を開く。
「俺さ、こいつ……いや、ジキルにひでえことを言っちまったんだ。そのせいで、ジキルはおかしくなっちまったのかな」
「どうでしょうな。薬は、ジキルの心の奥底に眠っていた欲望を呼び覚ましただけなのかもしれませんよ。薬が悪いのか、人が悪いのか……これは、難しい話です」
答えたモリアーティに続き、ジャックが笑みを浮かべジョーの腕をつつく。
「インジャンに、うじうじすんのは似合わないのん。インジャンは、いつも通り暴力で解決すればいいのんな」
そんなことを言った時、シレーヌがそっとひざまずく。
「すみませんでした。わたくし、あなたを人間として死なせることができなかった。怪物として死なせてしまった……」
彼女の声には、深い悔恨の念がある。皆、何も言えず沈黙するしかなかった。
そこに現れたのはモンドだ。申し訳なさそうな顔で口を開く。
「そろそろ、他の憲兵が来るぞ。後は、俺が上手く処理しておく。だから、お前らは早く消えな」
「わかりました」




