第十四幕 眼差し
椿殿を見たのは久しぶりだ。初めて護衛として同行した時より少し疲れた様子であるが、以前のような笑顔が戻っている。
私は二回だけで、その以外の護衛を務めることは出来なかった。瀬田殿がずっと担っていたからだ。
せっかく大手を振って美人の隣を歩けると思ったのに…。お奉行にも『大木では刺客に気づくこともできない。諦めよ』と言われた始末だ。
それに実際、矢が飛んできた時は漏らしそうになるほど全身が震えた。
私は椿殿がお奉行に出立の挨拶をしているのを後ろの方に控えて見ている。お奉行を始め、小西様、中村様、与力と同心も集まっていて少々狭い。
「大変お世話になりました。突然の事にも快く対応していただき感謝しております。大和に戻ったら必ず父共々改めてお礼をさせていただきます」
「うむ。椿殿、くれぐれも道中気をつけて行かれよ」
お奉行が決めたことなのだから同心である私が口を出すわけにもいかない。刺客はまだいるかもしれないというのに……。
「ありがとうございます。皆様にも感謝しております」
椿殿は私たちの方にも頭を深く下げて礼をした。私はもうこの娘の隣を歩けないことを残念に思いながら笑顔で頷いた。
「では。これで失礼いたします」
そう言って椿殿が立ち上がろうとするとお奉行がそれを止めるように口を開いた。
「椿殿。最後に一つだけお聞かせ願いたい」
椿殿は首を傾げながら居住まいを正した。お奉行は笑顔のまま聞いた。
「辻斬りが持ち去った文の内容をお聞かせ願えるか?」
私はあまりの突拍子もない問いに唖然とした。他の与力、同心も同様だ。椿殿も不思議そうにしている。
「なんの事でしょうか? 辻斬り? 文? 私には何を申しているのかさっぱりで……」
お奉行は表情を変えずに話し出した。
「あなたはとある命を受けて江戸に来た。ある事件の証拠となる文がお上に渡るのを防げ、という命だ」
私はお奉行と椿殿を交互に見る。
「あなたは刺客として腕の立つ者を送り込んだ。だがその者はある失態を犯してしまった。文は取り返せたものの辻斬りとして目立ってしまったのだ。しかも、たまたま通りかかった商人二人を殺してしまった」
お奉行は何を言っているのだ?
「それを始末するためにあなたは江戸に来た」
さっぱりわからず、近くの中村様に聞こうとしたら、その硬い表情に気圧されてしまった。
「その辻斬りを呼び寄せ文を受け取ったあなたは辻斬りを始末した。そして、その辻斬りが我々から逃げるために頼った裏稼業の者達を順番に始末した。ある特殊な毒を使って病死に見せかけたのだ」
椿殿は黙ってお奉行の話を聞いている。そして慌てることもなく言葉を発した。
「もしそうだとして、私はこの奉行所から出る時は必ず護衛の方が付いていました。それに私を狙っていた刺客はどう説明するのですか?」
確かに椿殿は一人で外出していない。それに刺客は確かに椿殿の命を狙っていた。お奉行は一体なんの話をしているのだ?
椿殿の問いにお奉行は一度目を伏せてから椿殿を真っ直ぐ見つめて答えた。
「あなたを狙っていた刺客はあなたが手を回した者だ。己に疑いの目がいかないようにするための自作自演。どう調教したのか分からんが、あなたを見て自害したのが証拠だ。四人の刺客のうち一人があの時謝罪の言葉を述べたのは、人間を殺ようとしたことに対してではない。あなたの命とはいえ、主に刃を向けてしまったこと、そして俺の尋問に揺らいでしまったことへの謝罪だ」
椿殿は黙ったままだ。お奉行はその様子を見てそのまま続けた。
「あなたが一人で外出していたのはある者が見ている。瀬田。そうだな?」
突然名前を呼ばれて驚いたのか瀬田殿は一瞬びくりとした。そして背筋を伸ばして答えた。
「はい。若侍のような姿で出歩いているのを見かけました。そして椿殿を追いかけていたら例の毒殺の現場に遭遇しました」
え? どういうことだ? 話についていけてないのは私だけか?
お奉行も小西様、中村様も椿殿から目を離さない。まるで警戒しているかのように。それに瀬田殿まで……。
椿殿と瀬田殿は腹の中を探るように見つめ合った。そして椿殿が顔を伏せ、お奉行に向き直ると、ゆっくりと顔を上げた。
その時の表情が私には到底受け入れられなかった。
あの優しく品のある椿殿ではなく、冷たく全てを見下したような笑みを浮かべていたからだ。
「なんとも情けないことです。どこで間違ったのでしょう。上手くいっていたと思っていたのに……」
椿殿が小さな声でそう呟くと、吹っ切れたような笑顔で話し出した。
「さすがお奉行様。その通りでございます。私は父の命に従ったまで。我が家訓にこのような言葉があります……『人を信じるな、己も信じるな』。まさに今その言葉の真の意味を理解しました」
椿殿はゆっくり立ち上がり瀬田殿を冷たい目で見下ろした。
「よりによって銀次様に暴かれてしまうとは思いもよりませんでした。私の心を利用したのですか? それとも……いえ、答えなくていいです。きっとあなたを殺してしまいたくなるから」
次の瞬間、私は腹に重い一撃を食らった。そして後ろに吹き飛ぶのを同心たちが受け止めてくれた。
何が起こったのか分からぬまま顔をあげると、椿殿が私の脇差を抜いてお奉行に斬りかかるところだった。あの一瞬で椿殿は私の脇差を抜き取ったのだとようやく気づいた。
お奉行は刀を抜く余裕もない程、間合いを詰められている。そして小西様も中村様も間に合わない。
ガキン
金属のぶつかる音が鳴り、畳に赤い血が飛び散った。
椿殿の一撃を受け止めたのは瀬田殿だった。
脇差を逆手に持って椿殿の一撃を受け止めつつ、もう片方の手で太刀を抜き、椿殿の横腹を斬ったのだ。
だが傷は浅く、一瞬にして椿殿は後ろに飛び退いて廊下に転がり出た。そしてそのまま刀を構えたまま動かなくなった。瀬田殿も両手に刀を持ったまま動かない。
私も武士の端くれ。この状況がどういうものかは分かる。分かるからこそぴくりとも動けないのだ。
この場の誰もが固まったように動かない。真剣での立ち会いの睨み合いだ。
瞬き一つで勝負が決まる。
どれ程の時が経ったのだろう。もしかしたらそれ程経っていないのかもしれない。風の音すら聞こえない。私の額から汗がゆっくりと頬を伝っていく。
この空気を先に打ち破ったのは椿殿だった。
横腹から血が床に垂れるのと同時に私の脇差を投げた。それを瀬田殿が左手の脇差で叩き落とした。
その隙を狙って椿殿は身を翻し庭先に出たと思ったら、あっという間に軽々と塀を飛び越えてしまった。
その後、すぐに小西様、中村様が走って追いかけたが間に合わず、霧のように姿が消えてしまったそうだ。
「逃げるつもりでお奉行を狙ったのだ……」
戻ってきた小西様が奥歯を噛みしめながら漏らしていた。
私はこの一連の状況をただ呆然と見ていることしか出来なかった。ほかの同心に声をかけられても、まともに答えられず、腰が抜けたのか立ち上がることもままならなかった。
ただ、瀬田殿のあの眼差しだけはいつまでも記憶に残っている。諦めと憎しみ。そして……その奥に秘められた熱を。
◆◇◆
瀬田は俺の前で土下座をしたまま先程と同じ言葉を発している。
「申し訳ございませぬ。某の失態です」
顔を上げよと言っても瀬田は上げない。俺は何度目かのため息をついて言った。
「瀬田。もうよいのだ。お前だけではない。俺も同じく責任を取らねばならない。お前が報告してくれなければ俺は全く気づけなかった。辻斬りと毒殺が繋がっているなど誰が気づけようか」
するとようやく顔を上げて口を開いた。
「違うのです。某の甘さが招いた結果なのです」
俺は何も言わず瀬田の言葉の先を待った。
「椿殿を疑っていたのに……すぐにお奉行に伝えませんでした。護衛という立場を与えられ、椿殿と親密になるにつれて……真実から目を背けようとしたのです。十手を預かる者として有るまじき行為です」
俺は瀬田を咎めることが出来なかった。この男の心中が痛いほど分かるからだ。
おそらく椿殿も同じく瀬田を…。
俺は、ふと、旅の途中で俺を助けてくれた幼い椿殿との出会いを思い出した。あの時は想像もしていなかった。優しい兄上と共に笑っていたあの娘が、あのように変貌するなど。
「瀬田。お前は……この先、同心として俺を支えてくれるか? あの時のように俺の身を守ってくれるか? あの時お前が居なかったら俺は死んでいた。この血は椿殿ではなく、俺のだったかもしれないのだ。わかるか? お前は身を挺して俺を守ってくれたのだ」
俺は畳に染み込んだ血を眺めながら瀬田に言った。瀬田は畳の血を見つめながら己の拳を強く握った。血がにじむほど強く。
「瀬田銀次。お前にはこの先も俺の力になってもらいたい。頼めるか?」
瀬田は深く頭を下げて絞り出すように答えた。
「必ずやご期待に応えます」
俺は涙で霞む視界の中で苦しみに耐える瀬田を見つめた。
次回、最終回と外伝です。
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