22
翌朝、僕らはまた門の前で待ち合わせをした。僕は手頃な大きさの平たい木ぎれを持参していた。少しでも浮きになるものを持って行くことができればと、昨晩、倉庫に木材とロープを入れたときに、見繕っておいたのだ。
一方のグレーテは手ぶらで、本当に僕を引っ張り上げる気があるのか定かではなかったが、冒険につきあってくれるのは頼もしかった。
僕らは砂漠を歩き、北の浜を目指した。今回もやはり、僕はグレーテの方向感覚に頼って歩くばかりだった。毎夜、グレーテはこんなふうに砂の上の赤い宙を飛んでは、あちこちを見て回っているのだな、と僕は思った。
やがて、北の浜が見えるよりも先に、北の空が明るく輝いているのが見えた。わあとグレーテが声を上げる。
「始まるわ、ツァラ。空が青くなる」
「じゃあ、決まりだね」
「不思議だわ。今まで一度も、二日連続で空が青くなったことなんてないのに」
なるほど、彼女は無謀な冒険が失敗に終わる確信があったのだ。しかし、空は僕らの前で輝きを増し、再びさっと雲が裂けるように、赤が割れ、青空が覗いた。
「……きっと、あなたが来るのを待っていたのね、ツァラ」
僕らは北の浜に並び、狭い青空を仰いだ。グレーテは静かに、納得したようにそう呟いた。
僕は靴を脱ぎ、砂浜に揃えた。何だか自殺をする人みたいだが、そう違うものでもない。
軽く体を動かした後、水に入る。波をかき分けて沖へと進む。水が胸のあたりの高さになると体が浮いた。僕は木片につかまりながら脚をばたつかせた。
「急がないと、青空が閉じてしまうわ」
グレーテは約束通り、風を全身に受けてふわふわと浮かびながらついてきた。僕は少しばかり姿勢を正し、水を掻く脚に力を入れた。行く手には青い空の小さな断片。それが、清浄な黄色い光を空から海へ落としている。
泳ぎに泳いで、僕の頭は徐々に低くなり、何度か水をかぶった。
「頑張って、ツァラ」
「ああ、……空が」
僕は海水に濡れた唇で呟いた。青空は徐々に狭まり、赤い空に囲われて、小さくなっていた。
「グレーテ、近付いている?」
「近付いているわ、でも、まだまだよ」
一瞬、大きな波が僕にかぶさり、僕は水に沈んで浮き上がった。赤い海水が気管に入ってしまい、僕は咽せた。
「大丈夫? 引き返す?」
「まだ……ああ、でも、空が」
ほとんど悲鳴のような僕の言葉と同時に、青空は赤い空にすっかり覆われ、消えてしまった。
「ああ……」
僕が思わず泳ぐのを止めようとしたとき、あっとグレーテが行く手を指さして叫んだ。
「陸よ。見える?」
僕は立ち泳ぎに切り替え、大きく伸びをした。それでも陸地は波に隠されて見えない。グレーテの方が大分と頭が高いところにあるため、彼女には見えるのだ。
「間違いないわ。砂浜が見えるの」
「あの空の下だね」
「そうよ、泳げる?」
「まだまだ」
僕は木片をグレーテに預け、小さく水へ飛び込んで体をくねらせた。そして脚を打ち、手で水を掻く。僕の速度は一気に上がり、ひゃあ、速い、とグレーテが叫ぶのが頭上に聞こえた。
陸地はほどなく近づいて来た。僕は平泳ぎをし、陸地を眺めた。新しい土地なのだろうか、と期待が胸に広がる。
そこには、もとの世界に戻る方法が隠されていないだろうか。そうすれば、空は青く、普通に飲食をする、元の僕に戻れるのではないか。グレーテだって、半分透けてなどいない、元の姿に。
気が焦って速く泳ごうとする僕の頭上で、あらっとグレーテが鋭く叫んだ。
「見て。……靴がある」
「靴? あの、黒いの?」
「そう。あれ、あなたの靴じゃないかしら」
やがて脚が海底につき、僕は立ち上がって歩き、浜に上がった。
浜にはその靴を除いては何もなく、ただ砂地が広がるばかりだった。しかし、細かな地形の区別がつくグレーテは、あちこちを見回しては、同じだ、同じだと繰り返した。
靴は確かに僕が脱ぎ、揃えたものだった。
「やっぱり、地形が同じよ。ここは、もとの北の浜だわ」
「じゃあ、帰ってきたっていうのかい」
「そんなはずない……わよねえ」
「グレーテ、僕らは確かに真っ直ぐ北へ進んでいたよね?」
「ええ、間違いないわ……」
「じゃあ、ここは一体どこなんだろう……」
地形の区別がつかない僕は、辺りを見回しながら、ふと思いついた。
「グレーテ、僕らが戻ってきてしまったなら、南に行けば城があるはずだよね」
「え、ああ、そうね」
「行ってみよう」
僕は靴を履き、砂を蹴って走り出した。
しかしその靴の履き慣れた感触から、もう何となく、予感ができてしまっていた。
グレーテは急ぐ僕に会わせて精一杯の速度で宙を滑り、南へと砂漠を案内してくれた。いや、グレーテだって、真相を確かめたくて気が急いていたのだろう。
そしてしばらくの時間を走ると、果たして、砂の丘の向こうに城の白い屋根が見えてきた。
「……どうしてなの」
グレーテが飛ぶのを止め、砂地に足をつけてへたり込んだ。
「こんなはずはない」
確かに僕らは北を目指して泳いだ。いつの間にか方向を間違えていただなんて、考えられない。
「それでも、こうなった」
ならば、そこには、何者かの意図がある。
僕は世界を見渡す。
狭い島、それを取り囲む赤い空と海。
孤独で交流を欠いた人間たち。それでも漏れ出てくる、異質な存在。
どこまでも行っては戻る思考。今いるところから逃れられない自分。
真っ赤な海によって外界から隔絶された世界。箱庭のように小さく、閉ざされた世界。
「喩え話だ」
どのような世界にあろうと、人間はこのようなものだという、その暗喩が、この世界ではないのか。
ならば、喩えた者がいるはずだ。
「この世界は、誰のものなんだろう」




