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グレーテは、方角だけで位置が分かるからと言って、海岸線沿いではなく砂漠の真ん中を突っ切って北へと向かった。道のない砂漠では僕は方角が全くわからず、あっちが村、あっちは城というグレーテの説明をふんふんと聞きながらついていくことしかできなかった。城の屋根は低いから、遠くからでは見ることができないのだ。
グレーテはついついと宙を滑る。時々、海から届く風に靡きながら。僕が一歩一歩砂を踏みしめるのとは、ずいぶん大きな違いがある気がする。
「いいなあ、僕も空飛びたいなあ」
「面白くないこと言わないで。あなたなんか、飛んだら風に吹き散らされて、消えちゃうんだから」
彼女は容赦がない。
「粒がばらばらにならないように飛ぶこつがあるの」
「あるわよ。なるべく体全体をいっぺんに動かすの」
「僕と反対だね。なるべく体のバランスを取りながら動かなきゃ、うまく砂地は歩けないよ」
僕の感覚で一時間としばらく程度を歩いた頃、行く手に遠く海が見えてきた。海岸線はまだ砂に隠れている。
その、上空の空が、他よりも明るい赤に輝いていた。
「まあ、珍しい。ツァラ、始まるわよ」
グレーテが空を指さし、速度を上げた。髪がふわりと風にふくらんで、端が少し蕩けた。
僕も彼女に従って走る。
やがて海岸線が見え、その上の天の赤が揺らめき始めた。ぼくらは砂浜で立ち止まり、明るい天を見上げた。
「あっ」
「ほら」
そして、朱赤の天の一番明るいところがさっと割れ、まるで雲間からそうするように、青空が覗いた。
「ツァラは、運がいいわね。滅多に見られないのよ」
赤い空の中に、一点だけの青空。
拳を掲げてみれば、ほぼ同じ大きさの青空。
まるで、微睡みの中、ふと一瞬だけ目覚めたような、青空。
「信じられない……」
「信じられないって、何よ、空、青いでしょ」
グレーテは微笑んでいた頬をぷっと膨らませた。
「もう。せっかく連れてきてあげたのに」
「ああ、ごめん……でも、だって、空は必ず赤いんだって思っていたから」
僕らはそれでおしゃべりを止め、じっと小さく開けた空の青に目を凝らした。
やがて、青空が揺らぎ、赤い空がうごめいて広がり始めた。晴れ間が雲に隠れるようにして、青空は赤い空に隠されていった。狭い青空はすぐに赤い空に覆われてしまった。
「あーあ……」
終わっちゃったね、とグレーテは言って、踵を返そうとした。僕はその手を引いて、それを引きとめる。手は透けてしまわずに、ちゃんと僕の手の中に柔らかな感触をもたらした。
「ねえ」
「なに」
「きみは、海の上も飛んでいけるんだよね」
「そうよ。見たでしょ」
「じゃあ、あの青い空の下には、行ったことがあるの」
グレーテは目を見張った。
「ないわ。考えたこともなかった」
「じゃ、あの空の下に何があるか、知っている人は誰もいないんだ」
「ええ、……いえ、待って。カーは知っているかもしれない」
グレーテは海風に乗って宙を舞い、僕の正面に向き直った。
「私が最初にこの青い空を見た時にね、カーに話してみたの。あんまり驚いたから、誰かに話そうと思って。そうしたら、カーはもう知っているからって、興味がないみたいだった。ずいぶん前の話よ」
「興味がないなんて、そんな」
僕は訝しむ。カーは他のアニミストと違い、僕らの空が元々は青かったことを知っている。それなのに、青空が現れたことを聞いて、戸惑わないでいられるだろうか。
「本人に聞いてみようかな」
「秘密にするんじゃないの」
「もう知っている人相手には、秘密も何もないよ」
「ねえ、どうしてそんなに青空にこだわるの?」
グレーテが小首を傾ぐ。髪がまた海風に煽られる。彼女は吹き飛ばされていかない術も心得ているようだ。
けれど僕は、彼女のように平然としていられない。世界に逐一引っかかり、つまずいている。
「それは、僕があの青空から来たからだよ」
グレーテは驚いたように目を丸くした。
「嘘よ。あなたは砂から来たのよ」
「そうだけど、そうではないんだ。僕は青い空の下からここへ来たんだよ」
「そんなはずないわ」
「きみもだよ、グレーテ」
「私が?」
「きみも、カーも。たぶん他のアニミストもみんな」
「そんなの、信じられないわ。私は最初からこの砂漠にいたのよ。他のアニミストだって、砂漠から村へやって来るんだから」
「信じてくれないならいいけど」
僕はグレーテの真似をして、ぷっと頬を膨らました。彼女は指で僕の頬をつついた。僕はぷっと頬の息を吹き出す。
僕らは名残惜しく赤い北の空を眺めた。僕が東の海岸も見てみたいと言うと、何もないわよと言いつつも、グレーテは案内すると言った。
昼の日差しは暴力的に強い。僕は水筒の水を何度も飲み、グレーテにも分けた。グレーテは僕と同じで食事をしない。水も、僕よりは少ししか必要としないようだった。それでも、似たものがいるのは少し嬉しい。
長く歩いた割には、確かに東の海岸には何もなかった。魚人たちの村は南に遠く、アニミストの村は正反対の西側で、誰も近寄らないのだとグレーテは教えてくれた。
これで僕は島をほぼ一周したことになる。
一巡りするのに一日もかからない、小さな島。その中心には、カーの城。
「僕はこれから城へ行くけど、きみはどうする?」
「ついて行こうかしら。すぐ外の泉で待っているわ」
「盗み聞き?」
「まあ、そうね」
僕らは悪戯っぽく笑い合う。
「僕は工事をして、魚人の村の近くまで水を引くのがいいと思うんだ」
「干上がってしまわないかしら」
「でも、泉で魚人とアニミストがかち合ったら、喧嘩になっちゃうかも」
「魚人に時計を貰って、時間割を決めてはどうかしらね」
「ああなるほど」
僕らは水の配分の仕方について、他愛もない話をしながら、西へ、島の中心へと歩き始めた。
勿論、僕らは二人とも、カーが肯うわけがないことを分かって、話し合ったのだ。




