18
ヨブが砂浜を沖に向かって走り、波を蹴って海に入った。ルカがそれに続く。
僕はといえば、この世界で目覚める前には泳いだ記憶があるものの、ここで泳ぐのは初めてだ。
ヨブたちと同じように、砂浜から波に足を浸す。ここまでは前もやった。
どんどん波をかき分けて沖へ歩く。砂浜は少しずつ深い海底になり、胸くらいまで水に沈んだところで、不意に足が海底から離れた。
「なんだ、ちゃんと泳げるのね」
仰向いて見れば、グレーテが宙をとびながらついて来ている。
「君こそ泳げるの」
「私が泳げるわけないでしょ。溶けてなくなっちゃうわよ」
「じゃ、宝物ってどうやって見るつもり」
「空からでも少し見えるのよ。全体を見渡せていいくらいだわ。……ほら」
グレーテが沖を示す。少し先で魚人の兄弟が立ち泳ぎをして僕らを待っていた。しかし、そこまでたどり着くまでもなく、僕にも宝物が見え始めていた。
「これは……花?」
「海藻なんだよ」
兄弟に追いつき、僕も平泳ぎを立ち泳ぎに変える。その足下の海底に、黄、緑、茶、白、青、桃色と、色とりどりにゆらめく藻がきちんと並んで生えそろっていた。
「ぼくとルカが植えたんだ」
ヨブが少し上を向いた。泳ぎながらなので分かりづらいが、鼻高々といったふうだ。
「きれい? きれい?」
「うん、とってもきれいだ」
ルカが聞くのに、僕は精一杯とってもを強調して答える。
「三人とも潜って見てくるといいわ、私待ってるから」
頭上でグレーテが促すので、僕は大きく息を吸い、勢いをつけて身体を海に沈めた。それに兄弟が続く。
しかし、兄弟は二人とも僕の身体をすり抜けてすいすいと底まで潜っていってしまった。僕はといえば、身体が浮くので、どう頑張っても半分くらいより深く潜れない。そういえば浮力というものがこの世にはあるのだと、今更に思い出す。
海底では兄弟が海藻の花壇のそばで僕を見守っている。
小さな家ほどの広さの海底に、まさに花壇のように囲いをつけて、色ごとに並べて海藻が植えられている。
太陽の赤い光も、海の中では和らぐのか、ちょうど僕のいるあたりから海水は青みを帯びていた。それでなおさら海藻の色が映えて見えた。
僕は二人に向かって大きく手を広げた。二人は手を振り、浮かび上がってきた。僕も頭を上に向け、海面に向かって浮上する。加速度の後に空気が顔を打ち、僕は大きく息をした。太陽が赤い。
「もう、二人に海底まで引っ張ってってもらえばいいのに」
グレーテは僕の無様な潜水をしっかり見ていたらしい。だが、ルカが両手を横に振った。
「だめだよ、きゅうにもぐると、びょうきになっちゃうんだぞ」
「そうなの?」
僕は浮上した瞬間にちょっと水を飲んでしまい、咽せていたので、頭だけで頷いた。そういえばそんなものもあった。潜水病とかいうのだ。
僕らは泳いで浜まで戻り、服の端を絞った。
「ツァラはあのくらいにしといた方がいいよ、充分見えた?」
「うん。海って、潜ると青いんだね」
「そうだよ。赤いのは水面のあたりだけだよ」
すると、ルカが嬉しそうにはしゃいで言った。
「海のねえ、もっと遠いところは、すいめんも空もまっ青で、ぼくらのそせんはそこから来たんだって!」
「あっ、こら、ルカ! それは祭りのときにしか話しちゃいけないんだぞ」
「えー、でも、みんな知ってるよ」
「それって、もしかして神話なの?」
「そうだよ。だから、特別な日以外には話しちゃいけないし、村人以外に話してもいけないはずなんだ……」
「なかまをだいじにしろって言ったの、お兄ちゃんじゃない……」
そう言われると、ヨブは返す言葉がなかったらしく、黙り込んでしまった。お互い、視線は合わせないが、俯き加減に睨み合っている。険悪だ。取りなしが必要だ、しかも早急に。
「ま、まあまあ……僕、何も聞かなかったから」
「それに、私、見たことあるしね」
「えっ」
兄弟はぱっと顔を上げ、好奇に輝く顔を見せた。すごい、大成功だ。
「見たことあるの、青い海」
「あるわよ。遠くの方に、たまに現れるの、空と海が青くなるの。じきに消えちゃうけど」
「どこ、どこ」
「北の海岸よ。あのあたりは何もないから、あなたたち二人では、危ないわね。お父さんって人が許してくれたら探しに行くといいわ」
お父さんという名前の人のような言い方だ。多分、そう思っているのだろう。グレーテにも家族の概念はないのだ。
「おとうさん、もうおきてきた頃かな」
父の名が出ると、兄弟がそわそわし始めた。朝の散歩は終わりの時間なのだろう。
「もう訓練所に行っちゃったかも」
「そろそろかえったほうがいいね」
「ねえ、訓練所って?」
僕はその言葉を聞きとがめた。
「訓練って、何をするの、まさか」
「そりゃ、戦いの訓練だよ」
やはりそうか。ならば、魚人たちには戦争という概念もまたあるのだ。
「その戦いって、アニミストとの戦いだよね?」
「そうだよ。アニミストたちだって訓練しているんだろう?」
「アニミストたちは練習なんてしないよ。何の練習もしない」
そう、想い人を誘う練習くらいはすればいいのにと思うくらい。
「でも、まいにち城へかよっているよね?」
「あれは水を汲んでいるだけ」
「うそだあ」
「ほんとよ。カーは、毎日アニミストたちが消えていないか確認するのが日課なの。それだけよ」
グレーテがつんとすまして言うと、兄弟は顔を見合わせた。
「魚人たちは、いつかアニミストと戦うために、準備をしているんだね……」
「トラウマのせいだよ」
ルカが大きな声を張り上げた。言い訳をしているのだろう。
「トラウマにかかると死んじゃうのに、アニミストが、泉の水をわけてくれないからだ」
そういえば、魚人にもトラウマがあるとニコが言っていた。
ヨブも苦い顔で僕を見た。
「君は友達だけど、水を分けてくれない人でもあるんだよ。ぼくらの村には水がないんだ」
「じゃあ、頼んでみようか?」
僕も、少しくらいなら分けてあげればいいのにと思っていたところだ。頼んでみるだけなら何と言うことはないが、あのカーがうんと言うだろうか。しかし、ほんと、と見開かれた少年たちの目が、ああ、希望に輝いて僕を促す……。
「やってみるだけやってみるよ。けど、成功するかどうかはわからないから、このことは村の魚人たちには秘密だよ。いい?」
「じゃ、おたがいにひみつができたね」
「ね。僕たちは、青い海の話を誰にもしないよ」
固く約束をした後、僕らは沖へ帰る少年たちを見送った。少年たちは波をかき分けて頭まで沈んだ後、ぷかっと浮き上がってこちらを見、挨拶をして帰って行った。
「ねえ、グレーテ」
「何? 城へ行くんじゃないの?」
「できればその前に。きみ、その北の青い空に、僕も案内してくれるかな」
「そんなものが見たいの? 見ても、何もないわよ」
グレーテは長い髪を半分風に溶かしながら言った。
「それに、いつでも見られるとは限らないのよ。たまたま空が青くなるだけで」
「それでも、見たい」
グレーテは低い空でくるっと宙返りし、膝を抱えた。
「いいわ。じゃあ、行くだけ行ってみましょう」




