17
そんなに眠りが深いのだろうか。
寝台に入ってすぐ、僕の意識はぷっつりと途切れ、気がつけば朝になっていた。まどろみの全くないことに、僕は違和感を覚える。白昼夢は見るのに、眠るときの夢は見ない、なんていうことがあるだろうか。
僕は庭に出、昨日の残りの水で口をすすぐ。村人たちはそろそろ起き出し始めていて、朝食の赤い実を食べているものもいた。
地面に血を垂らし、それが蔓になり茎になり、芽の先に結ばれた赤い実を取って食べる。
その姿はひどく孤独だった。誰も一緒に食事を取らず、家の前や庭で一人で食べている。
まるで、自分が、自分以外のものと混じらないように、自分の純度を保つようにそうしているみたいだ。
僕は黒い長衣の埃をはたいて、門へ向かった。彼女はやはり、もうそこにいた。
「今日はちょっと遅いんじゃない」
僕らは話しながら海岸へと歩き出す。
「そうかも。どのくらい遅れたかな」
「わからないけど、魚人は時間に厳しいわよ。時間を計る道具を持っているから」
「ああ、時計だね」
「知っているの?」
「うん。僕も昔は持っていた」
何とはなしに言ってから、僕はしまったかな、と感じた。案の定グレーテは目を見開いて言った。
「昔? 昔っていつのこと? あなたはこの間ここへ来たばかりなのに」
さらにその前、と言いたい所だが、僕には確証がない。第一、どう説明したらいいのかさっぱりわからない。
僕は早歩きをしながら、うーん、と言いよどんだ。グレーテが低い宙を飛びながら、ねえねえと答えをせっつく。
「ええと、ずっと昔。うんと昔」
「何それ。魚人たちの言う、神話みたいね」
「神話? 魚人たちには神話があるの?」
神話があるという事は、文化があるということだ。
「そう。誰も生まれていないくらいずっとずっと昔の話なんだって」
「ヨブに聞いたの」
「あら、ヨブに会ったの?」
「会った。昨日の夕方。お父さんを脅かしたって、怒られちゃったよ」
「あの子、気が強いでしょ」
「それに、律儀で礼儀正しいよ。村にはこういう性格の人はいないね」
「ね」
「あ、時間大丈夫かな、走ろうか」
「あら、走るの?」
僕がグレーテを促すと、彼女は僕の後へ回り、少し僕と距離を取った。
「気を悪くしないでね。走るなら、大きな息をするでしょ」
「いけないの?」
「私、吸い込まれてしまうの。私の身体は小さな粒でできているから、あまり大きな息だと流されたり、吸われたりしてしまうのよ」
「粒? それで透けているのか」
触ってもいい、とたずねてからその髪に触れると、確かに砂粒のようにさらさらとした粒子が手に触れた。手を離しても、僅かな数の粒が手に残り、風に乗って溶けて消えた。
「それで君は重いものを持てないんだね。走って飛ばされてしまわない?」
「あなたが全速力で走らないなら、大丈夫よ」
僕らは速すぎない程度に駆けっこをし、海岸線にたどり着いた。
波打ち際には二人の小さな人影が僕らを待っていた。
「おはよう、ツァラ、グレーテ」
ヨブが丁寧に挨拶をしてくれる。僕もおはようと心を込めて挨拶を返した。グレーテはにっこり微笑んで挨拶をする。村にいるときよりもくつろいだ笑顔だ。
「紹介するね。弟のルカだよ」
「よろしくね」
ルカはヨブより頭一つ小さい。いくつ年下なのだろう。ルカが水かきのついた握手の手を出してくれるので、僕らは交代でそれを握った。
「見て、見て、ここ」
「ここって、目?」
握手が終わらないうちに、ヨブはルカの目元を指さして言った。
「そう。目、にてない? ぼくら」
「ああ、ほんとだ。目が似てるね」
「顎の形がそっくりだわ」
「鼻筋はあんまり似てないんだね」
「髪の色も違うのね」
ヨブは栗色の髪、ルカは濃い金色の髪だ。二人とも髪の下でうろこがぴかぴか光っている。
「鱗の模様は一人一人違ったりする?」
「あ、すごいね。何でわかるの」
「僕らも、掌や指の文様が一人一人違うからさ」
「へええ。けど、アニミストたちって、にてる人、いないよね?」
「いないよ。家族がないからね」
本当は、この子どもたちの家族どうしがどのくらい似ているのか、それから……家族が似ているという事は、魚人が生殖で殖えているということを示しているはずで、尋ねてみたいのだが、子どもを相手に生殖の話をするという破廉恥なことができなくて、僕は遠慮をしてしまった。
「それじゃ、行こう。今日は僕らの宝物を見せてあげる」
僕らは待ち合わせた浜から、南へと歩いた。魚人の村が近くなる方向だ。
「本当は、村の人間と遊ぶとすごく怒られるんだけど、幽霊は村にいるわけじゃないから、目をつぶってもらえるんだ」
「ちがうよ、お兄ちゃんがごまかしてるんだよ。ほんとはばれたらおこられるよ」
ルカは声もまだまだヨブより高くて幼い。ヨブはぺろっと舌を出した。
「でも、仲間は大事にしなきゃ、だろ。大事なことだぞ」
「そうそう。こんな村の外れまで来る魚人は少ないし、いざとなったら私は消えちゃうから平気よ」
「消えるなんてできるの」
「できるわよ。粒子の濃度を思いっきり下げるの。風が吹いたら散っちゃって、危ないんだけど、でもできるわ」
言ってから、グレーテはわざとらしく僕を横目で見た。
「あら、でも、ツァラが残ってしまうわ」
「砂にでも潜るよ」
僕は肩をすくめる。
「一応だけど、周りもよく見ててね。じゃ、こっちだよ」




