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王都の靴職人は、シンデレラを帰らせたい  作者: 南野遥


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第23話 私のための色

 

「休みの日に、どう見られたいか。そこから伺ってもいいですか」


 ミレイユは受注票の欄を指で示した。名前と用途より先に、その欄を聞くのは初めてだった。

 エステルは、膝の上の手を少しだけ握った。


「どう、見られたいか……」

「宮廷の靴の時は、列の一人として、きちんと立っているように見えたい、とおっしゃいました。今度は、休みの日のエステルさんです」


 エステルは口を開きかけ、色は黒か紺が、と言いかけて止まった。自分の言葉を、自分で聞き直すような顔だった。


「……いつもそうなんです。何を選んでも、結局、勤めの色になってしまう」


 ミレイユは立ち上がり、棚から端切れの箱を下ろした。仕入れの時に分けてもらった革の端や、仕事の残りを、色ごとにまとめてある箱だった。蓋を開け、エステルの膝の前に置く。


「決めなくて大丈夫です。手に取って、気になったものがあれば、教えてください」


 エステルは、黒と紺の切れ端の上を、指で一度なでた。それから、その下の段へ手を伸ばした。茶色。灰色。赤みの強い焦げ茶。指が少しずつ速くなる。

 深い苔色の切れ端で、指が止まった。

 森の奥の、日の当たらない石の上に生えている苔の色だった。光を受けると、ほんの少しだけ青みが浮かぶ。

 エステルはそれを手のひらに載せ、しばらく黙って見ていた。


「これは、宮廷では、履けない色ですね」


 エステルは、小さく笑った。


「はい。宮廷では、履けません」


 ミレイユがそのまま返すと、エステルの笑い方が、少しだけ大きくなった。


「でも、きれい」

「休みの日には、どこへ歩いて行かれますか」

「姉の家です。川向こうの、職人町の端に住んでいて。乗合馬車もあるんですけど、天気のいい日は歩きます。橋を渡って、石畳の坂を上って、半刻くらい」

「坂は、上りですか」

「行きは上り。帰りは下りです。姉の子どもが二人いて、帰りはたいてい、どちらかを途中まで送っていくことになります」


 ミレイユは書いた。用途、休みの日、姉の家まで歩く。片道半刻ほど。橋と坂。帰りに子どもの手を引く。

 姉の話をする時、エステルの声は、宮廷で聞いた声より少し高かった。子どもたちの名前を二つ言い、上の子は最近、坂を走って下りたがるのだと困ったように笑った。

 エステルは話しながらも、苔色の切れ端を手のひらから離さなかった。


「お値段のことを、先に言ってもいいですか。お給金から出せるのは、五銀貨までです。それより上になるなら、もう少し貯めてからにします」


 ミレイユは受注票の予算の欄に、エステルの言葉どおりに書いた。先に言ってもらえたことが、ありがたかった。値段を言い出せずに迷う客の顔を、ミレイユは何度も見てきた。


「今お履きの靴を、少し見せていただいてもいいですか。休みの日の歩き方が、分かるので」


 エステルが頷き、茶色の靴を脱いで差し出した。踵の外側が斜めにすり減っている。坂を下りる時に、外へ体重が逃げるのだろう。爪先の縫い目のほつれは、子どもの手を引いて、前へ少しかがむ時の擦れかもしれない。宮廷の靴とは、減り方が違った。同じ足でも、歩く場所が変われば、靴の傷み方は変わる。


 ミレイユは靴を返し、減り方を受注票の余白に書き留めた。

 ずいぶん歩かせてしまって、とエステルは少し恥ずかしそうに言い、靴を履き直した。

 新しく木型を用意すれば、それだけで予算の多くを使ってしまう。けれど、店にはエステルの足に合わせて加工した木型がある。宮廷の靴のために、ベルナールに頼んだものだ。


「エステルさんの足に合わせた木型が、店にあります。宮廷の靴の時に作ったものです。それを使えれば、お値段は抑えられます」

「あの靴の木型を、私の休みの靴に」

「木型は店のものです。ただ、宮廷のお仕事のために作ったものなので、ほかの靴に使う前に、調達局に書面で確かめます。エステルさんにも、使ってよいか伺いたいんです」


 エステルは少し考えてから、頷いた。


「使ってください。あの靴は、歩きやすかったので」

「ありがとうございます。宮廷の靴と、変えたいところはありますか」

「甲を、少し楽にしたいです。勤めの靴は、きちんと締まっているのがいいんですけど、休みの日は、もう少しゆったり。それと、踵を低く。坂を下りるので」


 ミレイユは頷き、書き取った。甲は木型に薄く革を足して広げる。踵は宮廷の靴より低く。


「飾りは、どうしますか」


 エステルは苔色の切れ端を見下ろした。


「……自分で、選んでいいんですよね」

「はい。規定はありません」


 エステルはしばらく迷ってから、端切れの箱の隅にあった、小さな真鍮の留め具を指した。飾りというより、紐の端を留める金具だった。


「これを、一つだけ」


 端切れの元の革は、材料商の棚にまだ一枚残っていたはずだった。甲を取れる大きさか、仕入れの前に確かめると伝えた。

 ミレイユは見積もりを書いた。苔色の甲革、柔らかい内張り、底、真鍮の留め具一つ、木型の手直し。合わせて五銀貨。


「五銀貨で、お作りできます」


 代金は、仕上がって渡す時に、と受注票に書いた。

 仮合わせは、エステルの次の休みの日、十二日後と決めた。木型を使ってよいかの問い合わせは、その日のうちに調達局の受付へ書面で出した。

 最後に、ミレイユは受注票の、空けておいた欄に戻った。どう見られたいか。

 エステルは、今度は迷わなかった。


「姉に、元気そうだと言われたいです」


 ミレイユは、その言葉をそのまま書いた。


 四日後の昼過ぎ、ユリウスが書類を返しに来た。

 一つは、木型の転用についての返事だった。宮廷の試作のために加工した木型を、使用者本人の私用の靴に用いることは差し支えない。加工の費用は工房の負担で済んでいるため、調達局として求めることはない。そう書かれた紙に、受付の印が押してある。

 もう一つは、試用の記録紙の原本だった。


「写しは調達局に残します。原本は、書いた本人と、作った工房のものだと思うので」


 エステルに渡しておく、とミレイユは答えて受け取った。その時、ユリウスの目が、作業台の端に置いた苔色の切れ端に一瞬止まった。エステルの受注票の上に、型紙と並べて置いてある。

 ユリウスは、何の靴かとは聞かなかった。

 その聞かなさが、ミレイユには少しありがたかった。私用の靴の話は、エステルのものだ。

 書類の受け渡しが終わり、ユリウスが帽子を手に取った。ミレイユは、その上着に目をやった。初めて店に来た日と同じ、深い紺の上着だった。仕立てはよく、色は落ち着いていて、どこにも浮いたところがない。


「いつも、紺の上着ですね」


 ユリウスは、自分の袖を見下ろした。


「そうですね。家の者が仕立てる時に、だいたいこの色になります。……服というのは、家の期待に合わせて選ぶことが多いので。自分で選んだ、という気は、あまりしません」


 淡々とした言い方だった。不満を言っているようには聞こえなかった。ただ、事実を一つ、置いたような声だった。

 ミレイユは、苔色の切れ端を見た。黒か紺、と言いかけて止まったエステルの声を、思い出した。


「何色が、お好きですか」


 ユリウスは、すぐには答えなかった。帽子を持ったまま、少し考えていた。窓の外の裏通りへ目をやり、それからミレイユを見た。


「……まだ、答えられません」


 答えられないことは、答えられないと言う。いつもの言い方だった。けれど、規定や審査の話をする時とは、どこか違って聞こえた。


「そうですか」


 それ以上は聞かなかった。ユリウスは一礼し、鈴を鳴らして出ていった。

 ミレイユは、記録紙の原本を受注票の束の上に置いた。エステルの字と、自分の字が交互に並んだ紙。仮合わせの日に渡そう。

 それから、閉まった戸口をしばらく見ていた。調達局の人。審査の窓口。これまでは、そうとしか見ていなかった。好きな色を、まだ答えられない人。その人が今、裏通りを表の方へ歩いていく。


 数日後、ミレイユは家賃の袋を持って帽子店へ行った。期日の三日前だった。

 アニエスは十二枚を数えて受け取り、帳面に記した。「今度は、袋から出すだけで済んだわね」と言われて、ミレイユは少しだけ笑った。手帳の、栞を挟んだ家賃の頁に、支払いを書く。


 店に戻ろうとして、ミレイユは足を止めた。

 裏通りの細い道に、馬車が一台止まっていた。黒い車体が磨き込まれ、扉の金具が昼の光を跳ね返している。この通りでは見たことのない光沢だった。

 その横に、若い女性が立っていた。侍女らしい女性を一人連れ、両腕に、布で包んだ大きな包みを抱えている。包みの端から、光沢のある生地が覗いていた。

 女性は顔を上げて、『ひとあし工房』の小さな看板を、じっと見上げていた。

 

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