第15話 一足の中に、二つの要求
面談の夜に書き写した一覧を、ミレイユは翌朝もう一度、作業台に広げた。
採寸の紙と聞き取りの紙から、靴の形に関わることだけを抜き出した一枚だった。左右の寸法。指の付け根のたこ。夕方の足の裏の熱。外へ流れる踵。二十往復、式典の日は四十。磨いたばかりの朝の石。狭く急な木の階段。
元の紙の束は、作業台の端に重ねたままにしてある。必要なことは、全部この一覧に移したつもりだった。
まず、爪先を決めた。規定は「丸みのある細身」。その言葉の範囲で、いちばん幅のある線を探す。細身に見える程度に先を絞りながら、指の付け根のたこの位置だけは、内側にわずかな余裕を残した。紙の上で何度も線を引き直し、ようやく一本に決める。
踵は、規定の上限の指二本分より、指半分低くした。芯は硬めにする。外へ流れる踵を、靴の方で受け止めるためだ。
底は中くらいの厚さ。外側だけが早く減るのは目に見えている。だから、底の外側の踵寄りを、別に張り替えられる作りにした。半年で駄目になったという支給の靴のようには、させたくなかった。
夕方の足の裏の熱には、中底の上に柔らかい革を一枚重ねることにした。硬い石の床から上がってくる衝撃を、少しでも和らげる。その分、靴の中が窮屈にならないよう、木型の指の付け根に余裕を足す。一つ決めると、別の場所の寸法が動く。ミレイユは図の余白に、動いた数字を一つずつ書き込んでいった。
慣習の一つ目は、留め具を外から見せないこと。紐を甲の覆いの下に通し、結び目が隠れるようにする。
慣習の二つ目は、甲に何らかの飾り。
ミレイユは、ペンの先で紙を叩いた。銀の花の飾りは重く、引っかかりやすい。甲の革に穴を開けて付ければ、そこから傷む。それなら、甲に細い縫い線を一本だけ走らせる。糸の線も、飾りのうちだ。
図から余分な線を消していくたびに、靴が軽くなっていく気がした。歩くための図の上に、規定の線を一本ずつ重ねていく。二枚の図は、こうすれば一枚になる。
昨夜あれほど重ならなかった線が、ようやく収まった。ミレイユは、出来上がった図を少し離れて眺めた。
ベルナールの作業場は、相変わらず木屑の匂いがした。
ミレイユは、エステルの足の図と、決めた靴の図を作業台に並べた。
「既製の婦人用で、この足に近いものを選んでいただけますか。踵を細く、指の付け根の内側だけ少し余裕を。爪先は、規定の細身の範囲で、この線に」
ベルナールは足の図を見て、棚から木型を一本下ろした。
「宮廷の靴か」
「はい。女官の方の、仕事用の礼装靴です」
ベルナールは木型の踵を掌で包み、図の線と比べた。
「爪先が、宮廷の靴にしては太いな」
「規定の細身の範囲には、収まっています。指の付け根に、硬いたこのある方なので」
「範囲に収まってるなら、木型はそれで削る」
ベルナールは靴の図に目を落とした。甲に、細い縫い線が一本だけ。その上で、太い指が一瞬止まった。けれど、何も言わなかった。飾りは木型の仕事ではない。
「一銀貨と五十銅貨。六日」
「お願いします。受け取りの時にお支払いします」
その足で、革の問屋に寄った。黒の子牛革。裏革。底革。中底に重ねる柔らかい革。糸。宮廷の靴に使う黒は、修理用の黒とは艶が違った。材料商は、甲に付ける銀の飾りの見本箱を出してきたが、ミレイユは首を振った。合わせて三銀貨ほど。代金を払うと、財布はまた目に見えて薄くなった。
店に戻り、アニエスに書いてもらった紙を出す。入る日と出る日を並べた紙だ。ひと月先の週の欄に、小さく印を付けた。この週を越えれば、検収の代金が入る。越えるまでは、修理の銅貨でつなぐしかない。
図ができてから四日後、ミレイユは調達局の小部屋で、ユリウスに図を見せた。規定に合っているかどうか、作る前に確かめてもらうためだった。
ユリウスは図を机に広げ、手帳と見比べながら一つずつ確かめた。
「色は黒。爪先は丸みのある細身。踵は指二本分を超えていない。留め具は外から見えない。甲には……」
ユリウスの指が、細い縫い線の上で止まった。
「縫い線を一本。これを、飾りとして」
「はい。飾りは、甲に何らかのもの、と伺いましたので」
ユリウスは、しばらく図を見ていた。
「規定と慣習は、満たしています」
それから、少し言葉を選ぶように続けた。
「飾りの意味を、少しお話ししてもいいですか」
「お願いします」
「謁見の間は、昼でも燭台を灯します。来客が女官を見るのは、ほとんどが裾から下と、手元です。甲の飾りは、その灯りを受けて、列の中で同じ高さに小さく光る。誰がどの役目かを示す印でもあります。列が揃って見えるのは、そのためです」
ミレイユは頷いた。燭台の灯り。同じ高さの小さな光。
「細い縫い線でも、灯りは受けます」
「受けるでしょう」
ユリウスは否定しなかった。
「最低限は、満たしています。ただ、それで十分かどうかは、私には判断できません。履く人がどう感じるかも含めて、工房に委ねます」
ミレイユは図を見下ろした。規定は守っている。慣習も守っている。その上で、足が夕方に辛くならない。履く人のためになるのは、きっとこちらだ。
「この図で、進めます」
ユリウスは図に受付の印を押した。それ以上、何も言わなかった。
調達局を出て長い廊下を歩きながら、ミレイユは燭台の話を思い返していた。灯りを受けて、同じ高さに小さく光る。細い縫い線も、少しは光るはずだ。光り方が少し違っても、歩けない靴よりはずっといい。
石の床に響く自分の足音を聞きながら、そう結論づけた。
六日目に、木型を受け取りに行った。
ベルナールは作業台に木型を置き、何も言わずにミレイユの手元を見ていた。ミレイユは図面を広げ、踵の細さ、指の付け根の内側の余裕、爪先の線を一つずつ指で当てて確かめた。どれも、図のとおりだった。一銀貨と五十銅貨を数えて渡すと、ベルナールは帳面に付けた。
それから七日間、昼は修理の客を迎え、夕方からは宮廷の靴に向かった。
受け取り棚の札を朝ごとに照らし合わせ、三角と丸の印のとおりに渡していく。底の剥がれた荷運びの靴。踵の減った少年の靴。修理の銅貨が入るたびに、売上の頁に書き、仕入れの頁と見比べる。
宮廷の靴の作業は、急ぎの修理が入ると、そのたびに手を止めた。底の剥がれた靴を先に縫い、受け取りに来た客に渡してから、黒い革に戻る。どちらの約束も、後回しにはしない。
夕方、黒い子牛革を裁つ。甲を縫い、細い縫い線を一本、甲の中央に走らせる。糸を引き締めると、線はまっすぐに通った。紐を覆う甲の覆いを付け、木型に吊り込み、底を仮に留める。
試しの一足が、作業台の上に立った。
ミレイユは自分の手を靴の中に入れ、中底に重ねた柔らかい革を指で押した。石の上を一日歩いても、この革が足の裏を受け止める。底の外側の継ぎ目も、指先で確かめた。半年後、ここだけを張り替えればいい。
黒い革に、細い縫い線が一本。余計なものは何もない。灯りの下で傾けると、縫い線が細く光を返した。踵の芯を指で押すと、しっかりと押し返してくる。
木型を受け取ってから七日目の昼、調達局の使いの少年が書面を届けに来た。
仮合わせは明日。東棟の控えの間。時間は半刻。
ミレイユは書面を作業台に置き、試しの一足を手に取った。爪先から踵まで、もう一度指でなぞる。夕方の熱を逃がす底。外へ流れる踵を受け止める芯。長い石の廊下を、四十往復しても崩れない作り。
これなら、エステルは夕方まで歩ける。規定も、慣習も守っている。ユリウスも、満たしていると言った。
明日、エステルが廊下を歩いて、踵が外へ流れなければ、それで答えが出る。
ミレイユは靴を柔らかい布で包み、道具箱の隣に置いた。布越しに触れると、形がはっきり分かった。




